序章② 先輩と出会う
「白峯先輩ありがとうございました。遅れましたが、二年の鐘ヶ江秋灯と言います」
「やっぱりここの生徒だったのね。私は三年の白峯明音。あなたは知ってるみたいだけど」
「有名人ですからね先輩は。この学校で知らない人は少ないんじゃないですか」
深々と頭を下げて、感謝を述べる。
頭蓋と右肩がズキズキ痛むが、とりあえず窮地を脱することが出来た。
明音には感謝してもしきれない。雑だったけど。
「そういえば参加者ってなんのことですか?」
「あなた本当に知らないの?一カ月前くらいにお告げみたいなのがあったでしょ」
眉根を寄せてまじまじと見てくる明音。
ただ、お告げなんてものに心当たりが全くない。
「何ですそれ?」
「夢で神様っぽいお爺さんに、試練を開くから参加するかどうか聞かれたじゃない」
「かみさまっぽい?」
そんなご利益がありそうな夢は見た覚えはないし、そもそも一カ月前の夢なんて覚えていない。
「神の試練で次代の神を決めるから、資格を持つ者、世界を変えたいと願う者に声を掛けてるって。本当に知らないの?」
「初耳です。夢枕にお爺ちゃんが出てきたことないんですが」
「神様っぽいお爺さんだけど‥‥‥扉に挟まってた当たり本当そうね。若干まだ疑わしいけど」
流し目でこちらを見てくる明音。警戒から呆れに変わっている。
最初必要以上に緊張していたのは、その試練の参加者と勘違いされていたらしい。
神様の試練。話を聞く限り、他の参加者と競うバトルロイヤル的想像ができる。
あんまり物騒なのは嫌だなと、他人事のような秋灯は思う。
その後も明音から一通り試練の内容について話しを聞いていく。
試練は次代の神を決める。
参加者を除き世界の時間が停止する。
時間の停止は今朝の九時から。
参加者の周り――半径五メートルくらいらしい――は時間が停止しない。
参加者間の争いを禁止する。
そして、今日から一週間後。東京の皇居周辺で試練の開会式が行われる。
「なんで俺は動けてるんですか?」
「さぁ?神様の手違いとかじゃない?九〇億人もいれば間違えることもあるでしょ」
明音がこともなげに言う。
動けてる時点で不備があったのは確かなので、神様でも間違えるらしい。
「引っ張り出していただいた手前、申し訳ないんですけど、東京まで一緒に行っていいですか?世界の時間が止まってるなら帰っても意味ないし。あと、水も食べ物も無くて」
「そんなに畏まらなくていいわよ。流石にここで、はいさよならって訳にもいかないでしょ。食料は気にしなくていいわ。多めに持ってきてるから」
太っ腹なことを言ってくれる。
明音自身、今朝まで試練の有無について半信半疑だったらしい。
それでも諸々の準備は済ませていて、今は校門のほうに用意した荷物を置いているのだとか。
今この人に見捨てられると、おそらく餓死しかねないのですごく有難い。
「ありがとうございます。東京まで電車だと一時間半くらいで着きますけど、動いてないし。どうやって行きます?」
「地図で調べたけど皇居まで十二時間よ。休憩も入れて二日か三日で着く予定だわ」
「十二時間?えっと、もしかして徒歩ですか?」
「そうよ。‥‥‥何か文句でもあんの?」
「い、いえ。ただ、自転車かバイクがよかったなーって」
秋灯の頬が若干引き攣る。
時間が停止しているなら電車は使えない。
車道にも停止したまま残された車が放置されていて、通行に不便な可能性がある。
その点自転車かバイクなら無難に進めると思ったが。
「そうね。そっちでもよかったのね。うん‥‥‥‥盲点だったわ」
腕組みをしながら明音が答える。なぜかほんのり頬が赤く染まっている。
なんとも言えない空気のまま校門前に移動したが、そこには。
パンパンに詰まったバックパックが三つと、赤いリアカーがあった。
この人なんでリアカーをチョイスしたのだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日までは何百台と車が行き交い煩雑としていたはずの幹線道路。
いつまで経っても変らない信号灯の赤と、それを待ち続ける車の群れ。
エンジン音も人の声も木々の葉擦れさえもない止まった世界。
何気ない日中の風景のはずが、切り離され停止している。
そんな耳鳴りがするほど静謐な世界にギコギコ車輪が軋む音だけが響く。
車と車の間を縫う様に進む一台のリアカー。
赤信号で止まった車の脇を、歩道に乗り上げつつなんとか進む。
停止した世界との場違い感がすごい。
リアカーの引手にはさっきまで扉に挟まっていた秋灯が一人。
十月にしては暑い気温を肌で感じ、カッターシャツを着崩している。
荷台には大きなバックパックが三つと明音が一人。
荷引きに名乗り出た秋灯をちらちら見つつ暇そうにしている。
すでに高校を出発して三時間。
停止した世界の様子を見つつ、東京皇居へ続く長い道のりを進んでいた。
「大丈夫?そろそろ代わるわよ」
「いえ、これくらい平気です」
心配の混ざった声が後ろから掛けられるが、秋灯がそれを断る。
息切れしているものの、その声にはまだ余裕が含まれる。
秋灯は周りの止まった景色にきょろきょろ視線を動かしつつ、しみじみと思う。
――あのままだったら、やっぱり死んでたんじゃね?
おそらく明音と出会っていなかったら、扉に挟まるどうこう以前に餓死していた可能性が高い。
時間が止まっているとはつまり物が動かせない。だから冷蔵庫を開けることも、蛇口を捻ることも、なんなら開けられた冷蔵を見つけられてもその中の食材を取り出すことができない。
食べ物が無ければ一週間、水が無ければ三日で人は死ぬ。
少なくとも東京へ移動するという発想は無かったので、試練についても知る機会はないし、止まった世界で一人放置されてずっと‥‥‥。
自分が割と生死の境目にいたことを実感し、秋灯は大きく身体を震わせる。
明音と出会えたことがあまりに幸運だった。
「本当に止まってるわね。なんか全然現実味がないわ」
荷台の先に移動してきた明音が、声を掛けてくる。
一瞬遅れて秋灯がそれに答える。
「そうですね。まだ夢の中にいるたみたいです」
「夢オチのほうが納得するかもしれないわね。にしては暑いけど。世界が止まってるならもう少し涼しくなってほしいわ」
肌着をパタパタさせながら、明音が言う。
確かに日差しは変わらず路面を照りつけている。
「そういえば、どうして止まったままの人がいないんです?」
秋灯が首だけ動かし、後ろに尋ねる。
ここまで道中、一切人を見かけていない。
車の運転席はもぬけの殻で、歩道を歩いている人も誰もいない。
加えて動物も、家の飼い犬や野良猫や烏など、普段それとなく見かけるはずが全くいない。
「さぁ?特に説明されてないわね。多分神様がなんかやったんじゃない?」
特に気にならないのか、明音が淡々と言う。
確かに神様とやらが関わっていると思うが、何処に行ったのかとか気にならないのだろうか。
「どこかで隔離されてるとか?移動させられてる?そもそも生き物って停止できるのか?というか‥‥」
疑問を口に出しつつ、勝手に悩む。
生き物だけ別の空間に移動させられているとか。超常現象すぎるけど神様ならきっとなんでもありだろうし。
それなら昆虫とかもっと小さい微生物は。細菌とかはどうなっているのだろう。
「あんた結構冷静なのね」
「えっと、そうですか?」
悩んでいると猫のように目を開いた明音が見てくる。
「普通こんな状態になったらもっと戸惑うでしょ」
「いや、それは先輩も同じ、」
「私は一カ月前から知ってたから。心の準備もしてたのよ」
心配と不可解が混ざったような、そんな顔つき。
けれど内心の秋灯は、
「まだ現実感がないだけだと思います。‥‥‥それにちょうどさっき九死に一生を得たので」
片側の頬を下げて答える。
餓死エンドを回避したところなので、今は戸惑いよりも明音に対してありがたみが強い。
とりあえず目先の食料の心配もなし、不安がるのはその後でいい。
「そう。‥‥あんまり無理しちゃだめよ」
先輩らしく身を案じてくるような言葉。
ただその顔は、少しだけ曇っているように見えた。
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