【新訳】地球が静止する日

@itomano

序章 停止した世界と試練の宣告

序章① 停止した世界

携帯のアラームが部屋に鳴り響く。

フローリングの上に直に敷かれた布団と小さな丸机。

窓にカーテンはなく、そのまま朝日が入ってくる。


必要最低限の家具だけ置かれた生活感の無い部屋。

部屋の隅にはガムテープが巻かれたままの段ボールが何箱も積まれていた。


まだ眠り続けていた少年が呻き声を上げながら手を延ばす。

枕の先に置かれた携帯の画面を何度か叩き、ようやく音が鳴り止む。

布団から半身が出ている状態で再度固まるが、嘆息の混じった呻きと共に立ち上がる。


半開きの目と口元のよだれ。眉の先まで伸びた髪の毛が天井に向かって逆立っている。

寝起きの気怠さを全身で醸しつつ、洗面所へゆっくり向かう。

蛇口を捻り、顔に水をかけ、まだ残暑が厳しいのか水道の水は生ぬるい。


ほとんど無意識に身支度を整える。

今日からちょうど衣替えの期間なので用意していたブレザーを手に取り、残っていた透明なビニールを無造作に破く。

一旦羽織ってみて、暑かったので鞄に押し込む。


朝食は取らず、そのまま玄関口へ。

姿見で見た目を確認し、直りきっていない髪の横ハネは許容範囲で扉を開ける。

室内の蒸された空気より、外の方がいくらか涼しい。


――静か、だな。


普段は近くの踏切の音、大通りの車のエンジン音、通学路を歩く子供の声などもう少し煩かったはず。

隣の家の壊れかけの、異様にガタガタ鳴っていた室外機の音も聞こえてこない。


些細な違和感、一度首を捻るが学校を休む理由にはならない。

階段を降りて一階の駐輪場へ。大きなステンレスのかごに鞄を入れて自転車にまたがる。


住宅街の細い小道から踏切を渡り、視界が開けてくる。

黄色の絨毯のように敷き詰められた稲穂とそこに真っすぐ伸びる幅の狭い車道。

抜け道らしく、スピードを出した車がよく通るが今日は一台も通っていない。


それどころか周りには、一切人がいない。

同じように自転車を漕ぐ学生も、散歩している老人も。

いくら田舎と言っても、これはおかしい。


違和感から不安へ変わっていくが、それでも自転車を進める。

外壁が茶けたレンガのような校舎が見えて、大学のような大きな敷地と県内で最も多くの学生を抱える高校。

広い校門は普段なら学生で煩雑としているが、今は一人もいない。


時間を確認するが、携帯の画面には八時十五分と映る。

ホームルームまで残り十分。一番混む時間帯。


一旦駐輪場に自転車を停めて校舎へ向かうが、今度は砂嵐のような雑音が耳に入ってくる。

見かけなくなって久しいブラウン管テレビの、白黒の斑と共に響く嫌な音。

耳鳴りとも違うそれが、鼓膜と奥のこめかみに届く。


頭を抑えつつ下駄箱に靴を預けるが、砂嵐の音が更に大きくなってくる。


――誰もいない。


階段を登り、自分の教室へ入るがクラスメイトは誰も登校していない。

他の教室にも目を向けるが、どこももぬけの殻だ。


休日かと思ったが、携帯の画面には月曜日と書かれている。創立記念日、祝日、どれも違う。

そもそも休みだったとしても、運動部のどれかが活動していそうだし教員も数人はいるはず。

余りに静かで、何か異質な状態。


考えるが、耳元で鳴り続けている砂嵐の音が次第に大きくなっていく。

立っていられず少年は自分の席に倒れ込む。


ザァザァと鳴る音が鼓膜から頭の深い場所へ。

脳みそを揺らされているようで気持ちが悪くて、おでこを机につけて両手で耳を思い切りふさぐが、だんだんと意識が遠くなっていく。


――あぁ、これはダメだ。


身体の芯からノイズ音に晒され、何かが解けていくようなそんな感覚を覚えたあと意識が途切れる。

少年の腕が力なく机の上に投げ出され、目は半開きに開いたまま。口元だけ微かに笑っていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「んぁぁぁっ‥‥よく寝たぁ」


机に突っ伏していた少年が目を覚ます。

掌を頂点に向け大きく伸びをして、それから確かめるように両耳を摩る。

さっきまで身体を震わせるほど大きかった砂嵐の音は綺麗さっぱり無くなっている。


「‥‥‥‥‥‥一人か」


きょろきょろ視線を彷徨わせ、ぽつりと零す。

綺麗に並べられた木製の机と椅子。どこにでもあるような学校の一室の風景。

けれど、そこに居るべき学生はただ一人を除いて誰も登校していない。


隣の友人が宿題やったかと声を掛けてくることも、丸眼鏡を掛けた年配の担任教師が入ってくることもない。

耳鳴りがするほどの静謐が部屋を支配し、もしかしたら隣の教室も、この校舎自体か空っぽなのかもしれない。


少年がポケットを探り、携帯の画面を点ける。

時刻はすでに十一時。登校してから二時間強寝ていたらしい。

道理で身体が固まっていると、首をゆっくり回しつつ自然な動作で立ち上がる。

が、


「痛ってぇっ⁉」


膝を机の裏に強打した。


「‥‥な、何これ?どうなってんの?」


一人静かに悶絶して。

椅子を後ろに引こうとして、動かない。

机を前に押し出そうとして、動かない。

机裏のスチール製の脚を爪先で蹴って、ぴくりとも動かない。あと痛い。


何故か椅子と机が金具で固定されているかと思うほどピクリとも動かなかった。


「どういうことだよ‥‥‥?」


少年が身体を捻り、椅子と机の隙間から這い出てくる。

白いカッターシャツの埃を払い、ついで他の机も確認する。


背もたれや木製の天板に触れて全く動かずその硬さに驚く。

教室後ろのロッカーは入れていた荷物含め固まっていて、中庭に面した窓も鍵が開かない。

頭の片隅にあった、誰かのいたずらという期待が徐々に薄れていく。


黒板の上。長針が頂点に、短針が九十度左に傾いた丸時計。

何故か九時を指して固まっているそれを見あげて、少年が溜息を吐く。


「はぁ。‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥腹減った」


何一つ理解できない状況でも、それでもお腹は空くらしい。

一旦購買にでも行くかなと教室の後ろ、廊下に面した戸口に歩を向ける。


「狭くね?」


壁と引き戸の間が、すごく中途半端な位置で開いている。

人一人、横向きならギリギリで通り抜けられるかどうかの幅。

教卓側の扉は完全に閉まっていて、窓が開かないのも確認済み。


嫌な汗が背中にじんわり浮かぶ。


「行ける、か‥‥」


恐る恐る扉の隙間に身体を入れる。

横向きに肩先から下の胴体は入るが、頭がつっかえる。

少し力を加えて、それでも入らず更に力を加える。


「痛い。すっごく痛い」


しみじみと悲しい声を漏らす。

側頭部とこめかみがすごく痛い。


「斜めなら何とか‥‥‥‥うん、痛い」


再度挑戦し、それでも入らず。

自分の頭ってこんなに大きかったっけと思う。

首から下は問題ない。ただ頭部の側頭骨がどうしても扉に当る。


「服を間に嚙ませれば‥‥」


着ていたシャツを脱いで頭にかぶる。

こめかみ辺りの生地が分厚くなるよう調節しつつ、扉の前でもそもそ格闘してだいたい十分。


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥うーーーーーん。なんてこった、、」


扉に挟まった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


平日とは思えないほど静寂に包まれた構内。人だけが忽然と消えた校舎の教室。

時刻は十二時を回り、昨日までは友人と机を並べ雑談しながら昼食をとっていた。

そんな時間。


――なんで俺は扉に挟まってるんだ?


肌がぴりつくような朝の静けさと、学校に着いてから砂嵐のようなノイズ音に晒され、教室で気絶するように眠った。

目が覚めてみると、机やら椅子やら目につく物が固定されたように動かず、そして自分以外誰もいない。

明らかに異常事態。超常的な摩訶不思議現象に巻き込まれている。


――ここまではいい。いや、よくないけど、百歩譲って千歩くらい譲ってまだいい。


さっぱり状況は呑み込めていないが、とりあえず昼飯を探しに行く矢先。

扉に挟まりデッドエンド。

まだ何も始まっていない。初期位置から数歩先で詰んだ。

これがゲームとかのチュートリアルならバグを疑う。


「流石にシュールすぎだろっ!」


叫び声に合わせて頭を動かしたからすごく痛い。

誰か今の声を聞きつけて、来てくれないだろうか。


相変わらずの静謐さを孕む構内に、自分の悲しい叫びが響いていった。


「ん?‥‥‥‥何か聞こえた?」


反響した声が納まってから、リノリウムを床を叩く靴音が微かに聞こえた気がした。

耳を澄ませ音に集中するが、校舎の奥のほうで確かに鳴っている。


「誰か、誰かいませんかっ!助けてください!!」


必死に声を張り上げ助けを求める。

ここまで直球に人に助けを求めたことは初めてかもしれない。

お腹に力を入れて、挟まっているこめかみがキリキリと痛むが構わず叫ぶ。


床を歩く音が一瞬止まり、やや駆け足に変わる。確かにこちらに近づいている。

今の醜態を見られることに恥ずかしさを感じ、けれど助かるかもしれない期待が勝る。


階段を登ってくる足音。そして視界の先に見覚えのある女性が映る。


「あの‥‥大丈夫、かしら?」


肩にかかる真っすぐな黒髪に整った顔立ち。目は少し吊り上がっていて、気が強そうな印象を受ける。

着ている服は学校指定のブレザーではなく、スポーツ用のパーカーに短パンという動きやすい恰好。

学年は一つ上の三年生だが、この高校ではスポーツ万能な美人として有名。

白峯明音が目の前に立っていた。


「学校の生徒よね。何してるの?」


もう一度声をかけてくる。

若干声が上ずっていて身構えられている。内心こっちのほうが驚いているが。

こんな異常事態の中、扉に挟まっている男子生徒を見たから当たり前か。


「すみません、白峯先輩ですよね。扉から抜け出せなくなってしまいまして、ちょっと引っ張ってもらえませんか?」


普段と変わない声を出せたと思う。


「‥‥‥いいけど。あなたも参加者よね。襲ってこないでよ」

「さんかしゃ?ちょっと何言ってるかわからないです」

「別に隠さなくてもいいわよ。参加者同士の争いは禁止されているでしょ。この後何があるかわからないけど一旦貸しにしておくわ」


言っている意味がよくわからないが、そんなことはどうでもいい。

早く引っ張り出して欲しかった。


「頭が挟まっているんで右肩あたりを掴んでください」

「間抜けな恰好ね。いい、いくわよ」


ため息と共に明音が肩を掴む。

痛みに耐えつつ、身体に力を入れる。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、痛いって!!」

「我慢しなさい。男の子でしょ」


悲痛な叫びに怯まず容赦なく、というか雑に力を入れてくる明音。

痛すぎて目じりから涙が出てくるが、歯を食いしばる。

この時、頼む人を間違えたかもと思ったが。


結果、ようやく抜けた。

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