⑪未確認少女Iと再会
「明音先輩、ちょっと進むの早くないですか?」
「そう?これくらいじゃないと疲れないじゃない」
息を切らし、すでに数メートル先にいる明音に声を掛ける。
が、返ってくるのは快活な声だけで速度は落ちない。
さっきからずっと早歩き、もといジョギングのペースで進んでいる。
今日は筋肉痛かなと長い息を漏らした秋灯が先にある背中を小走りで追う。
【汚穢ノ世界】を出てから数日。水門の屋根で一夜を過ごし、夜が明けるまで生きた心地がしなかったが。
東の空が薄らいでくるのに比例して、街に蠢いていた泥人形が消えていった。
おっかなびっくり堰柱を降り、元の暗い泥に沈む静かな街を見て少し拍子抜けで。
reデバイスの時間表示がゼロになったのと同時に【汚穢ノ世界】をあとにした。
今は元の止まった世界を進み、次の目的地である名古屋を目指している。
浜松市を出た直後はしょんぼり気味だった明音だが、今は元気を取り戻しなんなら調子が良くなり。
振り返って自信に満ちた笑顔を向けてくる。
ただ、夜になるとその顔は曇る。
泥人形に追い掛け回されたあの夜。
特に堰柱の上で抱き着いてきたことに関して、明音の中で触れてほしくないことになっている。
話題に出そうとしたら、吊り上がった目と共に腕の皮膚を思い切り捩じられた。
あれから流石に抱き枕にされることは無かったが、夜は同じ部屋で睡眠をとるようになった。
夜の暗さがトラウマになったのか、一人だと寝付けなくなってしまったらしい。
本人は「近くで寝てれば何かあったときにどっちかが気づけるでしょ!」と頑なに主張している。
別に隣の部屋でも物音がすれば起きると思うが、特段突っ込みを入れなかった。
そのせいもあり、最近は寝不足気味だ。
「今日はどのあたりまで進むの?」
「愛知の岡崎市辺りまで進んでおきたいです。予定より少し早いですけど、次の終末再現都市も大変そうですから」
まだあと三つ《終末再現都市》を経由しなければならない。
次の予定では愛知県名古屋市にある【星骸ノ世界】。隕石の衝突で人類が滅んだ世界。
端末の説明文を読む限り、
できるだけ平穏に、無事に二四時間が経過してほしい。
今はすでに愛知の豊橋を抜け、国道1号線から脇に入った道を進んでいる。
周りはだいぶ緑に囲まれ、ぽつぽつと民家があるくらい。
そろそろ昼食の時間だがスーパーやコンビニが見当たらない。
「お店がないんで、昼はあそこでとりますか」
「人の家を漁るのも抵抗がなくなってきたわ」
大きめの民家を指差すが、明音から諦めが混じった声が返ってくる。
他所様の家を漁ることに罪悪感があったらしい。
最初から特に何も感じていなかったので、中途半端に相槌を返してしまう。
凡そ五十メートル先。黒い瓦の屋根と、太い木部が特徴的な和モダンな家屋。
敷地が広く家のつくりも比較的新しい。
秋灯は《時間解凍》の準備をするため、自分の認識を伸ばす。
【汚穢ノ世界】を抜けてから――単に慣れただけかもしれないが――物の構造の把握が容易になった。
今は遠くからでも、ソナー探知のように物の中身やら構造やらを掴むことが出来る。
視えていないはずの光景が視える感覚は自分でも不思議だが、索敵としても使えるし至極便利だ。
「‥‥何かいますね。玄関が解凍されていて、人がいます」
「また泥人形じゃないわよね?」
「今回は生きている人です。部屋の中でたぶん寝てますねこれ。
「相手は一人?」
「一人です。背格好は小柄で、おそらく女性。年齢までは、流石にわからないですね」
「‥‥どうしてそこまで分かるのよ。あんたどんどん人間辞めてくわね」
「体力お化けになってきている先輩に言われたくないです」
認識の範囲を部屋の中に絞り、小柄な女性が玄関横の和室で横になっていることを確認する。
《時間解凍》は、玄関と冷蔵庫だけに使ってるみたいだ。
「また真賀みたいな人だったら危ないわよね」
「あれはレアキャラでしょう。あんなのが他にもいたら怖いです」
試練が始まった直後は、混乱を避けるために東京市街から出たが。
今は相手は一人だけだ。
「うーん、とりあえず会ってみましょ。他の終末再現都市のこととか知りたいし、一人だけなら何かあっても逃げられるでしょ」
「了解です。先輩以外の人と会うのが久しぶりで緊張しますね」
玄関に近づき木板を軽くノックしてから引き戸を開ける。
「すいませーん。誰かいませんかー」
「ひぇっっ!?」
奥の和室から甲高い悲鳴が聞こえる。
物音だけで畳から飛び起きたのが分かった。
「こちらに敵意はありません。突然で申し訳ないのですが、できれば試練について情報の交換をさせていただきたいのですが」
和室まで聞こえるよう声を張りつつ、敵意が無いことを示す。
休んでいるところを他の
できれば試練の今の状況。他の《終末再現都市》や
部屋の中の女性は迷っているのか返事がない。
畳の上でじたばたしているような気配を感じつつ、待つこと数分。
震えを伴ったか細い声が聞こえてくる。
「あの‥‥‥
「はい。自分は鐘ヶ江秋灯といいます。できれば共有できる情報があれば少しお話しできないかなと思いまして、こちらから危害を加えることはありません」
異性ということもあって警戒されているのかもしれない。
試練の行動規定では、
これなら同性の明音に対応してもらえばよかった。
出てくるのを躊躇っているのか再度の沈黙。
恐る恐るといったように声の主が和室から出てくる。
若干翠色がかった黒髪を肩先まで垂らし中学生くらいの背格好。
口を引き結び顔を伏せたまま見上げてくる。
日本人形みたいだなと、秋灯は思った。
「えとえと、私は伊扇風穂野(いおうぎかほの)と言います。できれば、そのお願い‥‥交渉させていただきたいことがあります」
試練の宣誓前。
東京に入ったその日に秋灯を棚に叩きつけて消えた少女がいた。
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「えーと、そこまで警戒しなくても大丈夫ですよ」
「す、すみませんっ」
伊扇と名乗った少女が和室の隅にちょこんと座り、目を伏せて身体を小刻みに震わせている。
警戒するのは分かるが、歳下の少女に泣かれそうになっているのは正直へこむ。
「自己紹介してなかったわね。私の名前は白峰明音。急に話しかけてごめんなさいね伊扇さん」
「いえそのえっと‥‥大丈夫、でした」
「一つ聞きたいのだけど東京で会ったかしら?皇居近くのスーパーだったと思うのだけど」
横の明音が見計らって声を掛ける。
まだ同性のほうが話してくれそうだ。
「えとえと、鐘ヶ江さんに声をかけられたと思います。その節は逃げてしまってすみません」
「時間が止まった直後だったし、知らない男が話掛けてきたら逃げるのも当然よ。それに秋灯って胡散臭そうに喋るし」
突っ込みを入れたかったが、ようやく話してくれそうな雰囲気になっているので止めておく。
「でもあれってどうやったの?一瞬で目の前からいなくなったけど」
「あれは、その‥‥‥魔力が暴発してしまって。私はその、感情が昂ると制御できなくて、ああやって人から逃げてしまうんです」
「魔力?あなた魔法が使えるの?」
「い、いえ‥‥私は魔力は持っていますけど、魔術は使えなくて。一応練習したんですけど才能がなくって。あとえっと、魔法と魔術は別物だと考えられてるみたいでして魔法を使える人はいないみたいで、」
「ん?魔法と魔術って違うの?」
「魔術師の人たちの間だと区別しているみたいです。私もその、詳しくは知らないんですが」
魔力に魔術。
常識から考えると頭を疑う、とんでもワードを当たり前のように話している。
「魔術についてすっごく興味があるわ!秋灯、私たちから伊扇さんに聞きたいことは魔術の話でいいわよね」
「そうですね。できれば話せることだけでいいので聞かせていただきたいです。魔術師は他にも参加しているみたいですし。あとできれば、通ってきた終末再現都市についてもお聞きしたいです」
「あのあの、魔術については私もあまり知らなくて、人様に教えられるようなことが少なくて。‥‥‥知っているのは魔術の一般的なことくらいで、、」
「全然いいわよ!魔術みたいな奇跡を使える人に話を聞けるだけで私は楽しいわ!」
真賀の時と打って変わって目を輝かしている明音。
あの時は手品でしょと一蹴したはずだが。
この少女は胡散臭くないし、嘘をついているようにも見えない。
「私達が要求してばっかりもあれね。伊扇さんから私達に聞きたいことはない?秋灯は色々と便利よ」
「私はその、えっと。お聞きしたいというより、お願いがあって‥‥」
言いづらそうに口をもごもごさせる。
明音の性格的に「もっとしゃきしゃき喋りなさいよ!」とか言いそうだが、すごく優しい顔をしている。
「えとえと、食料を分けてくださいっ!!」
目を瞑り思い切り叫ぶ伊扇。
そういえば東京で遭遇した時もお腹を空かせていた気がする。
惣菜コーナーで涙目になっていたのを思い出した。
「食料?全然いいけど、そんなことでいいの?デバイスを使って解凍すればどこでも手に入るでしょ?」
「reデバイスだと、その、範囲が狭くて。‥‥回数も三回までしかないですし。それに、魔力を使うとすごくお腹が減ってしまって‥‥‥‥」
恥ずかしいのと申し訳なさが混ざっているような顔で、言葉が尻すぼみになっていく。
「秋灯、食料はどれくらい余っている?」
「昨日の夕食の残りのお惣菜と、缶詰が少しです。今は手持ちが少ないですね。伊扇さん、この家の食べ物はもうなさそうですか?」
「ひぇっ!‥‥‥‥‥‥‥冷蔵庫に入ってて、食べられそうなのほとんど食べてしまいました」
自然な流れで話しかけたが叫ばれた。
そこまで怯えられるのは流石に悲しい。
「この家に他の食べ物は残ってそう?」
「ちょっと待ってください。‥‥‥‥キッチンの戸棚にカップ麺とお菓子があります。押し入れには、保存食の缶詰が結構ありますね。一応解凍しておきます?」
「そうね。他の家は遠そうだったし一旦ここで調達しましょう。伊扇さん少ないかもだけど、一旦食料を提供するわ。他人の家のものだから提供も何もないんだけど」
明音に了承をもらい、《時間解凍》の準備をする。
「座標軸固定‥‥‥完了。認識拡張‥‥完了。立体展開‥‥完了」
「あのあの、何しているんですか?」
「秋灯はねデバイスの使い方が独特なのよ。普通は指定できる範囲が狭いけど、それを拡げられるの」
「記憶開始‥‥完了。
一瞬細かい格子が宙に散って、家屋一つ分の時間が動き出す。
伊扇は口をあんぐりと開けて驚いているが、とりあえずキッチンからカップ麺を持ってくる。
「本当に‥‥動いてる」
畳に触り襖を開け閉めし、時間が解凍されたことを確認する伊扇。
落ち着きなく部屋をぐるぐる回っているが、とりあえずカップ麺を渡す。
「どう?すごいでしょ!」
なぜか明音が誇らしげに自慢しているが悪い気はしない。
一瞬間を置き、伊扇の身体がぷるぷる震える。
「‥‥‥‥‥‥‥すごい、すごいです!これならいつお腹が減っても食べ物が手に入ります!寝床だって、硬い地面じゃなくてふかふかの布団で、畳がこんなにも柔らかいです!!」
興奮気味に喋り出し、涙目になりながら畳に頬擦りをする。
気持ちは分からなくもないが、その姿に内心引いてしまう。
「と、とりあえず、お昼をとりながら話しましょうか。食料も足りなそうなら他の家やスーパーから持ってきます」
伊扇を落ち着かせつつ、後の提案をする。
提供できるものに満足してくれそうで良かった。
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