第28話 募集要項

「カレル・ラーツ……」


 自室にこもって写真を眺めながら男の名を呟いた。名前と顔は知っていたが届いた手紙にはそれ以上の有益な情報が書き込まれていた。社会的な経歴の詳細と過去数年の交友関係、その中には自身が葬り去ったノヴァークとスムトニーの名も連ねられていて、その他の咎人の名もみんなある。そして――


「……紀伯クラブ?」


 聞き慣れないワードにラナンは眉をひそめた。スマートフォンで検索すると二、三ヒットがあって読むとどうやらプラハで以前活動していた高尚な人々の集まりらしい。やっていたことは具体的に書かれていないが、社交界との記載がある。

 だが、届いた手紙にはそれ以上のことが書かれていた。


 紀伯クラブとはカレル王の時代から密かに存在していた貴族の裏社会の集まりで、定期的に行われる会合に参加しては豪勢な飲食をともにしていたという。

 だがそれは表向きの表記で、その実は薬物使用は当たり前の犯罪集団、貧民を招いては鬼畜のような扱いで罵倒し、自らのエクスタシーを煽りたてる狂人の集まりだったと書かれている。


 そして九年前、その場にラナンの母親ルォシー・シェンは招かれた。


 心が凍りそうな事実にラナンは運命のよじれを感じた。母はあの日その場にいってしまったのだ。いかなければ、事実を知っていれば……

 重たい胸の奥で母が魔女の叫びを上げている。呪うような声で助けてと喘いでいる。


 作者はそこまでのことを知って『魔女の火刑』を書いたのだと思うと苦しくなった。また悲痛に涙がこぼれそうだった。犯人の一人なのか、その可能性も少し過った。


 『魔女の火刑』は作者による告発だ。咎人の中には警察関係者もいる。内容があまりに触れるものだから作中ではおそらく紀伯クラブの名自体は出すことが出来なかったのだろう。


 ラナンはなにもいえずに項垂れた。大きすぎる敵だったのだ。


 紀伯クラブについてはそれ以上のことは書かれていないが、カレル・ラーツ本人に近づくためのヒントは書かれていた。自身が理学部に所属していることとそう遠くないことだった。

 自身の身の上も作者にはすべてバレているのかと思うとやり切れない。世界で誰も知らない自身の犯罪を、どこかに存在している作者は確実に知っている。


 この復讐譚もまた作品にするのか。あるいはすべての罪を完遂したときにラナンの罪を発露して、むしろの地獄へと突き落とすのか。自身もまたすでに処刑台に乗っているのかもしれないなと目を閉じた。死んでいったノヴァークとスムトニー、そしてレオナの顔が浮かんだ。


 恐れていてはなにも成し遂げられない、なのに自身はずっと心の奥で葛藤している。




 晩秋のキャンパスには薄手のコート姿の女子生徒も歩いていた。夏の溌剌とした景色とは打って変わっての寂しげな雰囲気に、もうすぐ十年になるのだなと思った。

空に散らばるうろこ雲を見て、丁度このような季節に母とヴルタヴァ川の川縁を歩いたことを思い出した。川の上にかかったカレル橋に建ち並んだ偉人を指さして、全部の石像に「ヴァーツラフだ」というと母は笑った。異国の母でさえ知っていた偉人だが、幼い自身はそれしか知らなかった。


 こうして変わらないのは空だけ。時が過ぎれば人も町並みも変わる。同じだと思っていても経年変化で決して同じものは存在しない。

 ただ、例外的にもう一つ変わらない物があるとすればおそらく為そうとするこの決意だろう。


 講義棟の入り口にある学科の専用掲示板の前には男女がちらほらいて、指差し眺めていた。そこに懇意にしている友人の姿もあった。


「よう、ラナン。インターン決めたかよ」


 みんなどうやらインターンシップ先の企業を探しているようだった。


「やっぱ楽なところがいいよな」

「そうだね」


 いつもより冷めた声で掲示板に視線を這わす。インターンは就職に直結する面もあるから、楽だとかそういうことでは正直ない。でも、ラナン自身もそういう目的で参加するわけではないから友人の考えを否定は出来なかった。


 それよりもラナンの内面は殺意に溢れていた。近づくことを想像しただけでこの猛り。たしかにここにあったはずだ、昨日ちゃんと確認した。


 昨日より情報が増えて肝心の要項が埋もれている。右へ、左へ。ない、どこにもない。


「オレはさ、化粧品会社探してるんだけどよ」


 友人の声は入ってくるようで入ってこなかった。もはや返事もしなかった。

 ふいに視線を留める。


(あった)


 アトミックス社、国内で大手の製薬企業だ。募集要項を入念に確認しスマートフォンにメモしていると友人が話しかけてきた。


「お、ラナンはアトミックスか。競争激しそうだぞ。でもまあ、お前なら楽勝か。先生の推薦取れそうだもんな」


 希望者多数ならば、教師による面談があってそれで決める通達だ。申し込み先の教師を再度確認するとその場を去った。


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