第24話 突然の告白

「幻滅したろう?」

「ううん」


 メイリンは首をふってマリオネットを見ていた。たぶん無理をしていたのなんて彼女にバレバレで、むしろ身の丈に合わない交際を心配していたのだろう。どこかほっとした様子だった。


「わたし義父が亡くなったの」

「えっ」

「心配しないでラナンと一緒よ」


 そういって彼女はベンチに座ろうと誘った。石畳に降りたハトを横目で伺いながら待ったけれど彼女はなかなか話し出さなかった。


「幸せだったわけじゃない。でもラナンには話せなかった」


 どんなことだろうとは思ったがそれ以上は探り出せなかった。


「義父さんが死んで義母さんと二人になってちょっと気が楽になったのね。でも生活費に困るからわたしはあの仕事を止められないの」


 ずっと続けたい仕事じゃないといっていたけれど、それはただの妄想でしかなかった。メイリンにはメイリンの人生がある。関わることなど出来ないし、真面目過ぎる彼女は助けを申し出ればきっと断る。それに己はそういう立場じゃない、罪を重ねた今なおそう思う。


「久しぶりに話せてよかった。どうしてるか心配してたの。また店に来てね」


 エンプティっていったろう、と繰り返すとメイリンは破顔した。


 小さくなってゆく背中を見つめながら自分の犯した罪の重さを再確認した。これ以上は話せない、彼女のためにも。ポケットのなかに忍ばせた人形が疼いているようだったが、必死になだめた。


「大切な人なんだ」


 そういうとようやく主張を止めたように悪意は静かになった。




 帰宅して両親と幸せな時間を過ごした。たぶんメイリンの家はこういう景色とかけ離れていたのだろう。それを察してあげられなかったことも後悔したし、自分にはその優しさがなかった。食べ終えた皿を洗っていると義母が隣に来て洗い終わった皿を布巾でふいた。


「この頃のあなた考え事をしてたからすごく心配してたのよ。お義父さんも。でも今日はご機嫌ね」

「珍しくワインをみんなで飲んだからじゃないかな」

「そうかしら」


 そういって義母はワインを冷蔵庫から出して注ぐとまた飲んだ。彼女が炊事中に酒を飲むことは珍しく、すこぶる真面目な家族だった。


「あなたと初めて会ったときこんな日が来るなんて思わなかったわ、お酒の嫌いな子じゃなくて良かった」


 そうだねと二人でくつくつ笑う。ああ、こういうのが幸せなんだと思った。


「義父さんは酔って寝てるかな」


 手をタオルでふいてキッチンを後にするとそれに義母がついてきた。義父はテレビを見ながらつまみを口にしていて三人そろって話したいことだったから、食卓で向き合うととてもいい雰囲気のなかでラナンは話を切り出せた。

「今度インターンに行こうと思ってるんだ」

「なにそれ」


 義母はよく分からなかったらしいが会社勤めの義父は当然知っている。義母に丁寧に説明したあと、良いんじゃないかとうなづいてくれた。


「社会経験はあるけれど、また会社は違うからね。将来のためにもなる。どこか行きたいところあるのかい」

「迷ってるから相談したんだ」

「ああそうか」


 嬉しいなと言葉を繋いで義父はワインを手酌で注いだ。


「家から通えるところでもいいが、遠くに行きたいならお金も出すよ。遠慮することはない、義父さんの稼ぎをなめるなよ」


 平の社員だということは重々承知している。可笑しくて笑ってしまった。


「ありがとう。その時は相談するよ」


 そう伝えると家計を握る義母は相槌を打ってワイングラスを傾けた。


「ラナンはどういう業界に行きたいんだ、理系だろう。選択肢はたくさんある」

「化粧品でもいいし、薬系でもいいし。学校に募集が来ているところも結構あるんだ」

「自分で開拓する生徒もいるだろう」

「目的の行先があればね」


 実際友人のなかには自分でメール連絡を入れてインターンシップ先を探している生徒もいる。そういうガッツがない訳ではないが、躊躇する事情があった。ラナンにとってインターンシップは単なるインターンシップじゃない。逃すことの出来ない千載一遇のチャンスだった。




 二階の自室のベッドに横になると今日はもう何もする気になれなかった。ちょっと酔った、開かずの引き出しなんて開けたくもなかった。あまり幸せを感じると決意が鈍る。今のままで十分幸せなんじゃないかと思えてくる。


 目を閉じると腕で視界を覆った。天井が回っている。母さんも弱かったのかなと少し思った。

 とりあえず計画のための布石は作れた。両親にインターン先を相談して迷っている、こう告げたことでラナンは少なくとも偶然にその目的の会社に巡り合ったという大きな言い訳を構えることが出来た。警察は勘繰っているが決定的な証拠をつかんでおらず自分は捜査の外側で動いている。あと七人殺さなければならず、さすがに全員と関連を持ったとなるといずれ捜査が及んでくる可能性があった。

 根気との勝負、一点のミスも許されない。


 意識が落ちかけたときスマートフォンが震えた。メイリンからだった。


「……どうしたの」


 くぐもった声が出る。ほとんど寝ぼけたような声が出た。


「ラナン、わたし……」

「どうした、メイリン。話して」


 メイリンは電話の向こうで泣いていた。


「…………の」


 か細い声に嘆息して電話を終えるとジャケットを着た。


 未遂だ。すぐに行くことはないと思ったけれど彼女が好きだった。ちょっと出てくると両親に告げるとメイリンと待ち合わせした郊外へと走った。


 ほんのりと汗ばんで到着するとメイリンは細い体を縮こめてベンチに腰かけて泣いていた。隣に座って震える肩をそっと抱いてやると戦慄きは大きくなった。

 レオナは泣かない女の子だったからこういうことは経験したことがない。メイリンは女性らしい子だった。


「どうしてそういうことしたの?」

「お金に困ってたからよ。でも出来なかった」


 目をぐしぐしと拭って白く細い足を抱えた。結論からいうとメイリンはお金欲しさに男とデートしようとした、でも出来ずにすっぽかした。何度か男からコールがあってその後電話は途切れた。


「泣くことないだろう。なにもしてないんじゃないか」

「しようとしたの、お金欲しさに!」


 デートくらい、と思ったが潔癖な彼女にはいえることじゃない。罪の意識の感じ方は人それぞれだ。


 ラナンは仕方なくベンチから立ち上がりメイリンの前にひざまずくと両手を握った。優しさを見せるのは案外得意ではないが、彼女になら出来る。レオナとアデーラに見せたのとは違う本当の優しさを。


「メイリン、好きだよ」

「えっ」


 メイリンは涙を止めてラナンを見た。


「そういう真面目なところも優しいところも全部キミらしさだ。罪に思わない女性もいるけれど、オレはそういう子は好きじゃない。大丈夫、キミは選ばなかったんだから」

「ラナン……」

「どう泣き止んだ?」


 微笑むとメイリンは少し恥ずかしそうにした。向こうのおじさんに謝りの電話をかけるべきかしらと真剣に問いかけてくるので向こうもそんなこと望んじゃいないと笑い捨てた。


 自宅まで送っていく最中、会話をしてメイリンがその流れで真意を告げた。


「わたし仕事辞めたかったの」


 ラナンは複雑な表情でそれを聞いた。毎日楽しそうに笑顔を作っているけれどそれは本当の彼女じゃない。孤児院で見た彼女の本当の姿はずっとか弱い。寂しさに揺れて切ない目で周囲を眺めている。ラナンが自らを取り繕っていたように彼女もまた自分の本当の姿を隠していた。


 ラナンは空を見た。


「オレが大学出たら一緒に暮らそうか」

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