4章 幼馴染

第23話 メイリン

 手紙の内容は常に頭にあった。でも届いてから仕舞ったきり。

 すべてを順調に運ぶわけにはいかなかった、急いてはことを仕損じる。慎重な性格ではあるが物事を目前にしたときの焦りは見過ごせたものではなく、どこかにある詰めの甘さが顔を出してしまわないように完璧に塗りこめてしまわなくてはならなかった。


 確実にバレずに九人仕留められる方法を。


 この時間すでにカレル橋には多くの観光客がいて、立ち並ぶ偉人たちの銅像を撮影したり、アンティークゴールドの剥げた塗装に触れて願掛けしていく人間もいる。今抱えるこの状況を表現するならばちょうどこの剥げた塗装のようなものだと思った。


 橋の欄干に手をついて目下を流れるブルタヴァ川を眺めると清涼そうなボートがゆったりと石のアーチを抜けていく。誰かれ商売しなければ生きていけない土地柄だが、にぎやかすぎるこの町では何もかも放り出して静かに暮らしたいという情動が沸き起こった。


――たぶん気質に合わないのよ。


 とはメイリンの言葉だった気がする。

 懐かしさに誘われてカレル橋の袂の中華料理屋の門戸をくぐるとメイリンは給仕の仕事中だった。会わないうちにすっかりと黒髪が伸びたようでツインテールは歩くたびに揺れた。こちらに気づくとメイリンは弾むようにやってきた。


「ラナン!」


 なにか告げたいことが大アリなのだろう。文句が山積しているようだった。


「心配してたのよ、誘ったのにどうしてすぐ来なかったの」

「エンプティなんだ」

「馬鹿いわないで」


 客として扱ったことなんて一度もない、あなたとわたしの仲でしょう。そういわれた気がしてほっとした。しばらくメイリンを待つ間ジャスミンティで過ごしていて、暇になってくるとメイリンは盆をテーブルに置いたままラナンの正面に腰かけた。こんな圧迫される空気感じたことがない、どこか変だった。


 メイリンは真剣な顔で手を伸ばすとラナンの両手をにぎった。


「レオナさんのこと話して」

「いやだ」

「ダメ、ダメよラナン」


 頭をふるふると振って今にも泣きだしそうな顔をした。ラナンの境遇を自分のものとして受け止めている。それが彼女の優しさだった。


「辛いんだ、分かるだろう」

「わたしじゃ力になれない?」


 一瞬心が揺らいだ。話したい、本当はすごく。自分の抱えている秘密も、罪も、悲しみも。彼女ならきっと寄り添ってくれる。でも。


「時間が解決することじゃないかな」

「そうね、そう」


 メイリンは諦めた様子でごめんなさい、と言葉を落とした。


 メイリンにはレオナとの交際のことは積極的に話していない。店にだって連れてきたことはない。打算的に付き合っていたわけだし、本来の自分の姿とはかけ離れていたこともあって交際をどこか後ろ暗く感じていた。それでも彼女がその事情に通じているのはデートしているときに偶然会ったことがあったからで、紹介するとレオナはいやらしくマウントして正妻らしく振舞った。


 メイリンは白のフリルのついたエプロンに触れると肩の力が抜けたように小さく笑った。


「わたしこの頃のことを話したいわ。仕事終わりに会えないかしら。二時までなの」

「いいよ。いつもの高台で待ってる」


 約束を取り付けるとメイリンは嬉しそうにして給仕に戻っていった。 




 町のオレンジ屋根の景色が一望出来る高台で昔を思い出していた。この場所は風がよく通る。


 ラナンは母を亡くしてから養父母に引き取られる十五歳までの間、孤児院で過ごした過去があってメイリンとはその時からの仲だった。優しく愛情豊かな子で、多くを話さないラナンを理解し寄り添ってくれた。彼女とはもちろん恋愛関係じゃないがどこか自分を偽らなくていい安堵があって、ともに過ごす時間を居心地よく感じていた。

 去りゆく風にこの町への想いを乗せた。自分たちはここじゃ異物なんだ、筆舌しがたいものを感じていたが懸命に生きているメイリンにいえたことじゃなかった。


「お待たせ」


 振り向くとメイリンは黒いミニスカートを履いて白のフリルブラウスで微笑んでいた。


「いいよ、どこいく」

「図書館いこ」


 メイリンはお金を使うことを好まない、根底の部分では自分と一緒だった。


 図書館のテラスで互いの近況を報告し合った。ラナン自身に話せることは少なく、メイリンの近況がほとんどだったがそれを楽しく聞いた。彼女は自分と違って高校も大学にも通っていない。でもその分多くのことを経験している。可愛らしい彼女は当然モテるだろうが、それを匂わせたことは一度もなかった。


「ねえ、聞いてるラナン」

「ごめん、なんだっけ」

「もうほらやっぱり聞いてない」


 メイリンはつんと唇を上げるともう一度同じ話をしてくれた。店のメニュー開発の話で店主が今度味見に来てほしいといっていたこと、客のおじさんと仲良くなってチップをほんの少し多くもらったこと、彼女の話している穏やかな日常は自分の日常とかけ離れている。だからこそこれ以上は話せないなと思った。


 図書館から出てカレル広場を掠めると観光客が何かを取り巻いていた。町中でよく見られるマリオネットのショーだ。

 目にした瞬間右ポケットの重さが気になった。こんな時でさえ肌身離さず持っているなんてどうかしている。ラナンの懸念を読んだようにメイリンがぽつり呟いた。


「私マリオネットって好きじゃないわ。不気味だもの」

「みんなには聞かせられないな」


 そうやって薄く笑うとメイリンは真顔でこう答えた。


「母国では傀儡くぐつと書くでしょう。漢字を知るまではそう思わなかったのよ。でもやっぱりあなたもわたしもルーツはそっちだからどうしてもそう捉えてしまうのよ」

「キミもオレも母国はチェコだ。中国の地を踏んだことさえない」


 そうね、そういってメイリンは視線を伏せた。普通に生きているようで日常的に差別はある。決して口にしたことはないけれどお互いに。両親のいない寂しさがそれを押し上げているに過ぎなかった。


「メイリンはこのままあの店で働くつもり?」

「分からない」


 愛着は感じているが、ずっといることを選択する場所じゃない。いつだかそう語っていたことを思い出した。大学にいかなかったメイリンは自分よりも将来の選択肢が少なく、でもそれはメイリンが選んだことでなければラナンが選んだことでもなかった。


「幸せって分からないわ。ずっと正体が分からないでいる。結局それだけが欲しいのに押し寄せる毎日がそれを邪魔するの。日々の仕事に追われて、忙しくしていると一日が終わってしまう。わたしたち二十歳よ。なのにずっと変わらないでいる」


 変わらない良さってあるだろう、うわべだけの台詞を思い浮かべて口を噤んだ。メイリンにいうことじゃない。二人の関係を考えれば自分を取り繕う必要なんてない。


「レオナは好きじゃなかったんだ」


 メイリンがふっと視線を上げた。返答は浮かばなかったようだが静かに聞いていた。本音だった。


「会えなくなってほっとしている」

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