第4話 逢瀬
夜の帳が下りて、プラハにも眠りが訪れると恋人たちの逢瀬が始まる。
裏通りのホテルの一室のべッドで熱の過ぎ去った体を寄り添わせて、レオナと無垢の指を絡めていた。セピア色の薄明かりで彼女の明るいブロンドがシックに彩られている。乳白色の豊満な胸の谷間には、昼間、ラナンの贈ったブルガリのネックレスが輝いていた。
「わたしコレ貰った時、プロポーズだと思ったわ」
「もっといいもの贈るよ」
笑いながらふかふかの枕に顔を埋めるとレオナがふふと笑った。
「わたしそういうのお金じゃないと思ってるの」
「でもブルガリ好きでしょう」
ラナンも笑ってしまう。自分でいっていても何か可笑しかった。率直過ぎる会話を交わす恋人たちがどれほどいるか、この国の人間は大人になればふつうは遠慮し合うものなのだ。
でも彼女とは密にそういう会話が出来ている。
「卒業したら、結婚してくれるって本気?」
ラナンはくるりと顔を向けると、レオナの頬にかかったミディアムボブの髪を耳にかけてやってじっと猫のような瞳を見つめる。鈍い輝きが琥珀の深淵を鮮やかに映し出していた。
「そういう人は少ないって知ってるさ。大抵この国で学生時代の愛は続かない。人生に熟慮する人も多いから。でも僕はレオナと結婚する」
「約束してくれる?」
「プロポーズじゃないんでしょう」
そういうとラナンはけらけらと笑った。
「もう!」
ついっと唇を突きだして、レオナがキスをせがむので甘く触れた。この耽美な部屋は無垢な愛を寄り添わせるには狭い。それでも彼女との過ごすべき時間だと思っている。
「ねえ、ラナン。お父さんあなたのことを気に入ったと思う?」
「分からないな。中国系だって意識してただろう」
「そんな風にいわないで」
「別に非難してるんじゃないよ」
「少しは誰でも気になるものでしょう」
ラナンは皮肉る表情を作った。
「さあ、ボクはある意味チェコ人じゃないから」
「チェコの国籍でしょう」
「チェコ人のアイデンティティはあるよ。でも血は流れてるのかな」
レオナはもうっと口をへの字に曲げたがすぐさま凪いだ表情を作る。そして、いい聞かせるようにラナンの頬に細い手を添えると薄ピンクの唇を開いて儚く微笑んだ。
「あなたの瞳も、この巻いた黒い髪も。少し低い声もとても好きよ。自分が何者か考えないで」
ネイルの先端で喉仏に触れられながら吐息を交わす。
「つまらない袋小路に迷い込むからね」
絡ませた指先に愛をこめて握り返すとラナンは静かに瞳を閉じた。
「夏休み入ったらどこか遠くへ行かない?」
甘ったるい夜が過ぎた早朝のホテルの一室で、あられもない格好だったレオナが身支度を整えながら問いかけてくる。空はすでに明るい、また清々しい一日の始まりだ。
形のいい胸を黒のタンクトップの中へとしまう衣ずれと、ワンピースの背中のスライダーを引き上げている音がする。ラナンは彼女の問いかけをシャワールームの鏡の前で聞いていた。
「バイトだよ。お金ないから働かないと」
「私が出すわ」
「そうもいかないでしょう」
オペラシューズの踵を小気味よく鳴らしながら歩いて来る音が聞こえた。
鏡の前でコンタクトをつけ直していたラナンの引き締まった半裸に腕を絡めると彼女は猫のような声を出す。
「愛してるのよ、愛情の前借りでよくないかしら」
頬を背にぺたりとあてて、じっとりと抱きしめてくる、こういう態度だ。
わずかに人にもいえないような粘着質な反感を抱いたが、それを直接にいい表すことはしなかった。いい加減、比喩せずにものがいえないかとも感じたが。
「借りが出来過ぎて怖いな」
こちらのどこか冷めた声にもレオナは気付かず惚けている。愛ある時間を過ごして、今はまだそのまどろみの中にいるのだろう。
彼女は指を這わせて首筋に顔を埋めると柔らかく、いいのよと吐息した。
「パパに相談してみる。ファーストクラスで行きましょう」
「レオナ、……僕じゃ不満かい」
ようやく失言に気付いたレオナがぱっと背中から離れた。
「ごめん、そういうのじゃないの。あなたとならエコノミーでもいいわ」
焦り、瞳を震わせとても不安げな様子を見せたので内省する。
(言葉が尖り過ぎたか)
急に泣きそうになった彼女に、宥めるように優しくキスしてみせる。
「ごめん、意地悪いった。お父さんに頼んでビジネスにしよう。良い子だから外で待ってて」
こちらの精いっぱいのユーモアを受け取ったレオナは恥ずかしげに笑い、分かったといい置いて室内に戻った。
再び、今度は少し遠くからレオナの声が聞こえる。
「わたし、カナダに行きたいわ」
「カナダのどこに行きたいの」
ラナンもまた声を張り上げる。
「キャンプしたい」
「いいね」
顔を突き合わせない恋人同士の会話をレオナは楽しんでいる様子だ。まだ、会話は続いているがラナンはバスルームの扉をばたんと閉めた。
洋服を脱ぎ終えるとバスタブに入り、シャワーを捻って彼女の愛を洗い流し、髪を掻き上げる。イヤなローズの香りが毛根にまで染み込んでいる。
目を閉じると流水音に言葉を紛れ込ませた。
「
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