第9話 謎の手紙

 甘えるレオナを押し留めて次のバーでお開きにして市街地の自宅に帰ると、養父母はサスペンスを鑑賞しながらオリーブグリーンのソファでくつろいでいるところだった。木目のテーブルには塩味のナッツミックスとピルスナーウルケル。そう広くないリビングだが、優しい家具はカントリー調が好みの義母の選んだものだった。

 絶叫は廊下にまで聞こえている。毎週放映されているこのサスペンスは面白いと評判で、普段ドラマを観ない両親でさえ好むほどに視聴率が良かった。


 リビングに入ると、二人でお帰りラナンと振り向いてくれた。この環境が数年間で自身が手に入れた最大の成果といえるだろう。


 帰宅の挨拶を丁寧にして、二階の自室にこもると鍵をかける。侵入者がいては困ると一応の警戒を見せて机の引き出しを開けた。

 誰にも見せられぬ今生の秘密、義父母はどうせ恋人との思い出を入れていると思っているだろうが真実はそうではない。中から二つ折りの真白い便せんを取り出した。一年ほど前にポストに突っ込んであった差し出し人不明の茶封筒の中に入っていたものだ。


 消印はプラハ郵便局、日付けは七月二十日。それ以上のことは分からない。ラナンはこの手紙を誰にも見られぬように、この一年間ずっと隠し通してきた。

 手作りの黒いキルトのベッドカバーに横になると便せんを天に掲げる。二枚のうちの一枚目には瀟洒な字体でこう書かれている。



――『罪人たちの名前を知っている』



 二枚目をめくると名前と住所の一覧があって、その一番目に書かれていたのが、ルドルフ・ノヴァーク。すなわちレオナの父親だった。

 名前は全部で九名分あって、そのどれもが調べると社会的に名のある人物や資産家だった。それは同封されていた『魔女の火刑』の初版とも内容が一致する。


 手紙の示唆する罪人――ラナンの人生において罪人とは彼らのことでしかない。


 書籍を初めての時は震えながら読んだ。二度目は号泣しながら読んだ。三度目になると根腹を立たせ読んだ。


 ラナンの本当の名前を知っている人物がこの世にまだいたのかと、なぜ差し出し人は過去の事件の仔細を握っているのだと。それもラナンさえ知りえようもなかったことまで何故調べ上げているのだと。


 レオナのように著者の関与を疑わなかった訳じゃない。実際、ラナンは確かめるために一度手紙を書いた。あなたは事件に関与していたのかと。でも即座に握りつぶした。リスクがでかすぎる。


 差し出し人が著者のヤン・エポカではないという可能性がいつまでも付きまとうから確かめようがなかった。ただ、記載された名前の人物に近づいて真相を探ることは出来る。だからこそわがまま娘の相手をしてまで父親に会ったのだが。

 この一年どれほどに苦慮したことか。


 足を組んで天井を見つめながら、無意識に右手の指を動かしていると小さなマリオネットが踊っていた。張り付けたような笑みを浮かべて、くるくるとメリーゴーランドのように回る。奇怪な彼の考えていることはいつになっても分からなかった。


「ディアベル、まだその時じゃないんだ」


 復讐を遂げようとするものの正体は悪魔以外のなにものでもないだろう。だからそう名付けた。言葉の響きに嫌悪などない、自分もまたそうなろうとしているのだと知っているから。


 奇怪なダンスを見つめながら静かな心で自分に出来るのか、それをずっと確かめている。


 ふいに部屋のドアがノックされてドキリとした。

 鍵を開けて出ると義母が微笑んでいた。


「義母さん、なに?」


 感じよく笑うと義母が手紙を差し出した。


「昼間、あなたに手紙が届いていたわ」

「えっ、誰だろう」

「分からないわ。そういうの前にも来たわね。ラブレターよ。でも、時代じゃないかしら」


 冗句を残していく義母にありがとう、と礼をいってもう眠るからと伝えると彼女は階段を下りていった。

 もう上がってこないだろう、ドラマもじきに終わる。鍵はかけずにそのままベッドに腰かけると封筒を開けた。真白い封筒に心が騒ぎ立つ。差し出し人が違う可能性も無くはないが。


 テグスでがんじがらめにされた傀儡のような感覚が全身を纏っている。手紙の主は自分をどうしたいのだろう、真実を面白おかしく暴きたいだけなのか、復讐そのものを演出したいのか。


 ラナンは一枚しかない便せんを見て目を剥いた。



――『キミのためにカードは切った』



 中には万年筆の瀟洒な字体でそう書かれていた。


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