第26話 孤児院
魔女先生は二人が育った孤児院にいた先生だった。美しいブリュネットが特徴の物静かな優しい先生。魔女なんて呼ばれているけれど髪の毛以外の由来は分からない。魔女みたいに黒ばかり着ていたわけでもないが、自然とみんなそう読んでいた。大人しかったメイリンは特に魔女先生が大好きで、ラナンもまだいなかった幼い頃は魔女先生のひざに乗って絵本を読んでもらっていたという。
まだ働いていて健在だったけれど、二人は訪れる機会もなく会うのは久方ぶりだった。石造りの孤児院の小さな門戸をくぐると大勢の子供たちが出迎えてくれた。大きい子は知っているが小さな子は顔さえ見たことない子が何人かいる。以前の訪問時からまた入れ替わったらしい。
「まあ、二人ともお兄ちゃんお姉ちゃんになって」
エプロン姿の魔女先生が子供たちに遅れてやってきた。少しやせただろうか、足も悪い、でもそれ以外は元気そうだった。
「ご無沙汰してます」
そういって紙袋を渡すと魔女先生は嬉しそうにした。
「まあ、ワイン! 大好きなの」
知ってますとラナンは笑った。実際、魔女先生のワイン好きは有名でラナンのいた当時も孤児院には使用済みのコルクで作ったおもちゃがいっぱい転がっていた。
奥からピアノの演奏が聞こえているがこの拙さは恐らく年少だろう。弾いている曲はメヌエット、ラナンのいた当時からボロの楽譜を使いまわしていた事情は変わらないようだった。
ピアノのある一番広い部屋にいって座ると三人で話をした。人懐こい子供たちは遊びたそうにしていたが魔女先生が上手くあやしているおかげで話すことが出来た。
途中で買ったおもちゃの袋を渡すと子供たちは群がって我先にと持ち去る。十分な数がなかったので魔女先生が仲良く渡しっこしてねと声を添えた。
「楽譜も今度買ってきますね」
同じ曲の繰り返し。どんなに上手に弾けてもこの孤児院にいる子にピアニストになる未来はない。そういう思いはさせたくなかった。
「メイリンも当時は上手く弾いていたわ」
「もう分からないの。忘れてしまったから」
そういって視線を配ると子供たちの輪に加わらない子がいた。じっと観察するように見ている。
「オレはああいうタイプだったかな」
「おいでなさい、マイケル」
手招きすると魔女先生の膝にのってまた至近距離でじっと見てくる。人を拒んでいるわけじゃない。慎重なんだ。
「欲しいおもちゃあるかい、今度持ってくるよ」
そうするとしばらくしてマイケルは口を開いた。
「マリオネット」
一瞬、言葉を無くした。だが動揺を悟られぬように笑みを作る。
「マリオネットが欲しいのか?」
マイケルは首をふるふると左右に振った。床を指さしこう喋った。
「マリオネット落ちてる」
ラナンが視線を落とすとポケットから小さな漆黒の人形がこぼれ落ちていた。ぞっと肝が冷えた。
「やあね、ラナン。マリオネットなんて持ち歩いてるの」
そういって手を伸ばしたメイリンが手を伸ばした瞬間――
「触るな!」
白い手を払いのけてしまった。メイリンはすごく驚いた様子でラナンを見た。
「ごめ……落ちてたから拾ってあげようと思って」
メイリンは払われた右手を胸の前に抱き寄せると目を丸くしていた。
「大げさよ、ラナン。メイリンもびっくりしてるじゃない」
「すみません。でも大事なものなんです」
そういって速やかにポケットにしまった。こんな悪意、メイリンに触らせていい物じゃない。幸い二人ともおかしく思わなかったようでそれ以降その話題に触れることはなかった。
二人がお茶の構えに引っ込んだところでラナンは縁側に座った。殺風景な園庭には小さな運動場があるが大した遊具は置いていない。植物すら生えておらず錆びたジャングルジムがあるだけ。老朽化が進んで建物自体が古くなっている。職員も若い人はおらず少ない。でもラナン自身にはどうしようもないことだった。
ふと郷愁に駆られて、ここにいた当時のことを思い出していた。
母を失ったラナンは間もなくこの孤児院にやってきた。友人はすぐには作れず、この縁側で外を見て過ごした。心には悪意が潜んでいて母を殺したやつらを八つ裂きにしたい。呪い殺してやりたい。その一心だった。たぶん目の色が他と違っていたのだろう。魔女先生以外の教師と子供たちは次第に離れていった。
そんな中でメイリンと仲良くなれたのは自然な流れだったけれど決してラナンからじゃなかった。メイリンは屈託なく話してくれて徐々に両親のいない秘密を少しだけ共有した。
「母さんは殺されたんだ、金持ちたちに」
あの頃の突飛な会話をメイリンはおそらく覚えていない。魔女の火刑が出版されて以降もラナンにその会話を持ち出したことはなかったから。ラナン・シェンという名前も過去のものとなりつつある。こうして孤児たちもプラハの文化の中に埋没していく。
「ラナン、お茶よ」
呼ばれて振り返るとクッキーと紅茶を乗せた盆をメイリンと魔女先生が運んできた。今更振り返ることはない、どうせあの頃には戻れないんだ。ラナンは立ち上がると輪に加わった。
しばらく楽しくお茶をしていたけれど、子供たちがほとんど追いかけっこに出払って残されると魔女先生はあの話を切り出した。
「メイリン、ラナンに電話で相談されたんだけれどね」
メイリンは顔を上げた。
「あなたここで子供たちの面倒を見ないかしら」
「えっ」
メイリンが視線を向けたのでラナンは軽く会釈した。
「お給金はあまり良くないの。でも毎日子供たちの笑顔を見られて自分らしく過ごせて。わたしはとっても好きなお仕事よ」
想像もしていなかった話にメイリンは当惑した様子だった。
「でもわたし……」
「断る理由ある?」
ラナンが問いかけるとメイリンはふるふると首を振るった。
「いいの、先生。だってこんな」
「あなたならみんなのこと大好きになってくれるわ」
メイリンは潤んだ瞳で魔女先生を見ていた。ラナンはメイリンの頭に手を置いてこういった。
「大学卒業したら迎えにくるから。それまでここで待ってなさい」
「まあ将来の約束ね、素敵」
魔女先生が言葉を添えるとメイリンは泣きそうになってぐっと目を閉じた。
「ラナン、わたしここにいてもいいの」
「いいよ」
「本当に?」
「本当に」
メイリンは目をぬぐって何度も確認するように二人を交互に見た。
一旦の帰宅となって二人で帰るところを子供たちが見送ってくれた。その中にマイケルはいてじっとやっぱりラナンの方を見ていた。何かを感じ取っているのだろうか、意味ありげに近づいてくるとそっと耳打ちした。
「魔女は焼かれて死んだんだ」
ラナンは目をすがめると「魔女先生のこと?」と問い返した。
「マリオネットのこと」
「読んだのかな」
「……」
恐らく魔女の火刑になぞらえているだけ。なのに心臓が爆ついている。院内に一冊転がっていたから自分で読んだのだろう。マイケルは返事をせずに院内に去った。近寄りがたく不気味な子だった。
「何の話をしていたの」
メイリンに問いかけられるとラナンはこう答えた。
「やっぱりマリオネットが欲しいそうだ」
孤児院から帰るときに初めてメイリンから手を繋いできた。
「嬉しいよラナン。わたしやっぱり好きなんだって思えた」
「そうだね、お互いに」
彼女が魔女先生のところにいてくれるなら安心だ。自分はこれ以上関わることが出来ないから。
確かにそういう未来が描けたらと思わないわけではない、でもラナンにはたぶん不可能だ。復讐に身をやつした時から覚悟はしていた。ポケットのディアベルがいやらしく復讐に駆り立てる。心の中で幸せはおしまいだと呟いた。
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