第15話 大学生

「ラナン、スムトニーの所にいったんだってな。掘られたのかよ」


 ラナンはぶっと泡を吹いた。つられて周囲の友人も笑っていた。


「止めろよ、あり得ないだろ」


 けたけたと笑いながら友人がオーダーの手を上げた。若い店員が注文を取りにくる。

 狭い安価でモダンなホスポダには理学部の生徒が集う。店によってここは文学部いきつけの店だとか、医学部の縄張りだとかそういうことはあるが、大抵それぞれのキャンパスの近隣を好むので被ることは往々にしてない。

 ただ、騒ぎすぎる理学部の学生を忌避してかこの時間店に飲みにくる壮年の社会人はそうおらず、退職老人の姿はちらほら見かけるがごく少数だった。


 木のテーブルに角皿が置かれ、フレッシュなリーフとポテトの添えられた揚げたてのシュニッツェル(ポークカツレツ)が匂い立つ。輪切りのレモンを絞って、一切れつまみながら友人の一人が饒舌に話した。


「どこも三年になる前から優秀な生徒を囲ってるんだよな。オレもセミナー内緒で三つ通ってる」


 ズルをしようとする教師のさらに裏をかいて、かけ持ちしている生徒がいたとはこれまた驚きだ。よくやるよ、と小突いた。


「でもなあ、スムトニーか。あんまり面白味がねえんだよ」

「高分子?」

「スムトニーが」


 これにはみんなで手を叩いて笑った、異論はない。


「ラナンは狙われてんだよ」


 なにが、と互いに笑って会話を続ける。


「セミナーなんかいってたらバイトできなくなるし、今からなんて無理だよ」

「おれさ、メンテル教授のところいったけど、あそこは面白かったわ」

「どんな研究やってんの」

「ペロブスカイト」

「ふうん」

「分かるの?」

「いや、分からんけど」


 友人同士がけたけたと笑いながら奇怪な乗り突っ込みをする。ラナンは苦笑した。


「僕もそっちが面白いんじゃないかと思ってたけど」

「ラナンは余裕だよな。女は切らさないし、勉強できるし。将来は決まってんだろ」

「苦学生だから働いてるんだよ」


 ジョッキを置くと友人が少し怪訝な顔をした。


「金のかかる女がいなくなったんだ、そんなに働くことないだろう」


 おい、過ぎるぞと友人の一人が酔った彼をたしなめた。


「レオナのことはそういう風にいわないで欲しいな」


 少し冷めた声でいうと空気が俄かに静まりかえった。直接的に怒りを感じたわけではなく、どこかで冷めた自分が事件のことを見定めている、そういう感覚だった。


「あのさ、ラナン。レオナは」


 ん、と顔を向けると友人同士が牽制し合っていた。なにか告げたいことがあるのだろう、「いいよ、いってよ」と言葉を促した。


「お前のことはみんな好きだけどさ、正直レオナはそうじゃなかったな。いつでもお高くとまってたし、ブランド品ばっかり見せびらかして。親友がバイトで買った彼氏へのプレゼントのネックレスもそんな安物みっともないって馬鹿にしたんだぜ」


 目をすがめると記憶を掘り起こした。そういうところも決して無かったわけではない。


「みんないってたんだぜ、女の趣味悪いって」

「心配ありがとう」


 苦慮した記憶しかないけれど、こうして卑下されると彼女も華やかな人生と引き換えに惨めな立場だったのだなとそう思えた。記憶の中で彼女の思い出がくすぶっている。


「でもやめよう。故人のことなんだ」


 そうだな、とみんなしんみりとした泡を飲む。それに反論できるものは無かった。


「でもさ、捕まるといいよ。あんなの無いぜ」


 友人の一人が後味悪そうにこぼした。彼らは遺体が揃って欄干で燃えていた悪夢を知っている。凄惨な事件は学生たちの心にも暗い影を落としていた。

からんとドアベルが鳴り、華やかな気配がした。


「おい、女子だぜ」


 入店してきた優等生の六人グループを見て、友人の一人が声を弾ませた。一人がさっそく立ち上がり飲みに誘う。女子たちは少し戸惑っていたが、無理やり隣のテーブルとくっつけてイスを近くに掻き寄せて。こちらからすれば下心だと丸分かりけれどあくまで紳士的に。腹の内を露骨に出す馬鹿はいない。一緒に飲もうよという誘い文句で絆を作る。いつもより軽すぎる友人たちのフットワークに失笑しそうだった。


 学生同士で馬鹿騒ぎするでもなく、落ち着いて飲んでいる。女子が混ざったことで下ネタはなりを潜め、会話は少し爽やかに学生らしくなった。どいつもこいつもよそ向きな顔で知性を気取っていると思うと可笑しかった。


 女子グループの中にはレオナの親友のアデーラがいて、明度の低い照明の下だと彼女のブリュネットは漆黒に見えた。胸元までボタンを下げた青のストライプシャツを着ており、本人の気真面目な気質とは裏腹に男を誘っているようだった。


 アデーラは一番遠い斜向かいでラナンの友人の相手をしているのだが、話を合わせながらも目はこちらをちらちらと見ている。淡いプラムのカクテルを飲みながら送ってくる視線と時々合う。どうしたものかなとアルコールに酔った頭でふと考えた。


 深酒をしてトイレにいった帰り、ふらつき廊下に出るとアデーラがいた。狭い通路なので避けようとしたが、肩が触れ合う。そのまましなだれかかるようにアデーラに抱きつかれた。


「おっと」


 足元がおぼつかない様子だ。彼女の引き締まった体を支え、顔を上げさせた。華奢で豊満だっただけのレオナとは感触が違う。色気ある二の腕だった。


「ラナン」


 艶っぽい声で名を呼ぶとアデーラはラナンの胸に縋りついた。そのまま顎を上げると呼気を交わした。

 腕を背に回し、首筋を撫でてくる。痺れるような熱が背中を駆けあがった。夢中のキスの合間に言葉を紡ぐ。


「アデーラ、酔ってるだろう」

「そうよ、あなたが好きなの」


 レトロな赤い照明に音が消えていく。そのまま廊下で抱き合った。


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