第16話 アデーラ

 昨夜の記憶はほとんどなかった。起きるとホテルの一室で隣にみだらな姿でアデーラが寝ていて。起き上がろうとすると頭痛がした。横たわる。久しぶりの深酒だった。

 緩く起き出したアデーラがこちらをみると愛しげにキスを落とそうとする。それを避けるとアデーラは少し驚いた様子だった。


「ごめん。やめよう、こういうの」

「どうして」


 大人しいくせに彼女はこういうことが出来てしまうのだ。ラナンはベッドサイドに腰かけると落ちていた衣服を拾い上げる。まだ早朝だった。帰宅する時間はないが、そのままでいけば一限の講義には間に合う。


「付き合えないよ」

「わたしはいいのよ」

「僕がいいって風に見える?」


 そういいながら右手を振った。


「あなたは大切な人を失ったばかりだって分かってる」

「キミもじゃないのか」


 それには答えられない様子だった。親友だろ、と暗に込めたつもりだがそれには応じなかった。女同士の関係はよく分からない。

 アデーラもベッドの反対側でこちらに背を向けると黙って服を着始めたようだった。なにかいいたそうだった。


「……スムトニー先生のところいくんでしょう」


 昨夜飲みの席で話のネタになったのだろう。そう問いかけられた。


「決めてない」


 心の中では凡そのことを考えているが、自分とアデーラの間には関係の無いことだ。


「わたしもいこうと思ってるの。高分子化学について興味あったし、卒業後は医薬品系の研究職に着きたいから。一緒にセミナーに通わない?」




 一限目は何だか調子が悪くて休み時間にトイレでもどした。授業内容も入ってこなくて、仕方が無いので二限は次の手についてぼんやりと考えていた。

ユリウス・スムトニー、次のターゲットは分かっている。


 研究室に誘われた時はチャンスなんじゃないかと思った。だが、この学棟の研究室はセキュリティーで入退室を厳しく管理されている。監視カメラも随所にあるし、有事の際はすべて学校側も警察も検証することが出来る。教授と親密になり真偽を確かめることは必要だが、万が一研究室に所属して事件が起こり、出入りしていた人物の中に自分の存在があればレオナとの接点もあるから当然自身は警察に疑われる。


 その条件下で母の死に関連していたことを器用に突きとめて、教授の罪を糾弾して……


(一人じゃ無理だ)


 手詰まりでシャープペンシルを置いた。ちょうど教師がナノ粒子について論じたとこだった。

 出席を記録するカードリーダーが回ってきたことに気付いて、手を伸ばすと隣にはアデーラが座っていた。彼女も自分と同じように依れた昨日の服をそのまま身につけている。


 ふと昨夜の熱が断片的に蘇る。指をこんこんと机に打ちつけた。

 彼女なら、あるいは。


 講義が終わると昼食に向かおうとするアデーラを呼びとめて話しかけた。今朝の妖艶な顔はなりを潜め、いつもの控えめな態度。嬉しいようだが、それは露骨に出さない。レオナとは真逆のタイプだった。

 話しづらさは感じたが、極上の笑顔を張りつけてみせた。


「アデーラ、付き合うっての本気だった?」


 すると意外にもアデーラが座りましょう、と促した。二人で講義室の外の木製のベンチに座る。うそぶいた愛を語ると想像していたがそうではなかった。


「あなたは今朝、レオナのことを気にしていた。なのに授業が終わったら気が変わった。どうして?」


 極めて理知的な喋り方をしている。彼女は頭がいい。主導権を握ろうとしているのかと過った。


「レオナとは別れようと思っていたんだ。その矢先の事件だったけれど。僕にはキミのような聡明な女性の方が合う」


 相手のプライドをくすぐるような言葉をチョイスしたが、出方がよく分からないでいた。正直、こんな会話は自身のキャパシティをとうに越えている。精一杯の気取りだった。アデーラはそう、と視線を斜めにそよがしている。


「わたしは」


 言葉を溜めたあと、首を振った。


「あなたがそういってくれるのならそうしたいわ。でも、わたし案外つまらない女かもしれないわ。真面目だし」


 ああ、そうか。本当の彼女は。


「アデーラ、昨日のキミは最高だった。そばにいてくれるのはキミしかいないよ」


 真っ直ぐ見つめるとアデーラは少し頬を染めて頷いてくれた。

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