第34話 代償

「ふざけるな!」


 ラナンは感情を隠しきれずに爆発して叫ぶと右手を水平に振るった。マリオネットが砕け波打つ。木の打ちあう音がからからんと虚しく鳴った。

 話し終えたラーツは地面の砂をなじっている。その姿には後悔もなければ反省もない。むしろ抱えた罪を誰かに発露して偉ぶりたい、異様な喜びが漏れ聞こえていた。


「キミの推測通り、わたしたちは骨を持っている。例えばあの物語、魔女の火刑に記されたように」


 そういってポケットから左手を差し出すと小さな骨身のマリオネットをすとんと自由落下させた。

 その乾いた音にラナンの心が凍る。


「まさか……」

「そう」


 下劣の心が満悦に反った。


「これはルォシーだ」


 小さな骨身のマリオネットを作り上げている小さなそれは母の欠片の――


「うわああああああああああ」


 心が破けて血が煮えたぎる。喉の奥で脈動が爆発しそうに轟いた。

 ラナンは胸を押さえつけて、理性を保とうとする。しかし、感情が乖離しそうに暴れて抑えられない。


 身を屈め、一筋の涙を流すと濡れた瞳で相手を睨みつけた。


「許さない……絶対に。そういうことが許せるはずが無いだろう!」

「その乱れた心でどうしようというのだ。それほどに繊細だろう。犯した罪にさえ、潰されそうなほどに」

「知った風に語るな!」

「私たちはその罪を九年間隠し通してきた」


 言葉とともにラーツが静かな祈りを込めると地面に極大の魔法陣が出現した。紫の淫蘼な光を宿した六角から巨体の躯がぬるりと這い出てくる。

 その異形の姿を見て息を飲む、無情の死に狩り取られたルォシーの亡き骸そのものだった。


「マリオネット呪術はお前だけの芸当ではない」


 恐怖にひれ伏せと言外に含めて男は偉ぶる。ラナンは怒りのままに叫んだ。


「ディアベル!」


 叫びに同調して赤の光の魔法陣が地に描かれる。中から死に装束を纏う悪魔がゆらりと出現した。この世のすべての怨念を背負った象りのように風を戦がせている。極限まで高められた情動にラナンの心は打ち震えていた。


 先刻から降り始めた涙雨はやがて大粒の落涙となり、無機の地を叩く。曇り空から遠く天雷が聞こえてきた。

 青い稲光の光った瞬刻、二つの巨体が地を蹴って躍動した。


 悪魔が細みの健脚で泥を跳ね上げ、腕を袈裟切りに振るうと骨身の躯は涼やかに身を翻した。一直線に無駄のなく軽やかなその動きはまるで科学者としての冴えのよう。おそらくラーツの人形捌きによるものだ。


「ルォシー」

「母の名を呼ぶな!」


 間合いを測りながら戦う躯のスタイルに対し、ディアベルは前衛的。渇望していたように戦いそのものを求めている。それは抑えきれないラナン自身の自我を露わしているかのようにも見えた。スティックを荒く繰るとディアベルが腕を大仰に払った。骨を微かにかすめ残像が煙る。


「お前は傷ついているのではないか」

「なんのことをいっている!」


 心に浮かび上がったのはスムトニーの怯え、ノヴァークの死の汚らしさ、そしてレオナのあの無垢の……


 感情的過ぎる。


 渋面を作るとディアベルを後退させた。薄闇色の脚が泥水に突っ込む。

ラナンは空いた左手で印を切ると言葉を唱えた。同時にラーツもまた呪を唱え出す。

 互いの使い魔の手元に出現したのは炎のワンダーと首狩りの刃鎌、空を切って二つで激しく打ち合う。裂音のあと虚空に閃光が迸った。


 深紅の瞳を輝かせ、至高の喜びに震えた悪魔はワンダーを乱打する。触れれば焼死するほどに高められた熱をも骨身は軽く去なす。

 一方的な勝負に見えてなにも利いていない。心酔するほど馬鹿ではない、躯にはなにか隠しごとがある。底知れぬ力をラナンも感じ取っていた。


 目の前で繰り広げられる鮮やかな戦いを見届ながら、ラーツはくつりと笑うと三本の指を掲げた。


「お前では勝てない三つの理由を教えよう」


 そうした口ぶりは決して慢心からではない。おそらく力量の差だろう、彼にとってはなんでもないことなのだ。


「一つ、わたしはお前より優秀だ。謀りごとに長けているといってもいい」


 躯が反転攻勢に出た。刃鎌が悪魔の腕を絡めとると接触面から紫煙が立ち上る。ぎりぎりと鎌を引く薄気味悪い音がしていた。


「ディアベル」


 後退しようとするも操作するマリオネットが動かなかった。ほぞを噛む。


「二つ、お前はルォシーを殺せない」

「――っつ!」


 スティックが重くしなった。身を軽く振った躯に視線を奪われる。陥没した頭骨の奥で母が笑っている。泣いているはずなのに暗闇から浮かび上がるように笑っている。

 相手は心理を揺さぶる戦い方をしているのだ。眉をきつく寄せて戦局を凝視した。互いとはいえないほどにむしろ――


「三つ、お前は代償を払っていない」

「代償とはなんだ!」


 苛立ち交じりに吐き捨てた。あいつの再三口にする代償、とは……


「そう」


 そういってゆっくりと伸ばされた四本目の指を見て、ラナンは凍りついた。


 小指が第二関節から欠損していた。


 瞬刻の動揺に躯の魂が極大に膨れ上がる。そのまま真っ直ぐ心を飲まれた。

 魔法陣の中央から吹き出した数多の鎖が悪魔の痩身を絡めとる。地獄の鎖に巻かれながらディアベルは終局の雄たけびを上げた。


「ヒギャアアアアアア」

「そんな……」


 目を見開いてラナンは唖然とする。紫に輝く魔法陣に悪魔が沈められていく。その消える瞬間までディアベルは喘ぎ轟いていた。


 姿が消失すると手元のマリオネットが崩壊し、砂塵のように地に落ちた。

降りしきる雨が心を叩く。日の暮れとともに勝負は決した。

 ラナンは膝を折り泣き叫ぶしか出来なかった。


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