『届いた手紙』

第21話 打開策

「あなたがレオナを殺したのね」


 菩提樹の鮮緑の梢が風に揺れた。墓地に残こされたのはラナンとアデーラだけ。周囲を気遣う必要はないだろう。


「どうしてそう思うの」


 思った以上に怜悧な声が出た。また偽る演技をしようとしている。アリ地獄に飛び込もうとしている自身の愚かさをどこかで冷めた自身が見つめているようだった。

 泣けばよかったのだろうか、と思った。


「あなた先生の死を見て笑ってたわ」


 そんなつもりはなかったが。


「証拠はないだろう。たしかにキミのいうようには悲しんでいない。でも証拠はない」

「そうね」


 アデーラは口ごもる。ハンカチで目元をぬぐうと洟を鳴らした。


「実験室にUSBを取りにいったって。それだけなのよね」

「そうだよ。記録もあるって警察にいわれたから」

「うん、……そう分かってる」


 そういってアデーラが去ろうとしたので腕を強引につかんだ。


「待って、アデーラ」

「放して!」


 彼女の声がひと際大きくなった。


「殺人者でしょう、触らないで!」


 誰かに聞かれていたら、と内心焦りながらアデーラを抱き寄せた。愛を表現するのは時々でいいと思っていたから。


「アデーラ信じて。僕はやっていない」


 たぶん胸の高鳴りはアデーラの耳に聞こえている。それを疑義と判断するか、真実と判断するかは彼女の理性次第だが。


「そう」


 小さく一つ聞こえた。


「そうよね、あなたなはずが無いわ」


 そういって腕で体を突き離すと涙顔で複雑な笑みを浮かべた。


「ごめんなさい、どうかしてた」

「いいよ」

「うん、ごめんなさい」


 品のいいえんじのルージュで口角を形作るとアデーラは静かにいった。


「みんな悲しんでいるのよね」


 そうだよ、と背中に腕を回した。ラナンは安堵している、偽りの顔を作りながら用意した感情に任せて。でもほんとうの自分の気持ちは分からなかった。




 帰宅すると疲弊して表情も作れなかった。脱力気味にあいさつすると養父母が迎えてくれた。葬儀に参列したことは知っている。傷心を理由に今日のバイトは休んだ。

鍵をかけ、自室のベッドに脱力気味に仰向けになると、天井に諦めるように伸ばした右手の糸をぼんやりと見つめた。人差し指をつんと釣り上げると糸を絡ませながら反時計回りにゆるく回り始める。


 悪魔の名を冠したディアベル。黒衣の悪魔はいつでも無表情にラナンに語りかける。


――みんな、殺してしまえ。


 たぶん、復讐を望まなければ幸せに生きられたのかもしれない。でも、それは出来なかった。思い出がそうさせなかった。

 回転する人形を見つめ、思い出されるのは母と訪れた最初で最後のメリーゴーランドだった。


 場所も覚えていないが、記憶のなかで赤いとんがり屋根の下、煌めく光を浴びながら淡いユニコーンと花籠の馬車が回っている。手を振って巡る度に見えた母の柔らかな笑顔、あんなに楽しい思い出はなかった。


 すべてが美しかったあの頃を、あの景色をラナンは今でも夢に見る。


 今の折れそうな気持ちを支えているのは間違いなくあの時の記憶なのだ。遊び疲れベンチに腰かけたラナンを幸せそうに抱き寄せてくれた腕の温もり、心配しなくても大丈夫なのよと告げられた気がした。一生幸せだと思っていた。

 わななきが堪え切れなくて涙がこぼれる。


 今さら血濡れた手でなにを望むのか。もう三人殺めたのだ。


 悪魔(ディアベル)と名付けられたそれはラナンになにも語らない。でも本当はなにかいいたいことがあるのかもしれない。自身とこの人形は咎という楔で結びつけられた共犯者だった。


 腕で目元をぬぐっても涙は止まらない。だれも慰めてくれることのない孤独に放置され続けた悲しみだった。


 濡れた瞳のまま白のチェストを開けると、古びた写真を取り出した。

 写っているのは綺麗だった母の笑顔。ボロの舞台衣装のまま赤子のラナンを大切そうに抱いている。若き日のレ・ミゼラブルのときだ。


 母の死を知ったのは事件の直後だった。もう、九年になる。


 警察が学校まで迎えに来て病院に着くと安置室に横たわる母がいた。到底眠っているといえない惨たらしさで顔を焼かれて髪は縮れ、美しかった影も形も無かった。


 貴族の友人宅を訪れていた最中の不慮の事故という説明に、およそ納得できるような説得力はなくずいぶん署に通った。でも子供の相手をしてくれるようなまともな大人はおらず、悲嘆にくれた帰り、ラナンは署に入ってゆく制服姿の男と目があった。たぶん偶然合っただけだと思う。

 それでも。まるですべてがゆっくりと運んでいるように、一秒の瞬きが無限にも感じられるような瞬刻、男の口角が弓なりに、捻じ曲げるように吊りあがった。隠しきれぬ喜びでラナンを嘲笑していた。


 ああ、そうか。


 ラナンはすべてを理解した。母の死に隠れた男どもの浅ましい欲望を。

 悲嘆に暮れるのは止めて、心の中に激情を灼きつけた。灼こう、咎人はすべて恐怖の下に葬り去ろう。


 拳を握り、交わしたマリオネットの悪魔との契約。あの日から自身は復讐者になった。

 緩慢な事件の処理のあと、ラナンは施設送りにされた。燃えたぎる復讐の心を涼しい表情の裏に隠して、誰にも心を開かず成長してそれから四年が過ぎた。


 大人しかった自分との相性を良く思って引き取ってくれたのがカドレック夫妻だった。なにも知らぬ彼らは見返りのない愛を与えてくれたと思っている。血みどろの本心は彼らにさえ打ち明けていない。


 だから一年前に届いた差し出し人不明の手紙は僥倖だった。傍から事件を眺めて嘲笑おうという謀りごとでもいい。眺めない日は一度も無かった。

 手紙を取り出すとリストを復読する。


 手短に片付けられるターゲットはすでに片付けた。あとはプラハにいても近づくことの出来ない地位のある人物ばかり。政治家もいれば大企業の経営者もいる。身を上手く隠されてはどうしようもないのだ。


 全部が上手く運ぶとは最初から思ってはいなかった。


 ラナンは手紙を置いて机に向かうと、買ってきた便せんを取り出し状況を打開するための一通の手紙を書いた。

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