第6話 二人:4

 お風呂から上がり、タオルで髪を拭きながら自分の部屋に入る。机の上に置いていた携帯の液晶を指先で触れると、数件のラインが届いているという内容とは別で、一件のメールを受信した通知が表示されていた。まさか、と鼓動が早まるのを感じながら操作すると、見覚えのない未登録のアドレスから発信されていることがわかった。 メールを開く。



 ――――――――――

[件名]。


[本文]

 榊原 慎一です。

 ――――――――――



 心臓が跳ね上がり、顔が一気に熱くなった。


 き……、きた!榊原君からのメール!あの時、勇気を出して本当によかった。アドレスを聞いた時、私を見る彼の目が冷めたものだったからてっきり断られるのだと思ったが、考えるような間の後、まさかのOKをもらった。もう死ぬかと思った。終わったと思った。だけど……、ああもう、彩花、千夏、ありがとう!



 胸の高鳴りを抑えるために数回深呼吸をする。そして画面の左上に表示されている現在の時刻と、メールを受信した時刻を見比べた。

 ――えぇっと、メールが来たのは二十分前。今メールを送ったら、遅れた内に入るのかな?失礼のないよう、丁寧に送らなきゃ。絵文字はどうしよう。榊原君はあんまりゴテゴテしたメール好きじゃなさそうだから、絵文字は控えようかな。あ、話題も作りたいなぁ。榊原君と共有できる話って、あれ?なんだっけ?



 ……暫く試行錯誤し、慣れないメールでのやりとりに戸惑いながらも、震える手でボタンを押して文字を打つ。言葉を繋げては消してを何度も繰り返し、文面が出来上がった。



 ――――――――――

[件名]メールありがとう

[本文]

 北村 梓です★

 登録よろしくね^^


 そういえば今日の

 榊原君凄かったね!

 魚の解剖とか平気?

 ――――――――――



 初めてのやりとりで解剖の話ってどうなの……、と思いつつ、この話題しか思いつかなかった事実が私と榊原君の接点の無さを突きつけてくるようで、落ち込む。


 これだけ短い文なのに、何回も何回も読み直した。あとは送信ボタンを押すだけ。


 なのに……。


 どうしよう。すごく胸が苦しい。大丈夫、だよね。不快に思われるようなこと、書いてないよね。


 たった一つのボタンを押す事が出来ない。不安と胸の高鳴りでいっぱいになり、呼吸が上手くできない。メールを一通送るだけなのに、こんなにもウジウジしている自分が情けなかった。誰もいない自分の部屋で、不安をかき消すように足をバタつかせギュッと目をつむる。震える手で携帯を握り直し、そして、決心した。


 いつまでもこうしちゃいられない……。


 勇気を出して、画面上に映し出された送信ボタンを押した。


[送信]





 **************



 ……――と、メールを送ってあれから、一時間が経過した。

 何回も携帯を見てみたけれど、未だ着信無し。時間が経つにつれて不安が大きくなっていく。


 ……返信忘れてる?そんなわけないよね。私、なんか変な事送っちゃったのかな?それともご飯?お風呂?今は……、七時四十五分、だもんね。うん、全然有り得る!

 ……だから違うよね。

 私とのメールが、嫌になったとかじゃないよね。


 しかし、待てども待てどもメールは来ない。千夏からの「榊原とどう?」みたいなひやかしのラインは来たが、肝心の彼からのメールが来ない。

 その後も落ち着かない時間を過ごしたけれど、九時を回った頃から、だんだん諦めがついてきた。今日一日でグイグイ行き過ぎたかなと後悔しても、もう遅い。長い溜め息をついて宿題をやろうと重い足取りでイスに座った瞬間、携帯の画面が光った。

 期待しちゃだめだと思っているのに、すぐに手が伸びた。画面にはメールを受信したことを知らせる通知。


 ――榊原君だ!


 震える指でメールを開く。やっぱり相手は榊原君だった。

 嬉しさと安心で自然と顔が綻ぶ。私はドキドキしながらメールを開いた。



 ――――――――――

[件名]遅れた。ごめん。

[本文]

 うん、平気。


 もう寝る。

 ――――――――――



 ……。


 学校にいる時と全く一緒だったので、思わず笑ってしまった。相変わらずクールというか素っ気無いというか……。しかもあれだけ待って、これだけの文って。もう九時半じゃん。なのに短すぎだよ、榊原君。


 ……でも、私は幸せだった。

 榊原君からのたった一通のメールで、私は凄く幸せになれる。やっぱり私は榊原君の事が好きなんだと、今まで何度も繰り返してきた再確認を、もう一度行う。どうしようもなく、好きだ。


 おやすみと返信し、宿題を済まして布団に入った。浮かれた気持ちのせいで全く眠くはなかったけれど、今日は早めに布団に入りたかった。

 多分、彼の事をゆっくり考えたかったんだと思う。


 何度も今日の出来事を反復しているうちに、彼への想いを胸に抱いたまま私は眠りについた。

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