第29話 それぞれの告白:5

 自分でも驚く程、震えていたのが嘘だったかのように両足に力を込めて立つことができた。榊原君のことも、ちゃんと見据えることができる。話をしている間も、彼の手を取る時も、私は落ち着いていられた。その変わり様に、彼も驚いているようだった。



 ……――私が変われた理由。

 それは榊原君の揺れている瞳と、断言し続ける話し方にあった。

 私は何故彼がそんな状態になっているのかが引っかかり、必死で考えた。今まで行ってきた事や置かれている立場、考え方、感じ方……。出来るだけ彼の目線になって、時には客観的に見て考えると、とある可能性が浮上したのだ。


 その可能性に気づいた瞬間、私は榊原君をなんとしてでも一人にしてはいけないと思った。


 ……ただ、そんなものは結局は可能性"でしか"なく、あくまでも私の憶測。絶対にそうだなんて断言出来ないくらい、私は彼のことを何も知らない。

 そう。何も、知らなかった。



 でも、彼の目を見ていると、そうとしか思えなかった。




 榊原君は、きっと、苦しんでる。




 彼は執拗に『人には狂気がある』だとか『異常であることが正常だ』と断言していた。でもそれは、恐らく自分の考えに自信があるからという理由だけじゃない。……ううん、そもそもあれは自信でもなんでもない。



 きっと……。

 きっと榊原君は、

 本当は「そうであってほしい」と、

 "願っている"んだ。



『狂気があって当たり前』

『むしろやらない人間がおかしい』

『自分はおかしくない』

『他の人間にもあることなんだ』


『自分だけじゃない』



 ……そう考え込むことで、生き物を殺してしまった罪悪感や後戻りできない結果から、自分を守っているんじゃないか……。

 本心とは違う、自分の言葉。

 自分を守るための、無意識な願い。


 だから瞳が揺れていた。心と……良心と同じように、微かに、それでいてはっきりと。


 もしかしたら彼が語った愛についてや狂気についても、最も言い聞かせたかった相手は私なのではなく"榊原君自身"なのかもしれない。まくし立てる様な話し方も、自分に罪悪感を感じる余地を作らないようにしていたから。すらすらと言葉が出てくるのは、日頃からずっと自分に言い聞かせていたから。そう思うと、いつもと違う饒舌な彼にも納得がいく。



 ……――そう。



 榊原君は心の奥底で

 自分の言っている事が間違ってるって、

 自分のやっている事が間違ってるって、

 本当はわかってるんだ。



 何をしてはいけないのか、何がおかしいのか、何が悪いのか……。そして、それらをしてしまったら自分が、どんな人間になってしまうのかも、全部。

 全部全部全部。

 榊原君はきっと、わかってた。

 それでも彼は、自分を止められなかった。


 彼は生き物を殺すことを『生き甲斐』だと言っていた。過剰な表現ではなく、本当にそうなのだろうと彼の表情を見て悟った。それ程の強烈な欲求を私は経験したことがないし、私に限らず他の人間にだってきっと理解することは難しいだろう。

 その欲求は、彼の"人間らしさ"を食い潰しているように思えた。


 いつからその欲求が存在していたんだろう……。もしかしたらずっと昔から、一人で戦っていたのかもしれない。その強烈な欲求や他の人間と自分は違うという事実に、悩み、苦しんでいたのかもしれない。

 良心と罪悪感で自分が押し潰されないように、ずっと「おれはわるくない」と、暗示のように自分に言い聞かせていたのかな。




 一人で、ずっと、ずっと――……。




 ……――だけどこれはあくまでも私の空想であり、初めて出会った時の様に単なる勘違いに過ぎないのかもしれない。残酷で異常すぎる彼の中に救いを見出だしたくて、私が都合の良いように解釈しているだけなのかもしれない。



 でも、彼が罪悪感を感じている可能性が少しでも存在するのなら、私は彼を受け入れたい。榊原君のしたことも、考えも、苦しみも、訴えも、全部。この握っている手のように、優しく包みたかった。





 いつからこんなにも愛おしく思うようになったんだろう。いつの間にか、彼が心の中で重要な存在になっていた。それはもしかしたら、ほんの僅かだけれど日常の中で交わされていた会話や目に映る仕草に、彼の孤独さを無意識に感じとっていたのかもしれない。その彼の時折見せる危うさを、私が埋めたいと思っていた。


 "榊原君を受け入れたい"という気持ちを加速させたのは、"人を愛するという事を彼に教えてあげたい"という願いもあった。


 彼は今まで孤独だった。だから他人に注ぐ愛を知らない。他人から注がれる愛を知らない。そんな彼を、一人で色々な事を耐え抜いてきた彼を、もう一人にしたくなかった。この強い感情を教えてくれた彼に、今度は私が教えてあげたい。それが例え、彼の言う"エゴ"だとしても……。



「私はあなたを一人にしたくない」



 私の言葉に、榊原君は微かに身体を強張らせた。「一人?何を言って……」と眉間に皺を寄せ訝しげに上目遣いで睨みつける。それでも私は動じない。その視線を受け止め、見つめたまま尚「お願い」と静かに悲願する。すると、彼は口を横に結び、ばつの悪そうな顔をすると視線を落としてしまった。

 握った手から「なんなんだこいつは」という困惑が伝わる。


 ……榊原君が動揺するのも無理ないよね。きっと、猫の話をした時点で私が自分の事を嫌いになると思ってたんだ。むしろ、そうさせるために話したのかもしれない。



 でもね、榊原君が頑固なのと一緒で、私も頑固なんだよ。榊原君には改心出来る余地がある。それを私は支えたい。

 もう榊原君には、寂しさも異常性も、一人で背負わせない。




「……わかった」



 視線を逸らし口を横に結んでいた榊原君が、唐突に沈黙を破った。それと同時に握っていた手がくるりと反転し、私の手を握り返す。今度は私が手を掴まれる立場となった。


 いきなりの事に驚いて見開く私を、真っ直ぐに見つめ返す。

 鋭い眼光。



「教えてやる」



「えっ、……――あっ」



 突如手を引かれ思わず声が漏れた。胸が高鳴り、体温も一気に上昇する。

 そんな私にお構い無しな彼は、勉強机まで向かうと繋いでいない方の手で袖にある引き出しの取手に指をかける。十センチほど開けた引き出しの中はよく見えなかったが、彼は迷う素振りもなくボールペンの様な物を取り出すと、ズボンのポケットに入れた。「……今の何?」と尋ねる私に全く答える様子もなく引き出しを閉めると、身体の向きを変え、歩き出した。手が引かれる。



 そのまま廊下に出る扉まで歩みを進め、壁に付いているスイッチを入れ替えた。部屋の明かりが消え、薄暗くなる。

 その行動に疑問が浮かぶ。

 電気を消しちゃうって事は……。


「部屋……出ちゃうの?」


 彼が足を止める。今度の質問には反応してくれたけれど、振り返りはしないまま軽く俯いてしまった。まるで何かに迷っているようなそんな戸惑いが、背中から伝わってくる。

 私が何か言葉をかけようと口を開きかけた瞬間、榊原君は答えた。



「今から、庭に行く」


「……え?に、庭?庭に行くの?」



 予想外の返答に、私は質問をする前よりも混乱した。

 何故庭なのだろう。この部屋では喋れないことなのかな。それとも、庭じゃなきゃいけない理由があるの……?


「来たらわかる」


 頭の中を見透かしたように言うと、また歩きだした。私は手を引かれるまま部屋を出た。





 私の手を引いたまま無言で廊下を歩く。左右にあるいくつかの扉を過ぎ、突き当りにある縦長のガラスがはめ込まれた木製の扉を開けた。開けられる前からガラス越しにうっすら見えていたため部屋の広さは大体予想していたけれど、実際入ってみると、それを遥かに上回る広さであることを知った。

 その広さに、思わず足が止まる。榊原君が迷惑そうな顔で振り返ったけれど、私は部屋を見渡さずにはいられなかった。


 壁や天井は白で統一されて明るい印象の部屋。向かいの壁一面にはクリーム色の大きなカーテンがかかっていて、そこから想像できる窓の大きさに圧倒される。

 部屋の真ん中には木で出来た長方形の大きな机があり、漆がたっぷり塗りこまれているのか、部屋の明かりもつけていないのに僅かな光を受けて滑るように光を放っている。


 その机を囲む椅子に、違和感を覚えた。椅子が一辺に三脚、もう一辺に三脚と机を挟むように向かい合って置かれている。合計六脚の椅子。榊原君の話では兄弟もおばあちゃんもおじいちゃんも出てこなかった。恐らく榊原君は両親と三人で暮らしている。

 三つで良いはずの椅子が六つ……。

 ここで榊原君の両親がまさに「形だけの家族」を演じていることがわかり、私は胸が締め付けられる痛みを感じ、彼の背中に視線を移した。


 部屋全体が膨張色の白のせいか、それとも数少ない家具のせいか。榊原君の背中は広い部屋に飲み込まれそうなくらいに小さく感じられた。これが別の人間の家なら、私はきっと、ここに家族が集まり優雅で幸せそうな風景を想像していたに違いない。だけど、ここは彼の家。先ほど部屋で聞いた家族の成り立ちが思い起こされる。この広くて清潔溢れるシンプルな部屋も、彼を孤独へ追いやっている冷たい世界に見えた。


「ここリビング?すごく広いんだね」


 意識して明るく言ってみたが、「うん」という感情のこもっていない言葉が返ってくるだけだった。

 彼の言葉が部屋に吸い込まれる。



 ぎゅっと、手を握り返した。



「私、絶対に榊原君のこと、理解してみせるから」



 驚いた表情で彼は振り返った。目を大きくし、私を見る。かと思うと無言のまますぐに向きなおして、半ば強引に私の手を引きつつ向かいにある大きなカーテンを目指して歩き始めた。きっとその向こうに、彼の言う庭があるのだろう。


 彼はカーテンに手にかけると、再度私に振り返った。



「!」



 その時感じた視線に思わず息を飲んだ。

 心臓を掴まれた様な錯覚。





 まるで……――





 ……――殺気。






 彼が私の手を離した。



「それはどうだろうね」

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