第28話 それぞれの告白:4

「……わかった?俺はこういう人間なんだよ」


 俺は北村を見下しながら言葉を吐いた。北村が頭の中で勝手に描いていた"理想の俺"を跳ね退けるように、静かに、そして強く。

 本当の"俺"とは違いすぎる、こいつの中の"俺"。出会った瞬間から誤解が生まれていた。俺という人間に好意を持ってしまった時点で、北村は間違っていたんだ。


 正直、同情の念すらある。「雨の中猫を助けた優しい少年」の口から、突如「その理由は死体の腐敗の過程を見たかったから」と打ち明けられたのだ。北村の中で美しかったであろうその思い出は、一瞬にして残酷な事実へと変わった。相当なショックだろう、と思う。余りにも北村の中の「榊原慎一」が正常且つ善人すぎた。本当の俺とは真逆の人間。



 ……でも、だからこそ言っておかなければならなかった。そして北村は自分の間違いに気づき、俺のことを世間同様、嫌悪しなければならない。

 俺を「異常」だの「狂ってる」だの罵って、はやく離れてしまえばいい。


 初めからこいつに理解されようなんて思っていない。

 俺は理解されない人間。

 でもその前に、"理解されてはいけない人間"なんだ。

 孤独以外に、異常者の俺に選ぶ道なんてない。




 正常な人間、北村の反応を、俺は待った。北村はへたり込んで床に視線を落としている。その姿はショックを受けてただ放心しているというよりも、何か考え事に集中していると言った方が合っているような気がした。

 そういえば、北村は話の途中から眉間に皺を寄せると、俺の瞳を食い入るように見つめていた。



 ……おそらく、俺の狂言を必死で理解しようとしていたのだろう。そして、今も。



 でも理解出来るわけがない。

 ……いや、北村は理解してはいけない。ただ、俺が話した内容は異常且つ反道徳的だと、そう解釈してもらえればそれでいい。そして本当の俺を嫌悪して、この家から、この俺から、逃げてしまえばいい。



「榊原君」



不意に言葉を発した。床に落としていた視線をそろそろと俺の目へと上げる。


その時に気がついた。

 北村の強い眼差し。何かを決意したような、そんな眼光。

 涙を拭い、ゆっくりと北村は立ち上がる。先程までへたり込んでいた人間だとは思えない、芯のある立ち姿だった。その予想外の姿に驚きを隠せない俺は、ただ瞬きをして北村の次の言葉を待つしかなかった。


 彼女はゆっくりと口を開く。


 その言葉は俺の期待をことごとく打ち砕くものだった。




「私、それでも、好き」





「……は」




 自分の耳を疑った。単に聞き間違えたのではないかと思った。

 だが、その理解しがたい発言は幻聴でもなんでもなく、本当に北村が言ったのだということを確信させられた。北村は歩み寄ってくると俺の左手をとり、両手で包み込むように優しく握ったのだ。



 こいつは何を言っているんだ。

 何をやっているんだ。

 ちゃんと俺の話を聞いていたのだろうか。



「私、まだ榊原君がやったことが理解出来ていないだけかもしれない。

 ……いや、多分理解出来てない。

 榊原君言うことや、やったこと。それに、考えていること。

 きっと私には理解出来てない」


 でも、と北村は俺を見据えた。

 その瞳の奥に揺るがない芯のような光を感じた。それが俺の視線を捕らえて離さない。


「もしも榊原君のことを全て理解できたとしても、私は榊原君のことが好きだと思う」


 ぎゅっと握る北村の小さな手。小刻みに震えていたのが嘘のように、優しく安定した力を俺に伝える。泣きたくなるくらいに、温かかった。


「私が初めて榊原君を知った時の印象と事実が全く違ったことについては、驚いたし、正直ショックだった。

 それに猫を殺すのが許せないのも、今でも変わらない」



 初めてだった。

 予想外だった。


 頭がついていかない。

 なんでこいつは……。



「でも、榊原君がやったことと、榊原君を好きな気持ち、なんだか別なの。

 あの時やったことを悔やむことが出来たら、私はもう、それだけで良いと思っちゃうの」



 こんな瞳も、こんな手も、こんな言葉も、こんな温もりも、全部。


 知らなかった。



「……時が経って、たとえ榊原君のそういう考えが変わらなくても。たとえ生き物を殺したい衝動が治まらなくても。

 ……私はずっと好きでいつづけるんだと思う」



 こういうにんげんを、

 おれは、

 しらなかったんだ。



「私は受け入れるから。

 榊原君のこと、全部。ぜんぶ」





……異常だ。






 ――暫く、何も言えず北村を見ていることしか出来なかった。

 理解できない。意識に霧がかかっているように、ぼんやりとしか言葉の意味がわからない。今まで俺が喋ってきたことは明らかに狂っている。発した本人でもわかるくらいに、常軌を逸している内容。少なくとも北村が俺を軽蔑するには、十分すぎる真実。


……の、はずだった。


 だがこいつは俺の狂言を聞き狂態を知っても尚、俺に対する接し方は変わらない。その上、罵倒や非難をしてこないどころか、何を血迷ったのか俺の狂気を「受け入れる」とまで言い出したのだ。



 なんなんだコイツは。

 北村をそうさせているモノはなんだ?

 俺の話のどこをどう解釈したら、そういう感情で俺と接していられるのだろう。



 現に、話を聞いていた時は俺に対して「おかしい」と言っていた。身体を震わせ涙を流し、怯えていた。正常な反応を、俺の予想通りの反応を、北村はしていたじゃないか。



 なのに、なんで……。



 わからない。



 わからない……。



「……わかってない」



 動揺と困惑を押し込めて、切り捨てるように言った。その言葉にびくりと北村の身体が跳ねたのが、握られた手から伝わった。冷ややかに見る俺に対し、北村は強い眼差しで負けじと見返してくる。




 ぶつかる視線。




「お前はなにもわかってない」


「じゃあわからせて」


「わからなくていい」


「私はわかりたい」


「……」


「私は榊原君のこと、わかりたい」


「……。

……お前はまだ、知らないことがある」


「じゃあ教えてよ」


「知らなくていい」


「私は知りたい」


「……」


「榊原君、お願い……教えて」


「……」


「私はあなたを一人にしたくない」


「一人?何を言って……」


「お願い」


「……」


「お願い……」



 咄嗟に目を伏せた。北村の目を見ていられなかった。これ以上見つめていると、俺自身を支えてきた大事ななにかが、こいつの瞳の奥にある強い光に飲み込まれいくんじゃないかと思った。長年かけて少しずつだが着実に築いてきた、強い芯。それがじわじわと染み渡るように侵食され、解けていく。そんな感覚に陥った。

 その感覚に、耐えることが出来なかった。


 北村の眼光に俺は恐怖した。そして目を逸らすことで、その恐怖から逃げたのだ。


 俺を支えている強い芯の存在こそわかるが、具体的にそれが一体何なのかは自分でもわからない。だが、それを失うということは今までの俺自身を全て否定することになり、見知らぬ世界へ放り出される事に相応するような気がした。

 それが、どうしようもなく怖かった。



それでも、そんな恐怖を与える北村の手は温かい。



 あたたかい。

 

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