第27話 それぞれの告白:3 (2/2)
「さ……、かきばら君、それ……それ……!」
恐怖と驚愕で上手く喋れない私を冷静に見据えながら「うん。猫の耳」と、彼は言った。無意識に覚束ない足取りで後ずさる。彼はそんな私から瓶の中へと視線を移し、続ける。
「さっきも言ったけど、これは俺の作品の一部。
全部猫の右耳」
「……さ、くひん……?」
愛おしそうに目を細めて耳を見る榊原君が、信じられなかった。
さっきから彼の言っている意味がわからない。一生懸命理解しようとしているのに、思考がついていかない。
『さくひん』って……、なに?
「うん、作品。
俺は自分で作り上げた作品の一部を、記念として保管しておきたいタイプなんだ。
でもいまいち保存方法がわからなかったから、取り合えず塩水に漬けといた」
悪びれる様子もなく平然と語る。私はまだその言葉の意味することが理解出来ない。目の前に真実が形としてあるのに、なにかがそれを受け付けなかった。
「何で……?何でそんな……」
「"何で"?
それは俺が逆に聞きたいよ」
訝しげに眉をひそめる。そして彼が放った言葉で、私は絶句した。
「なんでお前らはこういう事しないの?」
「……俺は"こういうの"が普通だと思う。
むしろ好きだし、……多分、こういうことをするのが生き甲斐なんだ。
俺のなにかが欲するんだよ」
「生き甲斐……?」
私はやっとの思いで声を絞りだす。
榊原君……、なにを言ってるの……?
「うん。でも勘違いするなよ。
これは俺だけじゃない。他の人間も、本当は好きなんだ。
生き物の中身や、死体や、殺人や……」
「そ……そんなことない……。
そんなこと……」
震える声で否定するが、彼は「いや、あるよ」と軽々しくもハッキリとした声で断言した。
「好きじゃないにしろ、興味はあるはずなんだよ、お前らは。
実は猟奇的な事件や、狂人の言動とかに惹かれたりすることだってあるんだろ?
現に、テレビ番組でそういうのを取り扱った時は大抵視聴率が上がるらしい。ただ単に"情報を得る為だけ"というのもあるかもしれない。でも、興味が全く無いとも言いきれないはずだ。むしろ興味の方が勝ってるんだろ。
すました顔して、お前らだって、心のどこかで欲してるんだ」
「違う、そんなことないよ。
ねぇ、もうやめて……」
これ以上こんな話を、彼の口からは聞きたくなかった。しかし、私の声が聞こえなかったかのように話し続ける。
「……まぁ、北村は少し違うかもしれない。
普通、生き物の死体を見てあんなにビビらない。興味や好奇心から、なんだかんだでじっくり見ちゃうものさ。
それが普通。
死体や内臓に興味があることは、別に悪いことなんかじゃない。
異常でもなんでもないんだ」
彼はここまで淀み無く喋ると、私に視線を移した。多分、私がちゃんと話についてこれているだろうかと確認をしたのだと思う。だけれど私はそれに満足に答えることが出来ず、ただ震えながら見返すことしか出来なかった。
彼はそんな私から目を逸らさずに、続ける。
「俺から見たら自分のそういう欲求に気づかないで『自分は正常』なんて思い込んでいる奴らの方が、よっぽど異常さ。
『自分はもしかしたら異常なのかもしれない』と疑うことすらしない。完全に的外れな思い込みだよ」
榊原君の眼光が、一層鋭さを増したような気がした。
「"自分が異常じゃない"なんて根拠、どこにもないのにね」
「人間には、残酷で異常な部分が必ずある。
俺はそれを知っているし、自分のそういう部分を認識し、受け止めている。
勘違いをして自分を疑うことすらしない奴らと比べたら、俺の方がよっぽど正常で、常識人さ」
……――もはや声を出す気力すらなかった。
彼の話は私の頭の中を掻き回し、今まで触れられたことのないような部分を揺さぶってくる。
なにもかもが常軌を逸していた。しかもそんな内容を、まるで台本を読むかのように淡々と話している。そして次々に断言していった。
どうしたら、そんな考え方が出来るのだろう。
どうしたら、そんな異常なことが思い付くのだろう。
…………でも。
なぜか彼の言っていることが、ぼんやりとわかるような気がした。否定したいのに、否定しきれない自分がいる。榊原君の言っていることは、あながち間違ってはいないのではないかと思ってしまう自分もいた。そんな自分自身が、わからない。
私は普通じゃない状況に混乱し、怯えていた。
……――そして、一つだけ。
全てが繋がってしまったことがある。
瓶の中の猫の耳。最近急増した猫の変死体。
そして、今の話。
足が震えて、脈が激しく波打つ。
榊原君は……。
私が憎んで、恐怖し、軽蔑していたあの――……
「……――猫を殺していた犯人は、榊原君?」
「……」
私から目を逸らして口を閉じた。そして、視線を床に落としたまま瓶を揺らした。液体が波打ち、ちゃぽん、と音が鳴る。
「これ見て理解出来るだろ」
榊原君の言葉は私の頭の中で反響し、胸に鈍い衝撃を与えた。
瓶を見て、話を聞いて、なんとなく頭のどこかではわかってた。わかっていたけれど……。
それでも榊原君には、違うって、俺はやってないって、そう言ってほしかった。そしたら私はそれを絶対に信じただろうし、信じたかった。
でも……。
「ここら辺一帯の猫の変死体は、きっと全部俺だよ」
「……、じゃあ……。
初めて一緒に帰った時の、……あれも?」
「あれは猫で初めて作った作品さ。
あの時の記念品も入ってる」
再度瓶を揺らす。
私はあの猫の死体を思い出した。腹を切られ、右耳は削がれ、そばにはカッターナイフが落ちていた、あの猫。榊原君と一緒に見た時、その理不尽すぎる姿に私は泣いた。でもその理不尽を作りだしたのは、他の誰でもない榊原君だったのだ。そして彼はその理不尽の象徴を『作品』と呼んでいる。
……――これが、真実。
私は全身の力が抜けて、ペタンと床に崩れ落ちた。その衝撃で両目から涙がポタポタと落ちる。
「だから、俺はお前の思っているような奴じゃないって言っただろ。
あの日のお前が言ったように"人として考えられない"事を平気でする人間なんだよ」
「……。
……私が初めて榊原君を知った日の……。
あの猫は?雨の中、助けてたよね?」
「俺が抱き上げた時にはもう死んでたよ。
多分、交通事故で」
「!!
じゃあなんで――……」
「腐敗の過程が見たかったから、持ち帰ったまでだ」
榊原君は目を逸らしたまま言った。
私が榊原君を好きになったきっかけの裏には、そんな残酷な真実が隠されていたのだ。それに気づかず、私は彼が猫を助けたとばかり――……。
もう、心が爆発しそうだ。
「……そんなの……。
…………おかしい……」
無意識に口をついて出た言葉。もはや何がおかしくて何がおかしくないのかわからないのに、私は「おかしいよ……」と再度呟いた。震える私の声を聞いて、榊原君は私に視線を移し首をひねった。
「"おかしい"?
お前らの方がおかしいだろ」
私を見下すその目は、"冷静"というよりも"冷徹"な光を放っていた。
「なんで人間の……自分の中にある"狂気"を否定するんだ。
素直に受け入れれば良いじゃないか。それとも自分に"狂気"が潜んでいることに、気づいてないのか?
俺は気づいた。そして受け入れ、本能のままに動いた。
だから殺した。狂気のままに」
私はもう、彼の目を黙って見上げることしか出来ない。今は彼の言葉に耳を傾けて、理解していくのが精一杯だった。……いや、理解しきれていない部分もある。でも、私は彼の言っていることを理解したかった。出来るだけ、彼をわかってあげたかった。
だから私は、懸命に榊原君の言葉を追う。
「世の中で言われる"常人"は俺を狂人扱いするだろうが、俺から見たらその常人こそ狂ってると思うね。
自分のしたいことを思いのままにやると、狂人扱いになる。世の中に理解されない行動を起こすと、狂人扱いになる。
……常人に、狂人に、本当は定義なんてないのに」
意味を探ろうと注意深く目を見ていると、ある違和感に気づいた。
それはほんの小さな違和感。
榊原君の瞳が、いつもと違う。
「『常人の定義』に反したら狂人扱い。
それっておかしくないか?
『世間一般的に』っていうのは、常人ぶってる紛いもんが勝手に作っただけじゃないか。皮一枚剥がしたら自分以外のことは心底どうでもいいと思ってる、大嘘つきな人間だらけだろ、世の中なんて。そいつらに倣って本当の自分を殺している奴らの方がおかしい。縛られる必要なんてない」
彼は言葉を並べる。
もうこれ以上聞くと、私の中のなにかが侵されていくような気がした。
それでも、私は目を逸らさない。
榊原君の感情を、見逃してはいけない。
「そうさ。俺はおかしくない。
お前らがおかしいんだ。
生き物を殺したら、なんだっていうんだ。
本当は皆も見たいんだ。知りたいんだ。
……――殺してみたいんだよ。
興味が湧いて。感情が高ぶって。
生き物を食べて生き延びるのと、
生き物を殺して欲を満たすことと、何が違うんだ。
倫理だのなんだの言って、我慢する。
気づかないふりをする。
自分の狂気に」
「俺は皆にもある狂気に従っただけ。
俺はおかしくない」
……――ゆらり。
「おれはわるくない」
榊原君の冷徹な光の中に、消え入りそうな、小さな揺らめきを見た。
有り得ないことを断言していく彼に、私は最初、ものすごく戸惑っていた。
でも話し方と目を見て、戸惑いながらも違和感に思うことがあった。
なぜそんなに断言するのだろう。
なぜ瞳は揺れているのだろう。
彼自身がそうとしか思えないから断言するのだろうけど、不自然に感じるくらい、付け入る隙を与えないほどに物事を決めつけていく。それ程までに断言できる根拠があるのならまだわかる。でも、彼の言う「人には必ず狂気がある」というのはあくまでも自論であり、それを裏付ける確かな証拠なんてものは当然ないはず。なのに次々に断言していくなんて……。日頃の冷静で淡々としている彼からは想像もできないほど、ある意味情熱的に語っているとも言える。まるで『断言しなければならない』というような……、そんな焦燥や使命に似たようなものを言葉の節々に感じていた。
なぜだろう……。
それに、あれだけ断言するのなら絶対的な自信があるはずなのに、彼の瞳はそれに反比例するかのように弱々しく揺れている。いや、自信がないだけじゃない。
……――まるで、動揺しているよう。
もちろん私は彼を動揺させられるような言動をとった覚えはない。となると、彼は"自分自身が"発している言葉に動揺しているということになってしまう。
……どういうこと……?
私は懸命に痺れる頭を働かせた。
それぞれの、矛盾。
もしその矛盾を発生させてしまった根源が、榊原君の心にあったとしたら……。
……それはどんな時?
……どんな感情?
……どんな状況?
……一体どんな……。
……――!
……もしかして、
榊原君は……――
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