第26話 それぞれの告白:3 (1/2)

 私は突き飛ばされた衝撃でよろめきながら二歩下がる。驚いて榊原君を見た。

 いつもの榊原君じゃない……。眉間に皺を寄せる彼の目はどこか落ち着きがない。両手で頭を抱え俯いていく姿は、弱々しく、小さく見えた。


 あの冷静な榊原君が明らかに動揺している……。

 でも、それは当然だと思う。今までずっと、ずっと愛されてこなかったんだもん。いきなり私みたいな他人にあんなことを言われても信じられるわけがない。しかも彼は、自分の境遇を知りすぎている。きっと親が話したのだろう。自分の親からあんなことを話されたら、どれだけ辛いだろう。当時の榊原君を襲った悲しみは、計り知れない。


「榊原君……」


 彼の肩に置こうと右手を伸ばした瞬間、温度がない言葉が私に突き刺さった。



「……北村。

 やっぱり、お前の俺に対する恋愛感情は無くなるよ」



 ゆっくりと顔を上げる榊原君の眼光が、ぎらりと鋭く光った。


 私はやり場の無くした右手を引っ込めて、強く握りしめる。すぐに信じてもらえるとは思っていない。信じることが出来ない理由が、過去が、彼にはある。それが並大抵の過去ではないということも、私はわかってる。

 ……でも……。

 そこまで頑なに拒絶しなくても……。


 頑固な榊原君に対して、思わず声を荒げてしまった。


「……なんでそんなこと言うの?!

 私ずっと好きだったんだよ!

 今までずっと榊原君の――」


「ねぇ」


 余りにも温度差を感じる冷静な声に制され、私は言葉を詰まらせた。榊原君はゆっくりと首を傾げる。



「お前はなんで、そんなに必死なの?」



 その言い方には皮肉や挑発などの要素は全く含まれておらず、純粋に謎に思っているようだった。

 『ただ、純粋に"理解できない"』

 そう、眉間に寄った皺が物語っていた。


 なぜか彼のその態度で全身に入っていた力が抜けてしまった。握りしめていた右手も緩む。私は溜め息に似た息を吐き、肩を力なく落とした。


「……必死にもなるよ。

 榊原君にわかって欲しいもん。

 それにね、この感情を否定されるなんて、私には許せないの」


 その答えに納得出来なかったのか、更に皺を深くさせると俯いてしまった。どうやら考えを巡らせているみたいだ。私は榊原君が何か反応を起こすまで静かに待った。



 暫くして、彼はゆっくりと顔をあげた。そのまま無表情で私を見る。そして少し間をあけてから「やっぱり、わからない」と榊原君は言った。それに、と彼は続ける。


「俺に対してそんな感情を抱く、お前の事もわからない」


 どきん。



「どうしてお前は、俺なんかに惚れたの?」



『どうして』――……。




 その時、初めて榊原君を知った時の光景が頭の中に広がった。

 雨。猫。彼。

 そう。そうだよ。

 あの時からずっと、私は榊原君のこと――……。




「……榊原君は覚えていないかもしれないけれど」





 私はその言葉を皮切りに、あの時から今までのことを話した。なるべく詳しく、私のその時の感情も思い出して。

 初めて榊原君を知ったこと。

 初めて会話をしたこと。

 初めてメールをしたこと。

 初めて一緒に帰ったこと……。

 話の後半からは恥ずかしすぎてどうにかなりそうだったけど、彼に知ってもらいたかった。頑なに認めようとしないその感情は私の中にちゃんと存在していて、尚且つ、それは榊原君によって生みだされたのだということを――……。


 私が話している間、時折榊原君は私から視線を逸らし、何か思い出そうとしている素振りを見せた。眉を寄せ真剣に聞く彼を置いていかないようにゆっくりと話し「だから私は榊原君を好きになったし、こうして想いを伝えようと思ったんだよ」という言葉で締め括った。

 私が話し終わっても、彼はしばらく無言のまま床に視線を落としていた。膝に肘をつけるようにして前かがみに座り、両手の指先を合わせ考えに集中しているようだった。その間、私は熱くなった頬を冷やすため、小刻みに震える手を当てる。手は自分でも驚く程に冷たくなっていた。



 沈黙を破ったのは彼の行動だった。いきなり立ち上がると、私の「どうしたの?」という問い掛けを無視し、そのまま部屋を出ていってしまったのだ。


 困惑した私は一人、広くて寂しい部屋に取り残されてしまった。部屋を出て榊原君を追い掛けようとも思ったが、今更行っても多分もう彼の姿は見えないだろうし、なにより人の家の中を勝手に動き回るのは気が引けた。それに、来てほしいのなら彼はきっとまた、私の手を強引にでも引いていただろう。そう思い直して、私は榊原君が部屋に戻って来るのを待つことにした。


 時計の秒針の進む音が、室内に響いている。その音が、より室内の静けさを際立てていた。


 急に、不安になった。


 もしかしたら、今まさに私は、彼の言うように自分のエゴを押し付けているだけなのかもしれない。

 それでも、私はどうしても「愛なんて虚像なんだ」と言い放った榊原君に教えてあげたかった。いや、榊原君は知らなきゃ駄目だ。

 そうじゃないと、こんなの、悲しいし、寂しすぎるよ……。




 先程の悲しい話を思い出し、視界がぼやけてきたところに榊原君が戻ってきた。


「また泣いてるの?」


 不思議そうに見る彼の手には、瓶が握られていた。元はジャムが詰められていたような、見慣れた小さな瓶。


「……それ、何?」


 瓶を見ながら言うと、榊原君は無言で私の顔の前に突き出した。見ろ、ということなのだろう。私はそれに従い、瓶の中を覗き込んだ。濁った液体の中に、なにやら三角形の平たい物が沢山入っている。

 ……何だろう、これ。



「俺の作品の一部」



 私の頭の中を見透かしたようなタイミングで、榊原君はぽつりと答えた。

 作品?作品って何?

 更に疑問が浮かび上がる。


「……"雨の日に猫を助けた"ねぇ……。

 お前はあの時近くにいたんだな。驚いたよ。

 確かに見つけた場所は、北村の家の方角だったな」


 彼の言葉に耳を傾けながらも、平たい物が何なのか考える。目を凝らして見てみると、平たい物の周りに液体の揺れによって何かが漂っているのに気づいた。



 これは……、


 …………毛……?



「北村。俺はお前が思っているような、優しい同級生なんかじゃない」



 ……毛……が、

 ……生えてる……?



 得体の知れない警報が頭の中で鳴り響く。これ以上考えるのはやめろと私のなにかが言っている。

 しかし私の好奇心と探究心は止まらない。




 ……毛ってことは……、




 そして私の頭の中でこれが何なのか、答えが弾き出された。おそらくそれは間違ってはいない。





 ……――生き物。





「あれは猫を助けたわけじゃ無い。

 現にあの猫は、俺が見た時にはもうし――」



「きゃあああああ!!」



 私は口を両手で押さえ後ろに飛び退いた。


 その衝撃により、沢山の『猫の耳』が、液体の中で揺れた。

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