第25話 それぞれの告白 :2

 俺が一通り話終わる頃には、北村は目に涙を溜めていた。その反応を見て、再度俺は異質な人間なんだと自覚する。俺は当たり前のことを言っているつもりなのに、皆にとっては当たり前じゃない。異常なんだ。


 北村は暫く虚ろな目をしていたが、いきなり頭を横に振ると「違う!」と叫んだ。


「何が?」


「榊原君の言ってることだよ!

 違う違う!間違ってる!

 榊原君は間違ってるよ!」


 北村はそこまで叫びに近い声で言うと、今度は俺に言い聞かせる様に喋りだした。


「ううんと、……だってほら。

 榊原君のお母さんとお父さんだって、愛してたから結婚したんでしょ?

 お互い愛し合ったから、今ここに榊原君がいるんだよ」



 その言葉で、昔のことを思い出した。あれは、俺がまだ小学三年生の時だった。



「違う。

 北村、俺の両親は愛し合ってはいなかったよ。

 結婚する前からね」



 幼かった俺は常日頃から疑問に感じていた。両親がにこやかに会話をしている場面を見たことが無かったからだ。テレビや友人の家で見るような家庭とは違い、お互いが他人のように接していた。それどころか、一緒の空間を過ごしている記憶が殆どない。俺も母さんに母さんらしいことをされたことはなかったし、父さんにも父さんらしいことをされたことが無かった。愛でられることもなければ叱られることもない。二人とも、俺に関心が向いていなかった。

 幼いながらも、家庭に入っていた大きくて冷たい亀裂の存在を、痛いほど肌で感じていた。



「あいつらだって、結婚する気はなかったんだ。

 所謂セフレってやつだったから。

 なのに、あいつらはミスを犯した」


 セフレという言葉に、北村は口を軽く結んだ。そして「ミス?」と小さく漏らす。




 当時、俺は母さんに聞いてみたことがある。

『なんで父さんと母さんは結婚したの?』


 すると母さんは口紅が塗られた真っ赤な唇をぬらぬらと動かした。別の生き物みたいに動くソレは次々と音を吐き出す。理解出来ないことも、全部。聞いていないことも、全部。

 その時の映像や音声は、昨日のように覚えてる。忘れようと思っても、忘れられない。




「子供が出来ちゃったのさ」



『あなたがうまれてしまったからよ』




「勿論、堕ろすっていう選択もあった。むしろ父親はそっちの方が良かったらしいけど。でも母親はそれにより自分が抱えるリスクと、収入が良い父親を繋ぎ止めておきたくてそれを許さなかった。そして、私に強制するのなら自分達の関係を周りに言い触らすと、脅した」


「父親は信用が関係する仕事をしていたし、まぁ成功もしていたらしいから。セフレとの間に子供ができて、仕舞いには堕ろせと詰め寄っているだなんて知られたら、業界にいられなくなるかもしれない。

 だから急いで籍を入れたんだと。そして子供も産むことになった。

 母親は、もしかしたらそれも計算のうちだったのかもしれないけど、子供自体には興味は湧かなかったみたいだな。道具としてはもう用済みだから、当然か」


「その子供は、望まれて生まれてきてはいない。

 『生まれてきてしまった』んだよ」



 あの時のあの生き物が出した音を思い出しながら、俺もその音通りに、時々補足や予想を付け加えながらも言葉を発する。別に今更、特別な感情など無い。

 だが、こいつは違うようだ。


「北村」


 北村は泣くまいと堪えるかのように、震える両手でスカートを握り締めていた。が、大きな瞳からは大粒の涙が止めどなく流れ、頬を伝い落ちていく。それを拭こうともせず、ただじっと俺の話を聞いていた。



「愛なんてなくても、子供は出来るんだ」



 俺が喋り終わっても、北村は涙を落とすだけだった。何故北村は泣いているのだろう。俺には泣いている理由がわからなかった。


「……私、何も知らなくて……。

 ごめんなさい」


 掠れた声。

 謝る必要なんてないのに。



「いいよ、謝んなくて。

 でも、……まぁそういうこと。

 自分以外の人間を愛さなくても人間は生まれてくるし、そもそも愛自体不安定な存在なんだ。

 北村の俺に対するそういう気持ちもいずれ終わる。気のせいだったんだよ。

 だからお前もそんなのに振り回され――」


「そんなことない!」


 北村は強く激しい口調で俺の言葉を遮った。俺は目を丸くして北村を見上げる。北村は鼻を啜り涙を拭きながら、今度は消え入りそうな声で言った。



「榊原君がどうして人を愛せないのか……。

 私、わかった」



 北村は澄んだ目で俺を見た。頭の中であの時のマサトの目と重なる。心臓が跳ね上がり、血が一気に逆流したような感覚に陥った。


 ――いや、わかるわけがない。

 自分でさえわからないのに、他人にわかるわけがないんだ。


 戸惑う俺に北村はゆっくりと歩み寄ってくる。かと思うと、いきなり視界が真っ暗になった。

 俺は、北村に抱きしめられていた。

 頭が北村の両腕で腹部へ押し付けられる。座っているベッドがぎしりと軋んだ。


 温かくて、柔らかい。

 それでいて少し息苦しい。

 初めての感触だった。




「人に愛されたことがないからだよ」





どくどくと、押し当てられた額から北村の鼓動を感じる。



「榊原君は、愛を知らないんだ。

 だから、人を愛せない。

 愛し方を知らない」



 俺はゆっくりと目を閉じる。

 何故か抵抗する気が起きなかった。むしろ不思議なことに、北村の体温を感じた瞬間動揺や動悸が治まっていった。

 北村の言葉が優しく頭の中に入ってくる。


「でも、私が好きだから。

 榊原君のこと、好きだから」


「……。言ってて恥ずかしくないの?」


「茶化さないで。

私、凄く本気なんだよ。

すごく……、すごく……。」



 腕に一層力を込めたらしい。頭に柔らかい圧力がかかる。痛くない、優しい力。

 北村が泣いているのは、声からして容易に判断出来た。こいつはどこまで俺のために涙を流すのだろう。今まで自分の為にこれ程の涙を流してくれた人間がいただろうか。



「これから知っていこう。

 私、待ってるから。

 榊原君が知るまで、ずっと待ってる」


 北村の心臓が更に速くなり、激しくなる。

 俺は静かに耳を傾ける。

 北村の鼓動に、言葉に。


「私が榊原君を愛すから」



――!



 俺はその言葉で気が付いた。

 焦って北村を突き飛ばす。




 そうだ、忘れてた。





 こいつは、本当の俺を知らない。

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