第24話 それぞれの告白:1 (2/2)

 榊原君がドアを閉めてベッドに腰をかけるのと、私が椅子を反転させ座るのとはほぼ同時だった。私と榊原君は、向かい合う形になる。



「……榊原君の部屋って、一階にあるんだね」


「うん」


「珍しいね。

 私の友達、大抵二階に自分の部屋があるから」


「ふーん。

 ま、二階の部屋も三階の部屋も、使って無いんだけど」


「そうなんだ。

 持て余してるね」


「うん」


「……」


「……」




 沈黙。




 時を刻む音が小さく、それでいてはっきりと部屋の中に響き渡る。

 

 私は膝の上で両手を握った。

 ……ちゃんと聞かなきゃ。わからないままなんて、やっぱり嫌だ。なんで榊原君が家に招いてくれたのかはわからないけど、その前に、告白の答え……ちゃんと聞かなきゃ。



 私は俯いて静かに深呼吸をし、決意した。顔を上げて榊原君を見る。榊原君の真っ直ぐな視線を受け止めながら、私は口を開いた。


「……あの、こくは――」


「さっきの事だけど」


 いつもより一際大きい榊原君の声に、私の言葉は遮られた。"さっきの事"がなんの事なのかわかった瞬間、心臓が激しく動き出した。耳まで熱を持つのを感じる。それでも私は視線を逸らさない。


 榊原君は表情を崩さずに言った。





「俺は、恋愛感情が抱けない」





 私の中で、時計の針が動くのを止めた。耳の中で彼の言葉がぐわんと反響する。身体中が痺れたようにビリビリと痛み、心臓を直接握られた感覚に陥った。



 ……フラれた。

 私、今、榊原君に、フラれたんだ。



「……そっか。残念だな。

 私、榊原君に対して、恋愛感情抱きまくりなのに」


 おどけて笑ってみせた。榊原君はそんな私を見て目を伏せる。その瞳には、どことなく寂しい印象を受けた。

 そんな目……しないでよ。

 初めて見たよ、そんな顔……。


 私はその空気に耐え切れなくなり「あー、すっきりした!」と両手を上げるようにして伸びをすると、立ち上がった。驚いた表情で見上げる榊原君に「じゃあ、私帰るね?」と告げる。

 本当に、なんで私を家に連れてきたんだろう。断るんなら、あの場で断って欲しかったな。

 帰ろうと鞄を持ち手を掴み上げ、ドアに向かって歩みを進めた瞬間、榊原君は俯いて呟いた。


「わからない」


 余りにもその声が消え入りそうだったので、私は思わず足を止めた。

 彼は顔を上げて「わからないんだ」と呟く。


 「……わからないって?」


 私は鞄を足元に置いて、榊原君の前まで歩み寄る。さっきの声とは裏腹に、瞳はいつも通り、冷静な輝きを放っていた。


「その"好きになる"って事だよ」


「……?」


「俺は人に恋愛感情を抱いたこともなければ、愛情を与えたこともない。

 北村に限らず、だ」



 ずきん。

 最後の一言で、また私の心臓が痛んだ。


 ……というか、榊原君は何を言っているのだろう。

 そんなわけ、あるはずないのに……。

 人は生きていく中で必ずと言っていいほどに、愛おしい人を見つけるはずだ。それこそ恋愛感情に限らず。大切だと想う人、失いたくないと思う人が、きっと榊原君にもいるだろう。なのに、こんな嘘をつくなんて。

 ……もしかして、榊原君は私に対して気を使っているのかもしれない。告白を断られた惨めな少女に対し、同情しているのかもしれない。


「榊原君、いいよ。

 私、大丈夫だから」


 私は出来る限りの笑顔を作る。勿論、大丈夫なんかじゃない。足は未だに震えているし、気を抜いたら今にも大声を上げて泣き出してしまいそう。心臓は絶望と悲しみに押し潰されて、爆発寸前だ。全く大丈夫じゃない。

 そんな状態でついた私の嘘に、彼は「違う。そんなんじゃない」と首を横に振った。


「俺は家族すら愛したことがない」


「……。

 嘘ばっか。そんなわけな――」


「嘘じゃない。

 だから北村の"好き"という感情も、わからない」


 私は思わず彼を凝視してしまった。その口調には同情や慰めのような柔らかい要素は含まれておらず、むしろ強く、私の言葉を断ち切る様な言い草だった。

 そして、口調も眼差しも、真剣だ。




「……どういうこと……?」



 私の問いに、榊原君は表情を変えずに語りだした。



「俺は生きている人間を好きにはなれないんだ。

 そもそもその"好き"だとか"愛してる"の意味がわからない」


「意味……?」


「意味、ないだろ。あんなの。

 元々いらないんだよ。

 逆にあったら邪魔じゃないか。

 振り回されるだけじゃん。自分になんの利益もない。"愛は人間の真骨頂"とか、そういう風に語っている奴らの気がしれないよ」


 私は眉を寄せた。それに構わず榊原君は続ける。


「第一、愛するなんて独りよがりのエゴに過ぎない。愛だのなんだの言って、それを人に押し付ける。"愛情表現"なんてただの自己満の世界でしかないだろ。愛する人を思いやっているつもりで、実は利己的行動と何も変わらない。勝手に自分が思うように愛して、満足する。愛してるって言葉は、もう免罪符だろ」


 榊原君の口調は淡々としていて、温もりがない。まるで機械のように言葉を並べていく。

 その言葉が、氷の冷たさで私に突き刺さる。


「愛なんて幻想なんだ。自分の捉え方によって、都合の良いように変えられる。

 欲求のはけ口としてセックスを要求されても、それを"愛されてる"と捉えれば忽ちそれは自分の中で"愛情表現"へと姿を変える。響きが良いよな。でも実際は身体しか求められていないんだ。金銭を要求されている場合も同じか。笑えるだろ」



 榊原君は私をじっと見ながら語る。

 私も榊原君の目から視線を逸らさない。

 逸らせない。



「逆の事も言える。

 愛する人へ、自分なりの"愛情表現"をしたとする。例えば……、そうだな……」



 彼は最適な言葉を探すように天を仰ぐ。そして少し間をあけて、喉仏を揺らし「……あぁ」と声を漏らした。


「ストーカーとか、良い例だ」


 私に視線を戻す。



「相手が自分の"愛情"を喜んで受けとってくれていると勘違いをし、行動をエスカレートさせていく。その間に被害者は身も心もボロボロになっていく。

 だが自分の中ではその行為は歴とした"愛情表現"なんだよ。愛情って響きは綺麗だからな。故に自分の間違いに気がつかない。もはや正義なんだ」


「"愛"とか"好き"とかいう感情は、酷く不確かな感情なんだと、俺は思う。世間でいう"愛することの大切さ"なんて、俺には綺麗事を並べているようにしか聞こえない。

 愛なんて虚像に等しく、エゴの塊だ」



 彼はここまで言葉を並べると、一呼吸おいて呟いた。





「愛が何を生むっていうんだ」








 ――唖然。




 頭に霧がかかったように私の思考が霞んでいた。それなのに、彼が発したコトバは容赦なく脳を駆け巡る。そのコトバは、熱を持ってはいなかった。


 私の目の前にいるのは、本当に榊原君?

 どうしてそんなことを平然と言えるの?


 私は彼の絶対零度の冷たさに震えていた。

 "愛情表現"というものを、そんなふうに捉えていたなんて。

 "愛"ということについて、そんなふうに考えていたなんて。


 榊原君は本当にそう思ってるの?

 どうしてそんなに否定するの?


 榊原君の言っていることは、本当なの?




 愛していれば、何をしてもいい。

 愛してるという言葉は免罪符になるからって。


 愛されてると思えば、何されてもいい。

 愛されていれば、相手の都合の良い存在にだってなれるって。



 だから、愛という感情は、邪魔になるの?




 愛は、何も生まないの?


 


 





……――違う。




 そんなことない。榊原君は間違ってる。

 間違ってるよ……。



 私の頭が段々と正常に動き出す。頭の中の鬱陶しい霧も晴れていき、言葉の意味も徐々に理解していく。

 そして、榊原君はいけない考え方をしているということに気が付いた。何を根拠にそう思ってしまうのかは自分でもわからない。それでも、私は彼をどうにかしなきゃと思った。

 あそこまで淡々と流暢に言葉を並べる彼に、口で勝てる自信はない。あの口調と眼差しで、もしかしたら彼の言っていることは本当なんじゃないかとさえ思えてしまう。


 でも、違う。


 自分の中のナニカが彼の言葉を拒絶する。涙で視界がぼやけ、身体が震えだす。

 それはきっと、まだ私が榊原君のことを好きだからなのだろう。"愛する"という感情を否定されたということは、榊原君への私の気持ちも否定されたということ。私は、それが酷く悲しかった。




――私の感情は受け取らなくてもいいよ。私のことが嫌いでもいい。



 でも、認めて欲しい。

 私のこの感情を、認めて下さい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る