さよならに変えても
第30話 さよならに変えても:1
もともとは北村に見せるつもりなんて毛頭無かった。俺の作品の一部を見て恐れおののくとばかり思い込んでいたので、ここまで見せる必要など無いと踏んでいたのだ。
実際は全く違った。北村は俺の予想を打ち砕いた。それは俺が、北村をただの「偽善者」や「正常な人間」だと思い込んでいたからだろう。
だが会話を繰り返す事で確信に変わった。北村は偽善者でも、正常な人間でもない。全ては俺の誤算、的外れな思い込みだった。
こいつは、
……北村は、
完全に異常者だ。
北村がもし普通の人間ならば"猫殺し"を打ち明けられた瞬間に、生理的に俺を拒否していただろう。いくら惚れているからといって、猫の死体を"作品"とまで言い出す人間を誰が理解しようとするのか。良くて頭ごなしに「いけないことだ」と説教にもならないようなエゴを押し付けてくるのが、常人の反応だろう。
だが北村はそれをしなかった。俺の異常性を否定することなく、あろうことか受け入れようとすらしている。普通の人間なら、受け入れることなど思いつきもしないだろう。なぜなら、偽善心を持つ常人は、自分が思う"正義"は絶対で、それに逆らう思想は"悪"であり、その悪は理解するに値しないと思っているからだ。
北村は、人を。……いや、俺を。
俺を受け入れようとする姿勢が常軌を逸している。
……ただ、北村の異常性と俺の異常性には決定的な違いがあった。
それは「世の中に受け入れられるか否か」。
俺の場合は問答無用で非難されるだろう。なにせ自分の欲の為に軽々と殺しを行うどころか、命と愚弄していると捉えられるからだ。道徳心に生きる普通の人間から考えれば、排除しなければいけない異常性なのは明白だ。
それに比べて北村の異常性は難無く受け入れられるに違いない。慈悲深く、献身的に他人に寄り添う純粋な少女だと評価され、多くの人間から賞賛されるかもしれない。こいつの異常性がどのように社会へ悪影響をもたらすのか、答えが出ない。北村の異常性は、むしろ他の人間も持つべきモノなのかもしれないとさえ思わせる。
そんな根っからの善人が俺に関わり続ければどんな結果になるのか、容易に想像がつく。
きっと、北村は崩壊する。
北村は俺の行動が"悪"だと認識している。それについては受け入れると言いつつも、必ず否定的な考えを持っているはずだ。なにせ猫の死体を見ただけで涙を浮かべたのだ。受け入れきれるはずがない。
仮に俺の全てを受け入れたところで、俺のこの衝動は消える事は恐らく無い。この狂気と一生付き合っていかなければならないという予感を、いつも肌に感じている。逆にこの欲求が無くなったら、なにを糧に生きていけばいいのだろう。
自分の欲望の為に生き物を殺し続ける俺を見て、果して北村は耐えることができるのだろうか?
本人にこの質問をぶつければ、間違いなくこいつは「耐える」と断言するのだろう。しかしそれは、北村自身が言うように、まだ"俺を理解しきれていない"から言える言葉。俺にどれだけの歪んだ破壊衝動があるか、完全にはわかっていないのだ。だから簡単にそんなことが言える。浅はかな考えが出来る。
だから、教えてやる。
躊躇いがないと言えば嘘になる。他人などどうでもいいと思っていたはずなのに、人間の、子供の死体を見せることで、こいつの精神がどうなってしまうのかが気掛かりだった。そんな俺を察したのか、北村は「理解してみせるから」と強い決意を宿らせた瞳で言う。まるでこれから何を見せられるのかわかっているような口ぶりだったので一瞬驚いたが、そんなことがあるはずが無いとすぐに思い直した。
きっと北村は、俺が"ここまでしてしまった"ということまで、予想してはいない。
そうだ。見せるのはこいつ自身のためなんだ。
理解するなど、受け入れるなど、まだ現を抜かしているこいつに。
「それはどうだろうね」
もうこれ以上、北村に、中途半端な想いはさせない。
カーテンを勢いよく開け、カーテンレールを滑る音が部屋中に響き、窓がむき出しになる。
窓の向こう側に、青いビニールシートで覆われた俺の作品が露わとなった。
北村の方を振り返る。胸元の前で両手をぎゅっと握り、身体を強張らせ、俺に一瞥もくれずにビニールシートの塊をじっと見つめていた。
無言で俺は向き直り、部屋と庭を隔てている引き戸に手をかけ横に滑らせる。からからと軽い音を立てながら戸が開く。靴下のまま土の上に足を下ろし、ビニールシートへ歩み寄っていく。足の裏から土の湿った冷たさを感じる。
後ろのほうで、じゃり、と土がこすれる音がした。
見ると、北村が少し間を開けて俺の後をついてきていた。引き戸のすぐ近くに庭用のスリッパが置いてあり北村も気づかないわけないのだが、北村もまた、靴下のままだった。表情から見るにスリッパを履く余裕すらないのだろう。視線を外したら噛みつかれるとでと思っているのか、ビニールシートを凝視している。
ビニールシートの塊は、庭の真ん中にある。
引き戸から約五メートルほどの場所だが、北村はその半分まで歩みを進め、次の一歩を前に出した瞬間、不自然に足を止めた。そして出しかけたその片足を、爪先を地面に引きずるようにして後ろへ下げる。後ずさりともとれる行動。
見るからに身構えている。
何かに、気が付いたかのように。
「榊原君……、それ……」
声が微かに震えている。
俺は再度向き直り、何も言わず、被さっているビニールシートの端を掴んだ。
一瞬だけ、迷いがあった。
が、それを振り切るように手に力を込め、一気にビニールシートを引きはがした。
そこには、俺が手にかけ、造り上げ、
そして少しだけ腐敗の進んだ、
マサトがいた。
数秒の間。
俺は振り返らなかったため北村の顔を見ることはなかったが、北村の息が徐々に激しくなり、土が大きく擦れる音で、その場で崩れ落ちたのだとわかった。
「……え?……え?
……え、……わ、かんな、い。
これ……、ねえ、
さ、かきばらくん…?」
酷く動揺しているようで、乱れた息の中、苦しそうに言葉を漏らす。
北村相手に流石にこれはないだろう、と自分自身に思いつつ、が、これも北村が選んだ結果なのだと思い直し、振り返った。
案の定、膝から崩れ落ちたのだろう。つま先を尻の方へやる形で膝を曲げ、何とか両手を前につき地面に座っているという状態だった。大きく目を見開き、マサトを見るも、瞳がちらちらと小刻みに揺れている。
「わかんないよな。まさか、俺が"ここまでしている"なんて、想像もしないよな」
ゆっくり歩み寄る。
その間も北村の視線はマサトにあった。
「教えてやる」
北村の前で片膝をつく形でしゃがみ込み、視線の高さを合わせ、真っ直ぐ瞳を見た。マサトを見せてからずっと焦点の定まらなかった瞳と、初めて目が合った。
「俺は、人を殺したんだよ」
そう言って手を伸ばし、自分が思う最大限の優しい触れ方で、北村の左頬を撫でた。
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