第31話 さよならに変えても:2 (1/2)

 榊原君がカーテンを開けると、不自然な光景が広がっていた。雑草すら生えていない土一面の殺風景な庭の真ん中に、青いビニールシートの塊が一つ、大きな生き物のようにそこにいた。湿ったような濃い色の土と黒ずんだコンクリートの塀に囲まれている中、人工的な彩度の青が不気味に映えている。

 思わず、その盛り上がったシートの下には「猫の死骸が積まれているのではないか」と想像してしまった。

 生きてきて今の今まで頭の中に描いたことのない、惨く恐ろしい光景を、榊原君の一面を知ったことで"あり得ること"として無意識に想像してしまった自分に気づき、少しだけ驚いた。


 けれど、庭に足を下ろし、ソレに近づいた瞬間、得体の知れない恐怖が全身を這いずり回った。



 ……何かが、おかしい。



 言葉にはできない恐怖、不安が心臓を握り、動機が激しくなる。自然と足も止まり、訳も分からず本能的に「ソレに近づきたくない」と思った。

 そして、榊原君にも「それ以上、そっちに行かないで」と言いたかった。

 彼がこちらに振り返り、真っ直ぐ私を見ている。早くそばに行かなきゃと思うのに、恐怖で全身が強張り、喉の奥がへばりついたように声が出ない。


 声を出そうと喉への違和感に意識を向けると、そこで、鼻の奥、喉の奥に感じる、異様な臭いに気がついた。土の湿っぽい臭いとは違う、今まで嗅いだことのない臭い。まとわりつく様な、それでいて重く、不快な、吐き気すら誘う、嫌な臭い……。その臭いは明らかにビニールシートから漂っていた。



 ――きっとこれは、生き物の、腐った臭い。



 違和感が大きく膨れ上がっていく。

 と同時に、一つの疑念が、水の中に一滴の墨を落とすようにじわりと胸に広がった。




 これは、猫じゃ、ない?





「榊原君……、それ……」



 今度は言葉が出るも、それ以上続かなかった。

 猫ではないのなら、なんなのだろう。私は、ソレを、なんだと思っているのだろう。


 彼は答えず、ただ黙って向き直ってシートの端を掴んだ。その動作から、シートをめくり、覆い隠されていたモノを私に見せようとしていることが分かった。




 私はこのまま、


 目をそらさずに、


 ソレを見ていてもいいのだろうか。




 なぜそう思うのか自分でもわからないまま、もはや恐怖で目をそらすことができず、榊原君がシートをめくるのをただ受け入れることしかできなかった。




 そしてそこには、

 この世界で一番、残酷な光景があった。








 二つ。そこには二つあった。





 一つは、まるで着ているかのように服がまとわりついている丸太のようなモノ。

 もう一つは、反面は黒いふさふさと何かが生えていて、もう反面はくすんだ青白い、でも茶色とも見える、シリコンのようなものでできた、ボーリングの球くらいのモノ。



 最初は、何なのかわからなかった。



 だんだん脳が処理をしていくと、服にまとわれているモノから伸びている棒が、腕や足に。シリコンの球には耳がついていて、生えている黒いものはまるで髪の毛にように見えてきた。




 ……"見えている"んじゃなくて、


 実際に、…"そう"なの……?




 これは、本当の腕と足で……、

 服を……着ている?

 黒いものが生えているのは……頭?


 え?だとしたらこれは、誰?


 ……誰って、私、これを人だって…、


 ……え?……人……?

 人って、こんなふうに……?



 ……あれ?……あれ…………?




「……え?……え?

 ……え、……わ、かんな、い。

 これ……、ねえ、

 さ、かきばらくん…?」



 自然と声が出るが、自分が何を言っているかわからない。呼吸が上手くできず頭の中がぐらぐら揺れ、気がつくと地面に両手をついていた。上半身を支えるので精一杯なのに、ビニールシートの上にあるソレから視線を離すことができない。正体がわかるまで、脳が視線を外すのを許してくれなかった。

 それなのに、頭の中がぼんやりとし、支離滅裂なことばかり巡る。どんどん呼吸が苦しくなる。



 ……あ。あ。榊原君が何か言ってる。



 でも、何を言っているのかわからない。

 彼の声を耳は拾うのに、頭では処理できない。

 脳の処理能力の全てを、ソレの正体を理解するに使われているような感覚だった。



 はっと意識が戻ると、私の目の前に榊原君がしゃがみ込み、私を見ていた。

 ソレとの視界を遮られ、遠く離れていた身体の感覚が戻ってくる。

 私の意思で彼の目を見る。



 榊原君は慈しむような優しい目で、

 けれども、

 縋ることもできないほどの冷たい声で

 淡々と言った。



「俺は、人を殺したんだよ」


 今度はしっかりと、彼の言葉をきいた。

 彼は、もろく、少しの力でも壊れてしまうものに触れるかのように、私の頬を撫でた。

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