第32話 さよならに変えても:2 (2/2)





 ……"おれは ひとを ころした"……?



 ……人。



 あれは、人で。

 やっぱり。人で。




 榊原君が、

 ああいうふうに、したんだ。



 今は榊原君に遮られて見えないけれど、

 はっきり脳裏に焼き付いている。




 胴体と、頭。

 それぞれに分かれていた。




 あれは、きっと、死んでいた。




 ……本当に、死んで、る、のかな?



 もしかしたら、今なら助かるかも。



 まだ、なんとかなるかもしれない。






 ……いや。



 だめ、だ。

 だめだよね。


 あんな状態で。


 だって、頭と身体が、分かれていたら。



 戻せない……よね?


 もう戻せない。


 本当に。






 もう、絶対に、取り返しがつかない。





 死。





 人が。すぐそこで。


 殺されている。





 殺された。


 榊原君に。






 榊原君が。


 殺したんだ。


 人を。





 この、目の前にいる、榊原君が。

 人を殺したんだ。





 不意に、肺が大きく動き、喉の奥で空気が狭い穴を通るような音が鳴る。その瞬間、自分が呼吸していなかったことに気がついた。勝手に肩が激しく上下し、勢いよく空気を吸ったせいか気管支が急激に狭まるのを感じ、ひどくむせた。項垂れて、地面につけていた両手に一層力を入れる。むせた拍子に吐きそうになるのを必死にこらえる。


 俯いてえずく私の頭を、榊原君は優しく撫でた。

 まるで、猫を撫でるように。


「ここまで見せるつもりはなかったんだけど。

 流石に、北村がおかしくなっちゃうかなって」


 大きく呼吸する度に腐敗臭が胃の中を満たし更に吐き気が込み上げるも、それに食いしばり唸ることしかできない。

 無理やり吐き気を我慢していると勝手に涙があふれてきて、視界が歪んでいく。涙は頬を伝うことなくぽたぽたと地面に落ち、点々と土を黒く変色させた。

 榊原君は続ける。


「でも、お前はもともとおかしかったから。

 俺とは別の方向だけど。

 だから、これを見せるしかなかった」


 撫でていた榊原君の手が、優しくすべりながら耳、頬とおりていく。頬下で輪郭をなぞるように指が曲がると、ひっかけるようにして私の顔を持ちあげた。


 上を向いた私と、見下ろす榊原君の、視線が合う。



 先程とは真逆の、突き刺すような眼光。

 普段とは違う、より一層低い、榊原君の声。



「これでも、受け入れるのか。俺を」






 その言葉で、手離しかけた"私"が戻る。



 ――まただ。

 彼はまた、私を遠ざけようとしている。

 自分から突き離そうとしている。



 吐き気を押し戻すように息を飲み、大きく深呼吸をすると、そのまま一瞬だけ呼吸を止めて、目をつむった。




 冷静に。


 大丈夫。


 ……大丈夫。




 短い息を吐き、ゆっくり目をあけて榊原君を真っ直ぐ見返す。

 ……いや。

 強く睨み返して、声を搾り出した。



「私を、私の気持ちを、

 試すようなことしないで」



 突如、両肩に大きな力がぶつかり、身体を後ろに持っていかれる。と同時に視界がぐるんと大きく回り、頭の中で何かがぶつかるような鈍い音が響いた。両肩と腹部に重さを感じ、後頭部からは殴られたような痛みが広がっていく。




 ……?



 今、私が見ているのは……、……空?





「お前は本当に、何もわかっていない」


 私を見下ろす榊原君がいた。

 私は今、両肩を地面に押さえつけられるようにして押し倒され、腹部にまたがられているのだと、遅れて理解した。


 思考が止まる。


 頭が真っ白になり声も出せず固まっていると、彼は両肩を押さえつけていた手を離した。かと思うと、表情一つ変えずにセーラー服の両襟をそれぞれ掴み、破り開けるように乱暴に引き裂いた。


 バツンッ。


 両襟に渡っている布を留めていたスナップボタンが弾け飛び、同時に、どこかの糸も所々千切れたような音。

 制服を破られた恥ずかしさや恐怖よりも、今起こっていることに理解が全くついていけず、ただただ、彼を見上げることしかできない。



「どれだけ俺が……。

 ずっとお前を壊したいと思っていたか、わかってないだろ」



 冷たい両手が、私の首を絞めるような形で触れた。

 全ての指が喉に食い込み、親指はその存在を確かめるように気管の凹凸をなぞる。

 息ができないわけじゃない。けれども、もはや"生かされている"状態に近い。私の呼吸は、彼の両手に委ねられている。


 その間も私を真っ直ぐに見下ろす目は、まるで物を見るような、全く温度のない瞳をしていた。

 私を人として、生き物として、認識していない瞳。



 頭に浮かぶ、予感。








 "殺される"。








「俺はもう、人間の壊し方を知っている」


 首に回していたうちの右手が人差し指を残して離れた。左手は首を握り掴み圧をかけたまま、右手の指先は皮膚をなぞりながらおりていく。ゆっくりと鎖骨へ触れ、破り開けた襟を更にはだけるようにして指が進み、キャミソールに乗り、左胸で止まった。


「首なんか絞めなくても、あいつの目に刺さってるドライバーを引き抜いて、ここを貫いてもいい」


 無表情のままそう言うとおもむろに両手を離し、上体を起こすようにして膝立ちの格好で見下ろした。そして自らのズボンのポケットに手を差し入れる。彼が自分の部屋で勉強机から取り出したボールペンのような物を、無言でポケットに入れていた記憶が蘇る。あの時と同じポケットに手を入れ、引き抜いた。



「これで、綺麗に、殺すことだってできる」



 抜かれた手には、注射器が握られていた。

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