第33話 さよならに変えても:3 (1/3)

 俺がマサト、人間を殺したことを告げた後の北村は、正直哀れとも思えるほど、ひどく動揺していた。

 現実に耐えるかのように地面に爪を立てながら、激しくせき込む。息が上手くできないようで、まるで嘔吐するかのように肩を大きく上下させていた。人間は大きな精神的ショックを受けると身体にこうも影響が出るのか、とぼんやり思った。

 だから早いとこ俺から逃げるなりすればよかったのに。ここまで足を突っ込むから。


 駄目押しで、これでも尚俺を受け入れるのか問うと、北村はやはり異常者の返答をした。



 私の気持ちを試すな、と。



 それを耳にした瞬間。

 脳が急激に熱くなり、眼球が圧縮されたかのように視界が狭まった。音が遠くなる。

 そして気づけば、北村を押し倒していた。馬乗りになり体重をかけ、襟を掴み、力ずくで破る。自由を奪い、露骨に殺意をむき出しにする。その間も北村は浅い呼吸を小刻みに繰り返すだけで、抵抗はしないまま……、いや、抵抗すらもできないまま、ただ黙って俺を見ていた。瞳がちらちらと小刻みに動く。何が起きているのかわからないといった表情。



 その最中、俺は全く違う自分が二人いるような感覚に見舞われていた。

 一人は、北村が俺を拒絶するように打算的に考え、行動している自分。

 確実に北村を怯えさせ、俺から離れるように。

 恐怖して、失望して、嫌悪して、俺を拒否するように。

 北村がこれ以上、俺で壊れないように。

 北村がこれ以上、俺の中に入ってこないように。

 もはやどうやったらこいつは俺から離れるのだと苛立っている自分がいた。いい加減にしろと怒鳴りつけてやりたいまである。



 もう一人は、破壊したいという欲望に駆られた自分。

 こいつをめちゃくちゃにしたい。

 俺の手で、たくさん傷をつけて。

 もう元には戻らない、取り返しのつかないような状態にまで。

 俺がいたから……俺が手をかけたからという証明を、こいつに深く濃く刻みたかった。


 俺しか見れないような姿を見たい。

 あざが出来たらどんな色になるのだろう。

 出血したらどのように流れるのだろう。

 息が止まったらどう喘ぐのだろう。

 死ぬ間際はどんな表情をするのだろう。

 どのように腐敗していくのだろう。


 知りたい。全てを。



 北村はきっと、

 どう死んでも、

 どう壊れても、

 とても綺麗なんだろう。



 俺はすでに知ってしまった。

 人を殺すということを。

 人で作るということを。



 自分のことだから、よくわかる。

 知ってしまった以上、

 一線を越えてしまった以上、

 もう、我慢できるはずがない。



 北村の細い首に両手を這わせた時、殺意で理性が乗っ取られそうになり目眩がした。脅しのつもりだったのだが、俺の身体は本能的に締め殺そうとしていた。もうぎりぎりの状態だった。

 北村の困惑している表情が、俺の衝動を煽る。僅かに残っている理性で強烈な破壊衝動を抑え込んでいる間、確信した。


 俺は、こいつ"だからこそ"、殺したいのだ。


 北村を見下ろし、ズボンのポケットに手を突っ込んで注射器を取り出した。





 北村は注射器を持つ右手を見た後、俺の顔に視線を移した。まだ状況が呑み込めないという表情の中、説明を求める視線。

 それを受けて、俺は注射器を見ながら言った。


「……ネットで海外から買ったんだけど、手に入れるまでにかなり苦労したんだよ。見つけるまでにも時間がかかったし、やり取りは全部英語だし」


 何の気なしに注射器を指で挟んで、ペン回しのごとく一回転、二回転とさせた。案外回しやすく、そのまま手癖にならって回し続ける。


「試したことはないんだけど、綺麗に死ねるんだと。どっかの国では人間に点滴で入れて、お陀仏させるために使ってるって。

 まずは意識障害が出て、そのうち呼吸をするために必要な臓器がゆっくり停止していく。だからまぁ、比較的苦しまずに死ねるのかもしれない。

 でも点滴なんて、普通そんなの面倒だろ。揃えなきゃいけない道具も増えるし薬が回るまで時間もかかる。

 だからその同じ成分の、まあもしくはそれに代わるようなもので高濃度の薬をずっと探してたんだ」


「……何に使うの?」


 注射器を見ていた北村がようやく口を開く。

 怯えるというよりも、信じられないと言わんばかりに眉をひそめ、目を大きくしている。


「……さっき言ったろ。

 これだと大きな傷や跡も残らない。

 綺麗に殺せる。

 こいつを手に入れるのにそれなりに金も必要だったけど、なんせ俺の親は金だけは持ってるから。毎週食費だと言って馬鹿みたいな額を置いていくんで、すぐに貯まったよ。その点は親に感謝だな」


 注射器を指先で回しながら、北村の首元にもう一度左手を這わせた。今度はびくりと身体を震わせ硬直させたのが、馬乗りになっている身体から伝わる。指先で探り脈を感じる箇所に触れる。緊張しているのか激しく脈打っている。血管を直に触るかのように皮膚の上から圧をかけた。

 北村は口を閉じ俺を見上げるだけで、抵抗することなくじっとしていた。


「試してないから、もしかしたら死にきれないかもしれないけど、その時は俺がしっかり殺してやる。なるべく長引かないように……苦しまないように」



 指先で回すのをやめ、その注射器を一瞥した後、北村に視線を移した。

 前かがみになり、顔を近づける。



「北村、お前は俺のことを受け入れてくれるんだよな。理解してくれるって。

 じゃあ、死んでくれる?俺のために」

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