第5話 二人:3 (2/2)
俺自身、おかしいとは思っている。自覚している。
中学二年生なんて異性を意識しまくる時期なのだろう。周りの男子生徒の会話を聞いていてもわかる。さっきの連絡先の件だって、きっと舞い上がってもいいはずなんだ。
でも俺は全く浮き足立つ感情が芽生えなかったし、むしろあの空気感に苛立ち、煩わしさすら感じた。異性に対して特別な感情を生み出せるその感覚が、俺には掴めなかった。
異性に興味がわかない"だけ"なら、まだしも。
俺はきっと。
……いや。俺は、異常なんだ。
初めて自分が周りと違うということに気付いたのは中学一年生の時だった。
あの日、いつものように教室に入ると一角に人だかりが出来ていた。人だかりは男子生徒のみで構成されており、その塊を女子生徒が遠巻きから呆れたように眺めている。女子生徒の視線の中には軽蔑とも取れる眼差しも混じっているように見えたため不思議には思ったが、興味よりも面倒臭さが勝り、そのまま自分の席へ向かおうとした。
が、その途中、人だかりの中の一人と目が合ってしまい「お、榊原!いいねいいね、お前も男だ。来いよ」と声をかけられてしまった。呼ばれた以上無視するわけにもいかず、渋々そこへ歩みを進める。
学校生活の中で、他の生徒に対して無視を決め込みたかったこと、苛立ちをぶつけたかったことが何度もあった。周りの生きている人間など、心底どうでもよかった。
ただ、俺がそのような態度を取ったとして、それが原因でいとも簡単に諍いが起きることも容易に想像できた。そこまではいいのだが、次第によっては俺の親へ連絡がいく、もしくは親が学校に呼び出される事態にまで発展する恐れがある。それだけはなんとしてでも避けなければならず、ある程度の交流は致し方ないと割り切っていた。
今回も波風を立てまいとの一心で、のろのろと男子生徒の輪に入る。そして輪の中心に置かれた一つの机を見て、溜め息が出そうになった。
「先生にバレたらヤバいんじゃないの」
「大丈夫大丈夫!」
机の上に開かれた雑誌。一人がにやにやしながらページをめくる。そのページには写真がでかでかと載っていた。上半身裸の女性が挑発的な、別の写真では恍惚とした表情をしながら、ポーズをとっている。下半身もなかなか際どい下着だ。
なるほど、俺には縁がない世界。これ以上ここにいる必要はないと判断した俺は「ふーん、じゃあ」とその場を立ち去ろうと踵を返す。その瞬間、腕を掴まれた。眉間に皺を寄せ、振り返る。
「何。ただのエロ本だろ。
わかったから」
「おま……、"ただのエロ本"ってマジで言ってるのか!?」
オーバーなリアクションに俺は思わず顔をしかめる。
それとは別で、エロ本に群がっていた生徒どもが小声でいくつかやり取りをすると、蜘蛛の子を散らしたかのようにバタバタといなくなった。もうすぐ朝礼開始の合図である鐘が鳴るからだろうか。
そんな中でも、こいつが雑誌を持ってきた張本人なのだろう、食い下がる。
「お前ね、この本が俺達にどれだけ至福の時を与えてくれてるかわかってないだろ!いや、お前はわかってるはずだ。男なら誰しもがわかるはず。お前もその一人なんだよ!」
雑誌を叩きながら大統領選挙の演説かのように大熱弁するそいつが、心底馬鹿に見えた。ムキになれることが羨ましくも思う。
それに、間違っている。
……――俺は「その一人」じゃない。
「……皆、そういうの見て興奮すんの?」
俺の言葉にそいつは「は」と返した。口をぽかんと開けて間抜け面を晒しながら目をぱちくりさせる。少しの沈黙のあと、そいつは首を傾げた。
「かっこつけんなって。
じゃあ、榊原はいつもナニで抜いてんだよ」
沈黙。
そいつは取り繕うかのように「あー!ごめんごめん。今のはデリカシーなかったわ!だからそんな冷めた目で見ないで!」と手をばたばたさせた後、で?と視線で俺の発言を促した。
なぜだろう。いつもの自分なら、適当なことを言ってやり過ごしているはずだった。それなのに本当のことを打ち明けたい衝動に駆られたのは、雑誌に映った半裸の女を見て、強烈な疎外感に襲われたからなのかもしれない。
「……ネットに落ちてるグロい写真」
「は?グロ、い?」
「検索してみろよ、意外とすぐ見れるから」
「いやいや、質問の意味わかってる?」
「オカズの話だろ」
「おま、俺が言えねーけどストレートだな……。いや、てか、聞いてんじゃねーか。なんでそこでグロい話が出てくんだよ」
「だからお望み通り言ってんじゃん」
「……、マジ?」
「俺、道端に死んでる猫の死体見て初めて勃ったし」
「……」
沈黙。
「……いや。嘘だけど」
今度は俺が取り繕う様に、いつもの淡々とした調子で呟いた。その言葉を聞き、そいつも「……あ、はは。そうだよな」とぎこちない笑顔を見せる。頬の筋肉が強張り、眉毛がぐにゃりと曲がっている。
「ビックリした……。お前って冗談言うんだな。
でも……お前が言うと、なんか……アレだな。
シャレになんねぇよ」
「そう」
俺が言い終わった瞬間、教室の壁に張り付いているスピーカーから聞き慣れた鐘が鳴り響いた。そいつは飛び上がるようにして慌てて雑誌を閉じると乱暴に鞄の中に入れ、俺に向かって人差し指を立ててしーっと息を吐いた。それに「わかってる」と返事をして、俺も自分の席に戻る。
因みに俺は冗談なんて言ってないし、シャレではない。
――あの時のアイツの顔、今でも覚えている。
先程まで同級生に向けていたものとは全くかけ離れた、奇妙なもの、不気味なものを見るような目で俺を見ていた。ヘラヘラした笑顔も一瞬で引きつって、理解できないものと対峙したかのようにじっと俺を見る。
その視線を受けて、俺の思考は取り繕わなければと浮つき、滑っていく。目がちらつきそうになるのを堪える。発する声が枯れないように意識を向ける。"普通"のフリをしろ。側から見えないようにして奥歯を食いしばった。
その日、俺はズレてるんだと悟った。
前々から微かに感じていた、周りの人間との何かしらの違和感。話が噛み合わない。感性に共感できない。でもそれを直接的にはっきり叩きつけられたのは、これが初めてだった。
だが、それがわかっても俺にはどうする事も出来ない。俺が皆と違う所で、……しかも生き物の死や臓器に対して性的興奮を抱くのは、多分、いけないことなんだと思う。
一時期それなりに悩んだこともあった。これは"悩んだ方がいいのだろう"と判断し、悩んだ。普通の人間は、なんとかしなければいけないと思うのだろう、と。せめて"悩む"ことで、まだ俺は普通の人間でいられるのではないか、と。
とはいえ形式上悩んでみたところで当然何も変わらず、内容が内容なだけに、誰にも言うこともなかった。それ以前に、言ったところできっと誰からも理解されないだろう。
これからもずっと。
孤独。
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