第39話 さよならに変えても:4 (4/7)
――どれだけの間、そうしていただろうか。私が何も言わず頭を撫でていると、榊原君はいつの間にか整えていた呼吸を短く吐いて、身体を離し私を見た。睫毛が濡れて、色濃く光っている。
「なんで、急にそう思ったんだ」
私は上手く説明できる自信がなく「榊原君は死にたいんじゃなくて、本当は、殺されたいんだなって思ったの」としか言えなかった。けれど彼にとってはそれは十分答えになったようで、何も言わずに私の肩にうなだれるようにして身体を寄せた。
彼の表情に変化は無かったが、なんとなく、嬉しそうに見えた。初めて見る彼の甘えるような仕草に、かわいい、と感情が動く。
私の肩に顎を乗せながら、彼が言う。
「でも、それだと北村の要望は叶えてあげられないんだけど」
「私が榊原君とずっと一緒にいたいって思っても……それで一緒にいてくれたとしても。
本当の意味では、榊原君はずっと孤独なんでしょう?」
再度彼は身体を離して、驚いたかのように私の顔を見る。
「いくら馬鹿な私でも、もうわかるよ」
そこまでのやり取りをすると彼は無言になり、考えに集中するかのように視線を外した。こういう時は黙っていた方がいいとわかっていたので大人しく待っていると、彼は私に視線を戻し「目、閉じて」とだけ言った。
何の脈略もない要求に、私は戸惑う。
「え?目を閉じるの?」
「うん」
なんだか恥ずかしさや気まずさを感じながらも、有無を言わせない彼の無表情にいつもの如く圧倒され、言うとおりに目を閉じた。
暗闇の中で、不意に左頬を数本の指先が撫でる感覚が走り、思わず身体が小さく跳ねる。
その指先がこめかみ、頬下、顎へと進むと、顎下に指先が潜るようにして軽く顔を持ち上げられた。それにより私の首が無防備に剥き出しになり、意識が首元に集中する。先ほどの鋭く光った注射器が、頭を過ぎる。
私の首を両手で絞めようとしていた榊原君の目は、本気だった。
やっぱり、
私はこのまま殺されちゃうのかな。
こうやって目を閉じている間に、首筋にぷすっと、やられちゃったり、して。
そう暗闇の中で考えていると、唇に柔らかい圧がかかった。思いもよらない刺激に反射的に目を開けると、ちょうど顔を引いて離れた彼と目が合う。
「したいって言ってたから」
榊原君は淡々と言った。その言葉から思い起こされる私が先ほど主張した"要望"と、まだ唇に微かに残っている感触で何が起きたのか理解し、爆発した。
「……え?
……あっ、……え!!!!!?」
一気に顔が熱くなり、心臓の音が頭中に大きく響き、汗が噴き出る。
「い、言ってよ!!!する前に!!
私こんな、は、初めてだし、心の準備が……っ!!」
「言うもんなの?今からキスするって?」
「……」
「そもそもなんでこんなことしたいのかわかんないけど、言わないだろ」
「言わない……かも……です」
いつもと全く変わらない彼とは裏腹に、私はというと顔が火傷しているんじゃないかと思うほど熱を持っていて、それも全く引きそうにないので冷たい両手を頬に当てた。
唇に触れた感覚が想像以上に柔らかく、こういうものなのかと何度も記憶を反復させていると、彼はもう一度私の頬に手をやった。驚きで固まっていると、まるで何かを確かめるようにゆっくりと親指が唇の上をなぞっていく。その間凝視され、恥ずかしさを感じながらも戸惑いのあまり「えっ、えっ、何?」と声が出た。
彼は呆気なく手を離すと「うん、だめだ」と言った。
「時間の問題だな。
やっぱり殺したくて仕方がない」
「……榊原君は死ぬとか殺すとか、もう、そればっかり」
「よく我慢できてるなと我ながら思うね」
少しだけ余裕が出てきた私はなんだか仕返しがしたくなって、にやりと笑った。
「私のこと、それだけ好きなんだ」
榊原君は歌舞伎役者みたいに器用に片方の眉だけを上げると、心底鬱陶しそうな表情で私を睨んだ。その表情も今はなんだか全く怖くなくて、図星でしょうと笑った。
笑う私を見て、呆れたような、諦めたように溜息を吐くと、彼は地面に置かれた注射器を手に取った。
そして、無言で私に差し出す。
「本当の本当に、これしか方法はないのかな」
思わず、言葉が口をついて出た。
「北村も、これ以外ないって思ったから、さっきあんなに泣いたんだろ」
彼は睫毛を伏せて視線を下に落とし、そう言いながら笑った。
口角を柔らかく上げ、目を細めた、優しい笑顔だった。
榊原君が笑ってるとこ、初めて見た。
ああ、やっぱり、かっこいいな。
好きだ。どうしようもなく。
離れたくない。
失いたくない。
けれど……ーー。
「……そうだね」
私は彼から注射器を受け取った。
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