第38話 さよならに変えても:4 (3/7)
……わかってる。こうやって抱きしめているのも、単純に私を制御したいだけ。手を掴んでこの家に連れてきた時みたいに、力で自分の思い通りにしたいだけ。
わかってる。
わかってる……んだけど……!
「さ、ささ榊原君、
これっ、は、ちょっと!反則かも!」
「反則も何もないだろ。こうでもしないと話もできない。ていうか、俺はもうするつもりもないんだけど。
本当に帰ってくれ。もう十分、愛とやらはわかったから」
密着する体温に浮かれてパニックになりつつも、彼はその話をしたくて私を家に連れてきたのだとわかった。とはいえ、のこのこ帰ってもきっとすぐにでも自分で薬を注射して死んでしまう。それだけは絶対にだめだ。
「だから、私が帰ったら死んじゃうんでしょう?」
「じゃないと、北村が死ぬぞ」
「榊原君に殺されちゃうってこと?」
少しの間を置いて、榊原君は「まあ、……そう、だけど」と珍しく歯切れの悪い返事をした。
「もう、本当に我慢できないの?」
「できない」
今度は即答。
私は、うーん、と唸りつつ彼の肩に顔を預けて、考え込む。
なんだか榊原君のその衝動と言うのはまるで、お腹を空かせた子どもがご飯を欲しがっているよう……、いや、もっと野性臭い、動物的な、本能的な……。
「理屈や理性でなんとかなるものじゃないんだよ。
根本的に、俺は世の中と合っていないんだ」
ぽつり、と呟いた。
ずっと、そう感じながら生きてきたんだろう。自分自身で外れていると思いながら、誰にも共感されず、たった一人で。今まで、どれだけ生きづらかったのだろうか。
そして彼は今、その感性で、私を見ている。
殺したい、と。
「……私を殺したら、榊原君は死なないで済むの?」
私の問いに、彼は呆れたように肩を少しだけ跳ねさせ笑った。
正確には抱きしめられているため表情は見えていないのだけど、密着している身体から伝わる振動や息遣いで鼻で笑ったのだと予想がついた。
「お前を殺したら、尚更もう、生きていけないだろ。どうやって俺は俺を許せるんだよ」
意外な回答に、私は驚いた。
なにそれ。そんなの、まるで……。
……まるで……?
その瞬間、私はあることに想像が至り、全身に鳥肌が立つのを感じた。肌が痺れたような痛み持つ。身体ごと揺れてるのではないかと思うほど、激しく心臓が暴れている。
まさか。
まさか、まさか、まさか。
私は震える声を悟られないように抑えて、もう一つ、榊原君に質問をする。
「榊原君、死に方はいくらでもあるって言ったよね。
その中で、どうして、その注射器……、その薬を選んだの?」
彼は、微かに首をこちら側に向けた。言語化するために考えているのか、返答に迷っているのか。とにかく無視ではなさそうな沈黙が続く。
そしてしばらく間を置いた後、口を開いた。
「さっきも言ったけど、この薬は人間……生物の死を目的とした薬だ。こいつを作って、こいつを詰めたのはどこの誰だかわからないけど。
誰でもいいし、どんな形でもいい。間接的にでもいいから、他者の殺意が混じっていてほしかったんだ」
榊原君の答えを聞いて、
言っていることをゆっくり理解し、
確信に変わった。
あぁ、やっぱりそうだ。
そうだったんだ。
私は榊原君の言うように、何もわかってはいなかった。あまりにも甘く、浅はかで、能天気に考えていた。彼を。彼の孤独を。
だんだんと喉の奥が熱くなり、視界が歪んで、涙が溢れてくる。学ランの肩に落ちていくので慌てて身体を離そうとしたが、彼の腕が許さなかった。けれども、私が泣いているのには不思議に思ったようで「今度は何」とだけ言った。
答えようにもどうしようもない事実に胸が締め付けられて、息をするのも苦しくなり、最初は我慢していた声も終いには幼い子どものようにあげて泣いてしまった。彼の背中に手を回して強く抱きしめ返し、肩に顔を埋める。彼はその間、特に理由を問いただすわけでもなく、離れるわけでもなく、黙ってじっとしていた。どんな表情をしていたのかはわからない。
ひとしきり泣いた後に言わなきゃと口を開けるもどうしても言葉にできず、口をとじる。
ああ、いやだ。
本当にいやだ。
いやだ…………、けど。
この世界での榊原君の救い方。
榊原君の望む愛され方。
きっとこれしかないんだ。
榊原君は、そう思ってたんだね。
「私が榊原君を殺してあげる」
私を抱き寄せている指先が、ほんの少しだけ動いた。けれども信じてもらえてはいないようで「何を泣いてんだか知らないけど。そう言って、これ渡したら、ぶっ壊しておじゃんにするんだろ」と言った。
「そんなことしない。
私がそれを使って、榊原君を殺してあげる」
「なんで急に。どういう風の吹き回しなんだ。
第一、そんなことしたらお前も犯罪者で殺人鬼だぞ」
「いいよ、それでも」
「いいわけない。適当なこと言うな」
「いいの、愛してるから」
彼は私の両肩を掴み、密着していた身体を引き離すと私を見た。困惑と疑いが入り混じったように眉を寄せている。警戒心いっぱいで上目遣いでこちらを伺う、野良猫のような表情をしていた。
私は俯いて涙を拭うと、顔を上げて出来るだけ明るく、悪戯っぽく笑う。
「私たち両思いなんだよ。きっと。
私のこと、守ってくれてありがとう」
今度は驚いたように、彼は眉を上げ目を大きくさせた。そして何かを言おうと口を微かに開けるも、すぐに閉じてしまった。私をじっと見つめる瞳が、落ち着きなく揺らいでいる。
「そんなどこの誰かもわからない人じゃなくて、私が榊原君を殺してあげる。私の手で」
彼は目を大きくしたままゆっくりと視線を外すと、視点をどこに合わせるわけでもなくぼんやりとしたまま「なんで、お前は」とだけ呟いた。私の肩を掴んでいた手が、力なくずるずると落ちていく。そして何度か瞬きをした後、唐突に顎を引いて真下を見るように俯き、私から顔を背けてしまった。目元は垂れた前髪に隠れて見えないけれど、口元には力が入り、食いしばっているのがわかった。
今度は私が彼の背中に手を回し、引き寄せる。
もう離れないように、寂しくないように、抱きしめた。
彼の肩が不規則に震えだし、呼吸が乱れていく。片手を私の背中に回すと、耐えるかのようにセーラー服の生地を握りしめた。
榊原君は、声を殺して泣いていた。
「寂しかったね。でももう私がいるよ」
私は彼の頭を撫でた。
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