第17話 変化:4 (2/7)

 しかし今は夜の九時。こんな時間に、外に子供が居る筈もない。少し物足りないが、どうにもならない事だってある。俺は自分にそう言い聞かせた。

 今日は疲れたし、思い出したくもない記憶が蘇って気分も悪いので早々に帰る事にした。近くの公園の水道で手と金槌を洗う。もう何回も殺っているので、服も汚れなくなっていた。今回は一切の汚れも無く済ますことが出来た。




 帰り道を歩いていると急に空腹感に襲われた。そういえば、晩飯を食べていない。コンビニに寄るにも、金を持って来ていただろうか……。

 ズボンのポケットに手を突っ込み、漁る。すると中から五百円玉が出て来た。入れた覚えは無いが、あまり深く考えずに「今日はついている」とだけ解釈した。

 俺は金槌をズボンのポケットに入れ、入りきらずはみ出た持ち手部分はパーカーの袖で隠すと、近くにあったコンビニに入った。


 自動ドアが開くと同時に聴き慣れた電子音が流れた。照明の眩しさに目が眩む。明る過ぎだ、アホ。

 店内に入り、まず左手のレジにいた店員に目がついた。レジ台にもたれるようにして片手を付き、商品の煙草をただぼーと眺めているだけの、しらけた顔をしたオッサン。右手に目をやると雑誌や本が棚に並んでおり、そこではサンダルを突っかけて雑誌を立ち読みしている女がいた。人が少ない空間で最近流行っている歌が、場違いなテンションで流れている。


 目線を前にやると、突き当たりに弁当が並んでいる棚が見えた。自然と早歩きになる。腹も減ってるし、通報されたら面倒だ。とっとと買って、とっとと帰ろう。



 しかし、俺の予定は見事に打ち砕かれる事となった。



 行く途中にいくつかの棚を通り過ぎ、何気なく右手……パンが並んでいる棚へ視線を移す。そして俺ははっと息を呑んだ。




「!」



 子供……、子供がいる。




 先程は子供の背が小さかったため気付けなかったが、男の子がそこにいた。年齢は推定九、十才ってとこか。半ズボンから俺でも折れそうな程細い足が伸びており、上半身をこの二本の棒で支えているのが不自然のように見えた。

 その子供は、食い入るように並べられたいくつかのパンを見比べている。



「……おい。ガキ」



 ほぼ反射的に声をかけてしまった。心臓が肋骨を揺らすほど高鳴っている。


「なぁに?

 って、お兄ちゃんもガキじゃん」


 子供は俺の声に気付き、振り向いた。大きな目をしていて可愛らしい。

 殺してやりたいくらいに。



「……うるせぇよ、ガキ。

 お前、こんな時間に何やってんの?

 パパとママは?」


「パパは今日帰って来ないよ。

 おれ、腹減ったからパン買いに来たんだー!」


 少年は得意気に話しだした。こいつの話からすると、父親は今日飲み会で朝帰り。母親は小腹が空いた少年を見て良いきっかけだと思いお使いをさせているらしい。

 買い物を経験させるのは良い事だが、母親は外の様子や時計の針が見えないのだろうか。俺は呆れて思わずため息が出た。



「……あのな。

 こんな時間に外出なんて、なんとも思わない?

 危ない奴とか、絶対いるよ」


 俺とか。


「うーん……。

 おれ強いから大丈夫!

 すんげぇ蹴り食らわせて警察に突き出すから!」


「……。

 まぁ、お前みたいなガキがそう言うのは仕方がないよ。でも、お前のママは絶対おかしい。普通、自分の子供をこんな時間に一人で外に出さない」



 母親もおかしいが、保護しない店員も女も頭が腐ってる。だから俺みたいな奴に子供が襲われるんだ。

 俺は、率直な意見を言った。すると、その言葉を聞いた少年は突如俺の服を力一杯掴みかかってきた。


「ママのことを悪く言う奴は許さないぞ!」


 静かな店内に少年の声が響き渡った。店員は驚いた様子でこちらを見ていたが、俺と目が合うとすぐさま視線を逸らした。

 俺が成人男性だったら、こうはいかなかっただろう。俺自身もあのオッサンからしたら、ただのガキなのだ。だから、油断が生まれる。まさかこの学生が人を攫おうだなんて出来るはずもないし、そもそも思うはずがないのだ、と。


「……ごめんごめん」


 少年はどうやら本気で怒っているようで睨みを利かせて俺を見上げている。俺は頭を撫でて謝った。すると少年は口を尖らせながらも「また言ったら、今度は許さないからね」と言いながら、服を掴んでいた手を離した。


「うん。それよりお前、パンは?」


「……あ。

 兄ちゃんと話してたらこんな時間になっちゃったじゃんか!」


「知らねぇよ」


 鼻で笑う俺を余所に、子供は商品棚に並べられたパンを焦って見比べる。優柔不断なのだろうか。唸りながら行ったり来たりし、なかなか決まらないらしい。

 その時、心の奥に押し込めていた黒い欲望が滲み出るのがわかった。北村を思い出しても、もうどうにもならない。先程の作品作りで俺のどこかの感覚が麻痺していた。

 俺は後ろから子供の肩に両手を置き、耳元で囁いた。


「コンビニじゃなくてさ。

 もっと美味しいパンがあるとこ、知ってる」


 少年は勢いよく振り返り、目を輝かせながら「本当!?」と聞いてきた。かなりパンが好きらしい。嬉しそうな表情で予想以上の食いつきを見せてくれた。


「うん。行く?

 道教えるだけでも良いけど、危ないだろ。

 俺が一緒に行ってやるよ」


「うわぁ!マジかよ!!行く行く!連れてって!」


 俺の片手を両手で掴むとその場で元気良く跳び始めた。

 最近の教育はどうなっているのだろう。でもそれが犯罪者にとっては好都合。勿論、俺にとっても。

 そして少年も完全に油断している。俺がガキだから、自分にはなにも"コワいこと"はしないだろうと。



「じゃあ行くか」


「うん!」


 俺と少年は手を繋いでコンビニを出た。冷たい風なんて気にもならない。俺の全身は熱をもっていた。動悸が激しい。

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