第35話 さよならに変えても:3 (3/3)
自由を力で押さえつけて殺意を剥き出しにし、懇切丁寧に殺し方まで伝えたのに、北村にペースを完全に持っていかれた。頬を触れる北村の手の冷たさに、先ほどまで高ぶっていた感情が吸い取られていくようだった。
あーあ、と投げやりに北村から身体をどかすと、立ち上がることはせず、そのままそばであぐらをかいて座りなおした。北村は意外そうにしながらも、上体を起こしつつ俺を見る。
「お前、本当にすごいな。
こんなマサトの横でそんなこと言えるか、普通」
「マサト……?」
「そこにある俺の作品……、死体の名前だよ。
もともとの」
北村の表情が再度強張り、小さく「マサトさんっていう、名前なんだね」と言った。両膝を立てて腕で抱え込むようにして座ると、視線を落としながら続ける。
「……その、マサトさんって人も、絶対にこれからもたくさんやりたいことがあったんだよ。
マサトさんの周りの人も、マサトさんと一緒にやりたいこと、たくさんあったんだよ、絶対」
俺を責めるような口調ではなく、なぜか北村自身が噛みしめるように言った。
「まあ、そうかもね」と俺が応えると、北村は俺を見た。見透かすような、奥に芯のようなものが光る、瞳。
「愛されたことがないから愛し方がわからないように、奪ったものを榊原君自身が持ってないから、奪われた側のことがわからないんだよ」
「……何が言いたいんだ」
「榊原君は、生きたいって、思ってないのね」
鼓動が跳ねた。
自然と眉間に皴が寄り、北村を凝視することしかできなくなる。真っ直ぐと見据える、吸い込まれそうになる大きな瞳。
「わかるよ。
ずっとずっと見てたから、榊原君のこと。
どうでもいいと思ってるんでしょ?
そういう榊原君に気づいたから、私はどんどん"じゃあ私が榊原君のことをたくさん愛したい。榊原君の代わりに、私があなたを大切にしたい"って思ったんだけど……」
少しだけ表情を和らげるも、すぐにマサトがある方向の地面に視線を落とし、今度は表情を曇らせた。
マサトのことは、もう直視できないらしい。
「私、榊原君が例えば警察に捕まったとして、何か罰を受けたとしても、無意味だと思っちゃうの。だって榊原君は全部どうでもいいと思ってるし、本当の意味で何を奪ったのか、わかっていないままだから」
そこまで言うと俺に視線を戻し、微笑みながら続けた。
「私をその薬で殺すのは、
これからも私と一緒に生きていきたいって、
榊原君が思ってからにしてほしい」
こいつは、自分の命を以てして、俺に本当の意味で罰を与えようとしている。
全ては俺を、真っ当な人間にさせるために。
ここまで北村を突き動かしている感情が愛というのなら、やはり愛は狂気だ。
「……この薬で北村を殺すことはないよ、一生」
北村は困惑とも悲しみとも取れる、しかしいつも通りとも言える表情に変え、頬を赤らめながらもあわあわと身を乗り出してきた。
「え!?そ、それは私と一緒に生きたいって、一生思わないってこと!?」
「違う。そういうことじゃなくて」
そう、こいつは北村に使うわけにはいかない。
そう思っていたはずなのに、俺はなぜ引き出しから取り出したのだろう。こいつを見せたのは脅しのつもりではあったが、やはり、心のどこかで北村に注入して殺す未来を望んでいたのかもしれない。
自分の中にある、北村への強烈な殺意を再確認できて良かった。こいつを手に入れた俺の選択は、間違ってはいなかった。
あぐらを組んだ足もとで、指先で注射器をもてあそぶ。落ちかけてきた夕陽を反射させ鋭く光るそれを眺めながら、手に入れた本当の目的を、静かに口にする。
「こいつは、端から俺に使うために買ったんだ」
言い終わりにかぶせる様な勢いで、両手が注射器ごと俺の手を握った。
何事かと見上げると、北村が血相を変えていた。初めて見る、驚きと怒りと、焦りに満ちた表情。猫の一部を突きつけ、俺の価値観を語り、人間の死体を見せても尚、作らなかった表情だった。
北村が声を絞り出すようにして、震える唇を動かした。
「……何を言ってるの?」
「そのままだよ。
北村は、俺が生きたいと思っていないと言ったけど、それは少し違う」
再度、手元に視線を戻す。
注射器に被さる両手は、一回り小さいのに力強く俺の手ごと握りしめている。まるで力ずくで、俺に薬を使わせないように。
「俺は、死にたいんだよ」
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