第7話 二人:5 (1/2)

 昔の事を思い出していると突如無性に何かを解剖したくなった。しかし当然ながら、家の中には解剖出来る生き物が何一ついない。当たり前のことで、勿論わかってる。わかってるのに、自分のずっと深いところが強く求めていた。


 解剖がしたい。血液が見たい。血液に触れたい。内臓が見たい。内臓に触れたい。死体が見たい。死体に触れたい。死が見たい。死に触れたい。死を感じたい……。


 遂にはその欲求をどうしようもなく実行に移したくなり、俺は外に出ることにした。今は夜だが構うものか。親はお互い、それぞれの愛人と遊んでるだろうし今日も帰って来ないだろう。


 その時ふと、何故だか北村のことを思い出した。そして小さな紙のことも。

 ……メール……。あいつ、なんか言ってたっけ。

 ハンガーにかけてある制服のポケットに手を突っ込み、小さく折り畳まれた紙を探り当てた。丸い字で書かれたアドレスに従い、携帯を片手にポツポツと打っていく。取り敢えず、名前をのせて送信。


 そのまま携帯をズボンのポケットに突っ込んで、ペン立てに刺してあったカッターナイフを着ていたパーカーの前ポケットに入れた。このカッターナイフは安い物ではなく、薄い木の板くらいであれば力任せに切断することもできる、ごついやつだ。


 少し冷え込んできた外へ出る。冷たい夜風が頬や髪を撫で、その心地好さに俺は目を細めた。




 何を解剖するか決めずに衝動的に外へ出たので、取り敢えず当てもなくぶらぶらと歩いてみた。


 ――さぁ、何を開こうか。今までにした事があるのは、昔やった蛙と今日やった鮒。

 初めて生き物の中身を見たのは俺が小学五年生の時だった。あの時のことは今でも鮮明に覚えている。

 昔から"そういうこと"に興味があった俺は、蛙を目の前にして自制が利かなくなった。そいつを捕まえて、石で頭を叩き潰す。そしてハサミで腹を切り開き、指で中をほじくり返して内臓を地面にぶち撒けた。


 ――凄かった。


 その行為を行っている最中、自分の鼓動が耳の中で反響して……。呼吸が乱れるほど心臓は激しく動いていたし、頭が痺れるような興奮がずっと続き、その日はなかなか眠れなかった。

 でも勃つとまではいかなかった。今でも蛙を殴り殺すのはたまにやるのだが、なんだか物足りない。飽きたというのもある。それに今から蛙を捕まえるというのも季節的にも難しい話だろう。


 ……そういえば、初めての性的興奮を経験したのは猫の死体。だが、俺が直接腹を開いた事はない。



 ねこ……。



 今日は猫にしてみるか。



 材料が決まったので野良猫を徹底的に探す事にした。でもあまり目立った所には行けない。この時間に警察に見つかったら、確実に補導される。カッターナイフに気づかれたら、より面倒なことになるだろう。それは絶対に回避しなければならない。

 交番付近や大通りまでは足を伸ばさずに、公園の草影や裏道、人目の着かない暗がりを探した。


 探しだしてから約四十分後、集合住宅他のゴミ捨て場前で路上駐車をしている車の影から、何か動くモノを発見した。



……――いた。



 その猫は、前足を身体の下に織り込むようにして悠々とその場に座り、こちらを見据えていた。暗くてわかりにくいが、花壇の土のような深い茶色の毛が生えている。野良猫の割りには体が大きく、毛並みも艶やかに見えた。付近で餌付けでもされているのだろうか。


 猫の黄色い目を見つめながら脅かさないようゆっくりしゃがみ、パーカーのポケットに突っ込んでいた手を出す。

 猫もまた、俺を見つめている。そして目線はそのままに、素早く身体を屈め前足を出すと逃げる態勢に入った。


 ……こいつ。さっきまではふてぶてしかったのに……。野性の感ってやつなのか。


 目を逸らしたスキに逃げられそうだったので、俺は見つめながらも先程立ち寄った公園で引き抜いてきたねこじゃらしを、ポケットから取り出した。

 それに気づいた猫の視線は、俺からねこじゃらしに移った。最初はちらちらと忙しなく俺と猫じゃらしとで交互に見ていたが、暫く猫じゃらしを動かし続けると、俺を見ることも無くなり猫の注意がそちらに向いた。やはり近所で可愛がられているのだろうか。警戒心が解けていくのが見てとれ、思わず俺の口端が上がる。


 性には逆らえないもんな。

 わかるよ。俺もだ。

 さぁ、こっちに来い。


 ゆっくりとねこじゃらしを左右に動かす。その動きに合わせて猫の頭も左右に動く。猫はもう、俺の事なんて眼中に入っていないようだ。

 ある程度の時間をかけて幼虫の動きを真似て動かしていたが、タイミングを見計らい、手元を一気に自分に引き寄せた。それと同時に猫も飛び掛かる。

 素早く片手を伸ばすと、飛び込んできた猫の喉元を、握り潰す勢いで掴んだ。

 掴んだ瞬間「んぎゅっ」という音が聞こえる。正確には猫はそのような声は発していないのだろうが、手を通してその感触が伝わり、耳に響いたような気がした。

 そんな事に構うことなく力を入れていく。猫の瞳が俺を捉える。そんな目で俺を見るな。俺に見つかった、お前の運が悪いんだ。


 しかし猫もそう易々と殺させてはくれないようで、鎌のように曲がった爪を振り回し、全力で暴れる。首を絞めているので途切れ途切れだが、鳴き声も尋常じゃない。まるで赤ん坊の叫び声だ。

 まぁ、それもそうか。たった今、自分の生死が掛かってるんだから。

 そんな死に際の抵抗や断末魔も、今の俺相手には興奮に拍車をかけることにしかならなかった。


「い……っ」


 夢中になって首を絞めていると、猫の爪が俺の頬を強く引っ掻いた。先程から何度も引っ掛かれてはいたのだが、この一撃は取り分け傷が深かったのか、傷口からぬるい液体が頬を垂れていき、コンクリートに落ちた。視界に赤黒い液体が入る。

 その瞬間、俺の何かをつなぎ止めていた糸が切れた。目の奥が押されるように熱くなり、頭の中が真っ白になっていく。

 片手と膝で猫を押さえ付けながら、パーカーに忍ばせていたカッターナイフを取り出す。刃と連動する出っ張りに親指をかけ、上にスライドさせていく。夜の澄んだ空気にカチカチと冷たい音が響く。

 俺は今、どんな目でこいつを見てるんだろう。

 そんな事をぼんやり考えながら、カッターナイフを猫の腹部に突き刺した。


温かい。


 手応えは思ったほどなく、刃はすんなりと入っていった。血は飛び散るわけでも勢いよく吹き出るわけでもなく、だだ静かにじんわりと溢れ出る。映画や漫画みたいに激しく出てくるもんだと思っていたので、少しつまらないと思った。


 膝をついていた状態だったので、地面に薄く広がった血が片方のズボンの膝部分を赤く染め上げる。カッターナイフを握り締めている方の袖も、同様に真っ赤になっていった。あーあ、結構このパーカー気に入ってたのに。


 刺された猫は微かに体を痙攣させていた。弱々しい呼吸に合わせて、小さな隙間を風が通るような音が喉から鳴っているのが首を絞めている手に伝わる。

 その時初めて、この猫に対して「愛おしい」と感情が動いた。


 首を絞めるのを止め、猫の腹部を優しく撫でた。

 血がべっとりと手につく。


 自分なりの優しいまなざしで猫の瞳を見つめる。

 もう、猫の目は焦点が合っていない。


 このままじゃ可哀相だと思い、背中を撫でながら、見つめながら、カッターの刃を横に引いた。

 切り口が広がり、血が溢れ出る。



 どくん。どくん。



 刃が出たままのカッターナイフは手から滑り、血溜まりに落ちた。俺はそんなことなど気にもとめず、何かに導かれるように切り口に手を伸ばす。切り口は簡単に開いた。


 内臓が見える。まだ少し動いている。

 切り口に手を突っ込む。まだ温かい。

 一つの臓器を掴んでみた。

 ビクンと猫の体が跳ねる。

 掴んだ臓器から微かな振動を感じる。



 まだ生きてる。



 切り口から手を抜く。血で手がベタベタだ。それでも気にしない。気にならない。むしろ心地好かった。

 俺はさらに切り口を両手で開いた。内臓がよく見える。既に死んでいる魚とは違う、生々しく、温かい、「中身」。暫く猫の「中身」に見とれていた。


 これは俺が「造り出した」のだ。感触も、臭いも、この死も、全て。俺がこいつの腹を開いた事により造られた光景、画、世界。




どくん。どくん。

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