さあ、夢は終わりだ

「いくら閉鎖空間へいさくうかんじゃないとはいえ、こんなに燃やしてたら、ごほっ、むせるに決まってるだろ!」

「……元気そうだ。やはりこの世界は合っているみたいだ」

 えっ。やっぱりあいつがここに召喚しょうかんしたの?

 姉はウクレレもどきを振り回し、突きつける。

「私はおまえなんて知らん!」

「そりゃそうだ。知り合いではないからね」

「……す、すとーかー……」

「そういうものでもない」

 にこやかにげる男に、俺も姉も、ぞっ、としてしまう。やばい、あいつヤバイやつだ。

「閉じ込めるにはこの世界は小さすぎたみたいだからね。元気な時のあなたが、こんなに世界を探るとは思わなかった」

「生きていくには知ることが必要だ」

「…………」

 青年は、静かに目を細める。

「ちがう。『生かす』ために、奔走ほんそうしていただけだ。そこまでして、『願い』を叶えたいのか……」

「…………」

「だがそれは、ゆるせない」

 短くするどい言葉を放つと、男の視線がこちらに向いた。動けない俺を視線から隠すように姉が、動く。記憶の中で、こんなことをする姉を見たことはない。

 遠い遠い記憶の中で、母親に無理にじゅくに行かされていた時のことが思い浮かぶ。こちらを見もせずに、姉は。

「体調が悪いみたいだよ」

 あれには驚いた。ただ駄々だだをこねて嫌がっていたのに、姉は理由をつけて母をあざむいた。まったく感情がこもっていない、他人事ひとごとのような言葉。だがそれが逆に母親には効果的だった。

 同じように、姉は今。

「おまえのゆるしなど、必要ないと言っただろ」

 そう言い切った。

 知り合いではないと言い、知らないと言い切ったのに。

 姉と手をつないでいるのような男が、影のように揺らめきながら立っている。姉と同じ言葉を、放った。

 金髪の男が目を見開き、震え、顔を引きつらせる。

「しね!」

 男の声なき攻撃は、影をつらぬく。まるで連撃された銃弾を喰らったように影が揺らいで消え失せた。いや、影はいただけだ。

 姉の肉体が見えない弾丸によって傷つき、血がそこからあふれてくる。対峙たいじしていた男はおののき、首をゆるく左右に振った。

「なんてことを……! 一度たりとも、じゃないか! シュテルン! どうして!」

「『』でいい」

「弟を殺せばまた」

無駄むだだ。『姉は死に』、『弟は生き残る』」

「狂ってる……一度のために、彼女を犠牲にするなんて!」

 俺は、振り向く姉を見つめることしかできなかった。ゆっくりと、上半身を起き上がらせる。

 なんで。

 姉ちゃん、眉間みけんからも血が……。なんで。綺麗な、夜へと変わる時間の、目の色。

「だいじょぶだいじょぶ。これは『夢』だから」

「ゆめ……?」

 本当に、夢?

 だって普通に生活をしていた。走れば息切れして、おなかもいて、こうして呼吸をすれば、肩がゆるやかに浅く上下するのに?

 夢というには、

 目の前の、頭をつらぬかれてもしゃべっている姉以外は。

「姉ちゃん……ほんとに、夢? 起きたら、どうなってる……?」

 こわい。こわい。だって、さっき。

「草スープは不味まずかったし、柔らかくもないパンも食べたね。それにここには魔法なんて、ないよね」

「…………」

「太陽はのぼり、沈む。夜がくる。目が覚めたら、昨日の続きが始まる」

「どこから夢……? 最初から? どこが夢……?」

 ゆめだったらいいなんて、誰もが思うことだ。そうであればいいのにと願うことも多い。

 でも、これが、こんなことが、ゆめ?

 じゃあ俺は眠っている? これは目覚められる夢? この世界を幻というには、あまりにも現実的すぎないか? じゃあ今日が夢? そういえばあの金髪の男はどこにいった? 今日だけが、ハリボテみたいな、どこか出来損できそこないみたいな、いきなり手抜きをした『物語』みたいだ……!

 ほんとうにゆめ? 服に広がるそれ、血じゃないの? 今日だけが夢?

 ゆめって、どんなものだっけ? 現実となにが違うんだ? 現実ってなにを根拠こんきょに思うんだ? 

 姉が気を失うようにこちらに倒れ込んでくる。ヒッ、と小さな声が出た。抱きとめるけど、こんなに人間て…………重いっけ?

「ね……な……」

 うまく言葉が出ない。姉はまったく動かない。それなのに、俺の手は血でべっとりと汚れている。どんどん、なんか冷たくなっていないか? 血って、こんな、べちゃっとしてた……?

 いやだ。こわい。こわい!

 涙があふれてくる。悲しみの涙じゃない。恐怖の涙だ。

 こんなの、いやだ。ゆめなら、夢なら、本当に夢だというなら……!


「さあ、もう夢は終わりだ。目醒めざめの時間だ」


 合図のように、俺は大きく息を吐き出し、まぶたを開けた。そして、あまりの恐怖のためにまた意識を失った。


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