『』の物語 6

「…………でも、弟を、助けてください」

「は? それはさっき承諾しょうだくしただろう。…………まあいいさ。三十路みそじを越えてもボクのために貞操ていそうを守っていたんだ。多少は頑張るから心配しなくていい」

「あ、あなたの、ためでは……」

「ボクが現れた時点で全部奪われるのに、なにを言っているんだ」

 ぐちゃぐちゃに破壊して消し去るために追いかけて探し回っていたのに、身綺麗なままというのは予想外だった。人生を謳歌おうかするどころか、家族に踏み荒らされていて色気もなにもない。前の人生では手も出していないうえ、苦しい闘病生活を消し去ったのに……幸せにすら、なっていないなんて。

 しかも、これから生きていればこちらの力である程度望んだ幸福を与えることは可能だったのに、開口一番に「弟を助けろ」とは。

「キミはボクが好みではなかったが、そこは諦めろ。男運がないのは、もうわかっているだろ。キミを選ぶのはボクしかいないんだから」

「あ、の…………神様は、私のことが好きなんですか……?」

「好きだ。だが、キミがボクを選ばないのはわかっているから、どうでもいいことだろ」

 本当に好きなのか? と不思議そうに見てくるので、優しく頭をでた。

「キミの弟は撫でてくれはしなかっただろう? 頑張ったな」

「…………」

「まだ泣くな。やることがある。たくさんめてやるから、もう少し踏ん張れ」

 少しくせのある、かたい黒髪。茶色のその瞳に、こちらの姿が映っている。瞬きを繰り返す彼女に、告げる。

「始めるぞ。魂は円環えんかんしている。キミにとっての未来、そして過去を巡って、より大きな反発力を生む『記録』を選ぶ。人間は耐えられない。だが、その魂がで崩れることはない。

 キミの『願い』を叶えるため、キミ自身をも『だます』、『虚構ものがたり』をつくりあげろ」

 安心させるように微笑んでみせる。だれかにとってはくだらない、ささやかな願いに過ぎないだろう。

「間違うな。キミは自分自身のために弟を助ける。ただの自己満足だ。恩返しも、ただの自己満足だからな」

 恩と思っているのは彼女だけだろう。結局、人間は一方的な感情でしか、生きていけないのかもしれない。

「いつかだれかが助けてくれるなんて、そんな都合のいいことはない。ありえない。その『現実』を虚飾し、たった一瞬を、『だませばいい』」

 さあ、ボクの選んだ魂よ。『過程』をなにより重要視する人間たちすべてをだまし、『結果』がすべてと思い込む人間たちすべてをだまし、入れ替える『刹那しゅんかん』だけをつくり出せ。

「いいな? ボクも利用しろ。キミは手段を選べるほど、武器を持っていない。戦おうとするな。立ち向かおうとするな。ただ目的だけを、見ていればいい。

 ほかの人間を気遣きづかうな。自分より不幸な人間がいるなど、そもそもキミの思い込みだ。感情を持ち込むな」

 そう、自分のように『あざむく』ことが重要になる。すべての『目』が一斉に違う方向を見た瞬間に、入れ替える。

 この世界に開けた『穴』もいずれ見つかってしまう。見つかる前に、彼女の魂を消し去る。この人生をわずかでも幸せだと思っていたら……多少は大人しくしてるつもりだったのに。

 望みを叶えるエネルギーに魂を変換すれば、文字通り、消滅する。そこに自分の魂も使うだけだ。やはりこんなものは、愛でも恋でもない。

 彼女の目元を片手でおおう。それほど時間はかけられない。流れる川は逆流しない。もぐって見つけるのは、こちらにもかなりの負荷がかかる。

 反発力が大きいほどいいというのは、書き換える情報が多いものほどいいということだ。つまり、極端な人生を送った記録が必要となる。人間ではない自分から見ても、かたよりがひどいと感じる人生を選ばなければならない。

 なるべく想像しやすいような言葉を選んでかけたが、これで正解だろうか? こんなにしゃべることはないので、不安になってしまう。

 口移しが一番楽だが、今の彼女は怪我をしている。かばわれた弟のほうが重体なんて、皮肉すぎる。何度も思ってしまうが、約束をしてしまったが、彼女には自分自身を優先して欲しい。無駄な、願望だろうけれど。

 彼女の七度のまばたきの間に、終わらせる。緊張してまぶたを閉じているのはわかっているので、どんどんこちらの意識が沼に沈むような気分になっていく。言い出せない……この倦怠感けんたいかんが大きくなっていくと、こちらが倒れてしまう。

 どうしてここまで疲れるのかわからない。意識をたもつのが億劫おっくうになっていく。気怠けだるさが全身から力を奪っていく。いくら消滅するまで時間がないとはいえ、人間の感覚とは違うのに。

 眉をひそめると、視界が暗くなる。その薄闇の中で、こちらの意識をはじくような強烈な視線を感じた。差し出した手を強く拒絶するようなものだ。ちょうどいい。この視線の先の主なら、そ、な、なんだ? 視線が増える。すごい勢いで増えていく。魂が、なぜこんな勢いで生死を繰り返している?

なぎ! 息をしろ!」

 は、と気づいて声をかけると、止まっていた息を吐き出してくれる。見落としていた。今の彼女の人生での無意識下でのこのくせは、彼女の弟も気づいていない。あぶなっかしい。

 会話を続けていたほうがまだ良かったか。こんなに急激に疲弊ひへいした理由がはっきりした。

「べつに怖いことをするわけじゃない。静かに始まって、静かに終わる。終わりなんていきなりで、あっけないものだ」

 怖くないくせに。痛覚も麻痺まひしているし、食欲不振しょくよくふしん。どれだけ言葉をかけようが、彼女は信じない。ただ祈っているだけだ。願っていない。叶うと信じてくれない。

 対価を差し出さないと、信じたふりさえしてくれない。こんなふうにしたのは、いま、別の病室にいる彼女の家族だ。

 いているほうの手で、彼女の手を握り込む。びり、と意識が消えた。眩暈めまい。すぐに意識を戻す。ここまでするとは、彼女の家族を今すぐ血の海に沈めてやりたい衝動に駆られた。あの金平糖よりも簡単にすり潰してやることは可能だが、不快だ。

「キミが呼んだから来たわけじゃない。もう代償は払っているから、あとはボクがやるだけなんだ。ごめん。ごめん」

 彼女の意識がこちらに向く。謝罪の言葉は効果覿面こうかてきめんだった。手に力を込める。

「簡単なのに、できなくてごめん。気持ち悪いだろうが、手を握ってるから。あっという間だ」

 あぁ、握り返してくれた。さあ、まぶたを開けろ。

 てのひらしに視線が合う。まばたき七度。

 七度の間に七回、自分の姿が消えては現れた。最後の一度と同時に、姿が完全に消え、彼女の握られていた手が力なく落ちた。そのまま、まったく呼吸をしなくなる。

 そしてもう一度、姿をあらわす。時計の針が止まったその刹那に、消えたのが幻だったかのように鮮やかな存在感をまとって彼女を見下ろす。こちらに移った。

「トワ……永遠とわ永久とわか。『星』の中に隠すには、難しい。えいえんなど、ない。もう…………終わっている」

 すべてが逆さまになったような奇妙な揺らぎ。秒針が激しく振動し、逆方向へ無理やり動こうとする。そしてそれを止める力もまた、あった。

 川の水が逆流しようと、砂時計の砂が舞い上がろうと、蝶の羽ばたき、生き物の動きひとつ、すべてすべて。

「約束は、―――――――!」

 時の止まった世界で、内包していた強い力が逆回転する。破裂して、嵐のような破壊が生じ、世界をゆがませ、激しくきしませた。指先から亀裂とともに『終わり』が始まった。

「……やはりボクは、キミを


 薄く笑った彼が忽然こつぜんと消え去り、正常に針が時をきざむ。どこかの病室でページめくられた。どこかの誰かが、その本を…………閉じた。

 これは『願い』が『叶う』物語。

 ふたりの『うそつき』が、願いを叶えた……ものがたり。


 閉じられた本の題名タイトルは――――【星に、ねがいを】。


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ストーリーテラーと、七人の共犯者 ともやいずみ @whitemozi

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