『』の物語 5

 包帯まみれの姿でベッドに横たわるのは、間違いなく彼女だ。容姿はまったく似ていないが、その魂に自分が混じっている。

 よろこびに近いものを感じたのか、涙が流れた。

 しかし、どうしたのだろう。病気でもないのに病室のベッドに横たわっているし、彼女の魂が崩壊寸前だ。どうやったらこんな状態になるのだ?

 近寄って、のぞき込む。彼女がまぶたを開けて、瞳をこちらに動かした。

 目があったその瞬間、思わず彼女の頭の横に両手をついていた。

「どうして! なんで、なぎささんだった時にあった『色』が、全部落ちている! なにがあった!」

 詰問きつもんするように迫るが、なんの感情も浮かばない瞳に問いかけても無駄だとさとる。

 ひび割れても魂は使い道がある。いい加減にして欲しい。

「くそっ、誰がこんなにしたんだ!」

 激しい怒りが身体からだめる。人間はなんという面倒な生き物なんだ!

「……かみさま」

「?」

「かみさま、ひとつだけ、お願いがあります」

「なに、を」

「おとうとを、たすけてください」

 頭を強く殴られたような衝撃だった。ここまで来た自分よりも、弟を助けろだと? そもそも自分自身も怪我をしているのに、他人のことを願う?

「キミは本当に、救いようがない……! 弟は死ぬ。そう決まっている。そして今のキミはまだ生きる。そう決まっている!」

「…………おねがい、です」

「そこまで言うなら、キミ自身の残りの寿命を弟に与えたらどうだ? そんなことはできないし、定められた宿命を上書きするなど、それ相応の力をぶつけなければ無理だ」

「…………方法は、ありますか」

 急に、声に力が戻った。

 愕然がくぜんとして見下ろすその瞳に、希望が宿っている。

 なにを、なにを考えている? いま言ったはずだ。無理だ、と。

「やります。出せるものを、すべて」

 差し出します。

 小さく言い切った声のあと、病室が静寂に包まれる。

「人間の矮小わいしょうな人生ひとつで、どうにかなるものじゃない。諦めろ」

「……なにを、差し出せばいいですか」

「諦めろと言っている……! 犯すぞ、ここで」

 黙れと迫るが、彼女がうつろに続けた。

「なんでも、さしだします。私よりも、あの子が生きたほうが、いい」

 ひどい吐き気が襲ってくる。魂が崩壊寸前なのに、なにを無茶苦茶なことを言っているのだ、この人間は。

 いや。

 そもそも前の人生からすぐ次の人生に、来たはず。こんな状態にどうやったらなるというのか。おかしい。

「…………はぁ」

 嘆息たんそくし、ぐっと顔を近づけた。

「可能かどうかはわからない。いいな?」

 答えを聞かずに唇を重ねた。魂の情報を読み取り……がくん、と両手から急に力が抜け落ちた。思わず彼女におおいかぶさってしまう。

 途中までしか、みていないのに。

 ぜ、と息を吐き出す。この脱力感。

「お、おい……なんで、そうなる?」

 信じられない。

 人間の力でここまで魂が壊されるのか……? 亀裂を自分が入れてしまったのが原因でも、おかしいだろう?

 事故にったのも偶然だ。べつに彼女が死のうとしたわけではない。それに。

 両手に力を入れて、起き上がる。顔をしかめた。

「キミの家族は、キミの弟のところに居るじゃないか。ここに一度も顔を見せないで」

 もっとべつに願うことがあってもいいはずだ。水分を失った、ひび割れた唇を動かして、平坦な声で答える彼女。

「あの子が、生きるべきです」

 かっ、と怒りがのぼる。

「違う! 運命は決まっている! キミは生き残る。弟は死ぬ。そう決まっている。あと三日もしないうちに死ぬと決まっている!」

「おねがい、します」

「き、キミが死んだら弟がなげくだろう! やめろ!」

「おねがい……します」

 頑固者め! なぎさの時もそうだった。なんて頑固なんだ。

 くそ、くそくそくそ! 自分にだって余力があるわけではない。そもそもなんでここまで来たんだ? 今さらながらわけがわからなくなってきた。

 紫色の瞳を、苦々にがにがしく閉じる。

「わかった。わかったから」

 ゆっくりと姿勢を戻し、まっすぐに立つ。

「必要なのは、上書きする莫大な力だ。キミの魂すべてをつかっても、足りない。ボクのを使っても足りない」

「…………」

「その目をやめろ。善意でボクの魂を使うと言っているわけじゃない。願いを叶えるなら、それくらいの覚悟をしろ」

「……はい」

「キミの弟の運命を、キミの運命と。すべての世界を、ことわりを、だます。これしか方法がない。だますだけの威力が必要だ」

「…………」

「『正当な』方法でなければ不可能だ。に気づかれると、妨害される。ボクが提示できる方法は一つだけだ」

「はい」

 いくらなんでも、そんなに簡単に返事をして欲しくない。随分ずいぶんと調子が狂う。

 いきなりあらわれた不審な男の言うことを平然と信じるのは、どうなのだろうか。

「キミの魂にきざまれている、べつのキミの人生を、足りるだけ集める。そしてその『記録された人生』を、上書きして、そのの力を使う」

「うわがき……」

「キミはこの世界では趣味で物書きをしているだろ。虚構の世界はそれだけで罪過ざいかになる。存在しない世界を娯楽としてでも、嘘として世界に差し出しているのだからな」

「……そう、ですね。たしかに、罪……ではあります。楽しくても、辛くても、希望を与えても、絶望を与えても、すべて……嘘」

「そうだ。善悪ではない。無自覚に他者に虚構の世界や存在を流し込むのは、罪だ」

「…………わかります」

「物語がすべて罪だというわけではない。だが、『結果』として、罪と判定されているだけだ」

「嘘だと判定されてしまうから、ですか」

「ああ。キミが身をもって知っているだろう?」

 彼女は少し目を細めた。ここまで満身創痍まんしんそういになっても、虚構をつくり続けた理由に気づいているからだ。

 誰かの希望になればいいなどと、そんなもので物語を構築しているわけではない。現実は物語のようにはいかない。どれだけ警告しても暴力はなくならないし、争いは消えない。だれもが『悪』と断じているのに、人間同士で踏みつぶしあい、みにくく繰り返し続ける無能さに、神族は辟易へきえきしたのだ。

「キミ自身の過去であり未来を、虚構に組み替えて、その虚構を真実に戻す『反作用』を使う。実際に世界に記録されている真実をゆがめるから、反発する力はそれなりにある。

 問題があるとすれば、キミ自身が『物語』にる必要がある」

「私の……」

「キミの弟に『虚構』を組み込み、入れ替えるんだ。弟もだますことになるぞ」

 かすかに瞳が見開かれる。が、まばたき一つで、迷いが消えた。

なぎ

 名を呼ぶと、彼女はゆるやかにうなずく。

「やってみせます」

「わかった。キミの魂の記録にもぐるのはボクがやる。記録の中にボクが必ず居るが、矛盾を消すためだ。ボクは人間ではないから、法則にふくまれない。ボク自身がエネルギーにすぎないからな」

「はい」

「ボクと同期して、読み取る記録を書き換えろ。反動はすべて、世界を『だます』ためにボクがになう」

「…………」

「なんだその顔。頭のおかしな中学二年生ではないぞ、ボクは」

「……親切だなと、思って」

 不愉快だ。

 反射的に彼女をにらみつける。

「腹が立つ。キミの弟より先に、そう思われたかった」

 見つけ出すのに時間をかけてしまった。すでにこの『時点』での出逢であいを決定づけてしまったから、何度繰り返しても自分はこの時間にしか来ることができない。

 ここまで酷い状態になっているなど、予想できるはずもない。自身に腹を立ても仕方がないのはわかっている。

 彼女の弟がいたから、えたとも言える。考えれば考えるほど、本当に腹立たしい。

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