ある姉弟の物語


 広場で楽器のげんを弾く。お世辞にも美しいとはいえない旋律せんりつ

「さあ、世界を救った黒曜石こくようせき化身けしんのような勇者の物語……ありとあらゆる世界を旅した者の奇想天外きそうてんがいな物語……はたまた、正義を成す騎士様の物語?

 それともある配達人のお話がいいかな? それとも能無しのカカシの物語? すべてを手に入れた最高の魔女の物語もいい。

 もしくは、とても遠い国のつづびとのお話がお望みかな? 要望があれば、とっておきも話して聞かせてみせるよ」

 ゆるい旋律に、優しい声が重なる。

 道行く人々が足を止め、噴水の前で足組みをして語る歌声に聞き入る。歌というには、つたない声。

「では、とっておきを話そう。ある姉弟きょうだいの物語を。こことは違う別の世界のある姉と弟の物語。

 ■原■と、■原■という名前のふたりは、八百万やおよろずの神の国で暮らしていました。姉は芦原あしはらの国とも呼ばれるそこで、みのゆたかな島国で……しずかに孤独に、物語をつくっていました……。もしかしたら、それは彼女の夢だったのかもしれないほどに、希望もなく、失望の連続……いっそ夢であれ、すべて作り事であれと、忘れてほしいと…………ボクでさえ、小さく願ってしまったほどでした」


***


 ひとがひとである限り、特別な力を得ても、復讐を願っても、起きたことは戻せない。

 時間は巻き戻らない。

 経験は記憶から消えることはない。

 ひとでありたいのなら、そんなものは望んではいけない。

 どんな崇高すうこうなことでも。どんなに共感できても。

 それは、他人の人生……たにんの物語。

 物語は強力な力をもつ。なぜなら、ひとがつくりだしたものだから。ひとが信じた可能性だから。

 けれども現実は残酷で、非情で、運命をじ曲げることすらもできない。運命をことが、できないからだ。

 つらいだろう。くるしいだろう。しあわせに、なりたいだろう?

 特別な力を得たからと、幸せが約束されるわけではない。

 復讐をげても、最期さいごには孤独になるかもしれない。

 正義はべつの誰かには悪で、悪はべつの誰かの正義になる。だから。

 己の人生はなにかのためにあるかなどと、だれかのためにあるかなどと、自惚うぬぼれてはいけない。

 たにんの人生だから、うらやましく、幸せであるかのように感じるのだ。

 じぶんの人生になったとき、そんな錯覚は消えてしまうはずだ。

 叶わない望みを物語にたくすことができるのは、ひとだけ。……ひとだけ、なのだ。


***


 身体からだがおもい。だるい。

 まぶたをあけるのも、しんどい。

 視界の中でみえるものを、うまく認識できなかった。

「あっ、ああ! 目を覚ました、さましたっ」

「うそ! わたし、お父さん呼んでくる!」

 だれ……? だれだ……?

 あわただしく女性二人が、視界の中でうごく。一人は泣いてる。もう一人はどこかへ消えた。

 ぼんやりした視界で、まばたきをする。

「もうだめかと……! そう!」

 ソウ……? だれのことだ? 俺は、あしはら、芦原尊あしはらたけるだ……?

 あれ……それ、だれだっけ……?

「良かった……!」

 身体からだにしがみついてくるこれは、ははおや……?

「みず、ほ」

 かすれた声でその言葉がもれる。だれ、だっけ……。

そう!」

 今度は男が視界に入ってくる。さっきの女性も、視界に戻ってきた。

「ね……ちゃ……」

 ああねむい。すごくねむい。

 なにか、足りない気がする。つかれてるから、そう思うのかもしれない。

 かちん、と時計の秒針の音が聞こえた。



 術後の経過も良く、俺は病室で大人しく過ごしていた。

 スマホの画面をスクロールさせて、ある小説を少しずつ読んでいる。

 事故のせいで、俺の記憶は穴だらけの状態らしい。回復するかどうかはわからないが、特に困っていないのでそこは心配していない。

 両親は時間があれば来てくれるし、姉も子育ての合間にやって来る。同僚たちも見舞いや、時々メッセージを送ってくれる。

 読みながら、つい、笑みを浮かべてしまう。

「こんな姉がいたら、大変だな」

 異世界転生した姉弟きょうだいの話だ。実の姉とは似ても似つかない性格なので、振り回されている弟のほうへ感情移入してしまう。

「作者名……トワ、か」

 今はアップされたばかりだから目立っているが、読み手があまりいないからか順位はかなり下のほうにある。みんなやはり、痛快、爽快なもののほうに魅力を感じるようだ。

 わからないでもない。チート能力はあこがれるし、成り上がりも、回帰かいき系のものも世にあふれてはいるが、それでも……重く受け止めないで読めるから。

 あまりに現実離れしているから、かもしれない。

 開けられた窓から心地よい風が入ってくる。すでに桜は散っている。

 もう春も終わるんだな、と、俺は一瞬だけ外の晴れた空を見遣みやった。とてもよく晴れている。今日も気温があがりそうだ。

「……今年はろくに見れなかったから、来年の桜、楽しみだな……」

 そうつぶやいて、またスマホの画面に視線を戻した。

 愉快で極度の人嫌いな魔導士まどうしの姉と、家事全般が得意で苦労性の戦士の弟。二人の会話のり取りが軽快で、また、笑いがこぼれた。


 それはまるで、夢のような『ものがたり』――――。


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