第一幕

勇者の物語 1


 魂すらもかけよう。使おう。

 なんてことのない出来事だ。

 誰かが見れば愚かな行為と言うだろう。

 奇跡を無理に起こすなと止めようとするだろう。

 だがこれは奇跡でもなければ、善行でもない。

 これは自分としても、返すべきものを返すだけの行為。

 さあ、幕を開けよう。

 この茶番劇を始めよう。


***


 美しい顔立ちと短いその髪。前髪の左右だけ長いそれを、時々耳へかけている。身体からだよりも大きな衣服は、だぶだぶであるため彼女の体躯たいくを隠している。

 薄暗い待合室では、酒をあおっている男が多い。煙草たばこの煙が室内に充満している。けれども、首にはめてある機械に手をり、ボタンを押せば不快な香りは周囲から入ってこなくなる。

 長い素足に、くるぶしまでの革靴。薄い胸板のせいか、下着もつけずにシャツ一枚だ。

 しかし彼女はちびちびと、持ってきたジュースを飲むだけだ。

「カノンナ、調子はどうだ?」

 声をかけてきた若い男を視線だけで確認すると、カノンナと呼ばれた彼女は一瞬後に彼を床に足で引き倒して、踏みつけていた。「ごほっ」と息をく彼を、まじまじと見下ろす。

「おまえぇ、さりげなく錠剤くすりを入れようとしやがったな」

 底冷えするような、その声に男は悲鳴をあげる。しかし踏まれて固定されていて、動けない。彼女はそれほど力を入れていないというのに、みしみしと男の骨がきしんだ音を出している。

「フン!」

 軽い気合の声と共に足を素早く踏み下ろす。男の腕が嫌な音をたてた。彼女はそれだけでは飽き足らず、男の身体からだを蹴り飛ばす。尋常ではない吹っ飛び方をして壁に激突し、血と泡を吐きながら男は意識を失った。

 室内が静まり返る。

「どいつもこいつも、いつまでもいつまでも古い考えで卑怯ひきょうなことしやがって! 全員、ころす。覚悟しておけ」

 ぎろりと全員を見遣みやり、彼女は大きな上着の両ポケットに両手を突っ込んで、狭い階段をあがっていった。

 地下から出ると、支配人が両手をもみもみと動かしながら近寄ってくる。

「か、カノンナちゃん、出番はまだだけど」

「おまえの差し金かぁ?」

「ヒッ」

 思い切り支配人の横っつらこぶしで殴った。歯が一本は飛び出して、床を転がった。

「いい加減に学習しろよな! でめーら男じゃ、あたしには勝てねぇんだよッ!」

「や、やめ、やめっ」

「黙れ」

 激痛で涙を出す男に近づき、彼女は容赦ようしゃなく支配人の腹部を繰り返し蹴った。

「おいおい。そろそろやめてあげてばどうだい? もう気絶してるじゃないか」

「あ?」

 声のほうをカノンナは振り向いた。そしてまゆをひそめる。

「ふざけた格好かっこうして、口出しすんじゃねぇ」

 少し感情をおさえた声を出し、支配人の顔を大きく蹴り、背後で崩れ落ちる音を聞きながら体すべてを相手に向ける。

 大きなつば広の帽子に、全身をおおうローブ。丸眼鏡のその姿に、カノンナは露骨ろこつ胡散臭うさんくさそうな顔をした。

「なんだてめぇは。時代錯誤じだいさくご格好かっこうしやがって」

「ボクはキミに取引というか、お願いをするためにここに来たんだ」

「ほぉ。あたしは高いぞ?」

「知ってるよ。キミはこの闘技場で最強の戦士。先の大戦で最強の称号をもらっただ」

都合つごうのいいうわさだ。あのクソ王は、自分の命がしいからあたしをここに置いてるだけだ。王を殺すのはいつでもできるのに、本当に目出度めでたい頭してるぜ」

 あざける彼女は、のどを鳴らす。

「どうして殺さないんだい? 相手が女性だからかい?」

「まあそれが一番の理由だ」

 笑い声を止めて、カノンナはあっさりと認めた。

「あたしは女のために作られた存在だからな。どうにも女相手だと加減を自動でしちまう」

「なるほど。キミを作った者はよほど、男が憎かったのかな」

「そんなん知るか。だがまあ、いい目にはってねえだろうな。あたしに対する男たちの態度は、目にあまる」

「……すごいね。まるで本当に『人間の女性』じゃないか」

「見た目だけはな。だから敵の区別も、判別もしやすいから、この姿は正解だった。

 おまえはこの国の人間じゃねえな。あたしのセーフティが反応しない。取引とはなんだ。一応聞いてやる」

「ボクは世界一の魔法使いさ」

 両手を広げるその姿に、カノンナは唖然あぜんとしてしまう。

「名前はエトワール。大魔法使いにして、未来のキミの願いを叶えるためにここに来た」

「頭おかしいのか。その頭蓋骨ドタマたたき割ってやろうか」

「素晴らしい。人間なら殺気があるのに、キミは一切ない。殺戮さつりくマシーンなのに、誰も気づかず、勝てず、壊せないのはそれが理由かな」

「そうだ。この国ではマシンの概念がいねんはもう大昔になくなったからな」

 魔法なぞ、存在すら観測かんそくされてない。

 断言するカノンナは、エトワールを観察する。

 わかりやすい悪意、そして敵意もない。カノンナと戦えるような肉体ではない。まだこのコロッセオの男たちのほうが多少はカノンナと戦える。

 カノンナの肉体は確かに人間の女性のものではあり、そこに機械と呼ばれる部品は一切ない。細工がされているのは人間には必要不可欠の「電流」のほうだ。しかしそれだけでは作り主は納得せず、見た目にそぐわない筋力がある。俊敏性しゅんびんせいもこの国の誰よりもあるだろう。

「なるほど。キミは国の『代理勇者』と聞いていたけど、本当は『女性たち』の『代理』だったわけか。だがとても理性的に見える。言葉はあらいが、わざとだね」

「そのほうがいい、という作者の判断だ。あたしは知らん。

 『代理勇者』としてこの国に勝利をもたらしたのは三年前のことだ。おまえの話し方は国外の人間にしては、おかしなところが多い」

「当然だよ」

 エトワールは小さく笑う。カノンナの荒々しい言動がなりをひそめ、逆にエトワールが感情豊かに話す姿は対照的だった。

「大・魔法使い! だからね、ボクは!」

「魔法なんてもんは、存在しない。そういう手品はあるが、よ、」

 そこまで言ってから、カノンナがひざふるわせる。怪訝けげんそうにしてから、エトワールをにらんだ。

「とんだペテン野郎だ。な、あたしを」

 ぶわ、とカノンナの衣服だけではなく、床のけずれた小石までもがゆっくりと浮かぶ。彼女の微かな動作で周囲の風が揺れ、目にわざと見える威嚇いかくに、エトワールが明るく笑った。

「ボクの頭を、文字通り叩き割ろうとしたけどできなかったから、今度は身体からだ全部でやろうって?」

「…………」

「タネを明かすと、ボクは防御魔法でキミの攻撃を防いだだけだ。

 こぶしが届かなかっただけ。当たればボクは死んじゃうよ。か弱いんだから」

「…………」

「キミを『一人目』に選んだのは正解だったようだ。代理勇者・カノンナ=ステルア。この世界最強の人間であり、そして、自身の肉体が老いた瞬間にこの世を滅ぼす宿命の星よ。

 その人生の一瞬を、ボクにゆずって欲しい」

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