勇者の物語 2

 ほんの少しだけ動かした右足を、元の位置に戻す。

 カノンナは目を細めた。そして気絶している支配人の頭を容赦ようしゃもなく、その足でくだいた。右足が返り血で染まり、脳にまっていたものが床に散らばる。

「これであたし以外におまえの話を聞くやつはいない。安心して話せ」

「ハハハハ! 徹底ぶりがすごいね。未来でこの世界を、いや、人間を滅ぼすだけはある」

「そういうふうに作られてるからな。笑ってるおまえも、相当だな。

 しかし、未来のあたしとはどういう意味だ? あたしには願いなんてねえぞ」

「キミの、魂」

 す、とエトワールが人差し指をカノンナの胸元に向けた。ひととまったく同じ心臓がある場所。

「ありとあらゆる、生命の循環じゅんかんを、世界を構築する『魂』。何度も使いまわされる便利な道具。

 キミの未来とは、キミの魂の未来の話だ」

「……あー、リィンカーネーションの話か? 確かにそういう概念がいねんはある」

「エトワールは、『それ』を観測しちゃったんだよね」

 いたずらが成功したように笑うエトワールの姿に、カノンナが少し目を見開く。静かに、ゆっくりと、呼吸をする。

「なるほど。ことわりの外を見てしまった超越者……ココにいるのは、おまえであって、おまえじゃないってことか」

「普通の人間なら、驚くところなのに」

「おまえは散々、魔法だのなんだのと言っている。あたしの目の前で、魔法が実在しているように見せたのも、パフォーマンスじゃないのか」

「うーん。すごいね。魔法なんてないとか言ってたんだけど、さっきまで」

るとは言ってねえだろ。ないとも言ってねえ。

 実際、おまえの話は全部が全部、あたしには理解できないことだ。だが……おまえの存在を的確に示すとすれば、頭のおかしなやつ以外では、世界のことわりからはずれたと考えたほうが妥当だろ」

「理解できないのに?」

「理解できなくても、話は聞ける。そこが人間の便利なところだ。融通ゆうずうがきくというか、都合つごうがいい」

 エトワールの表情が消える。

「だからキミには罪悪感、良心と呼ばれるものが見えないわけか。そんなものがあったら、そうはなってないよね。

 機械でもないのに、人間を殲滅せんめつするためだけにキミにしばりをつけるなんて」

「そのためにあたしはここにいる。人間を殺すことに快楽を感じないだけ、マシだと思うけどな」

「……まあいいよ。

 何十、何百という転生てんせいの中でのキミの未来であり、過去のひとつ。天原凪という人物の『願い』のために、キミの『物語』が必要だ」

「なぜあたしなんだ」

「見せるよ。彼女の人生を」

 怪訝けげんそうにしたカノンナが、びくりと身体からだふるわせる。そして、表情かおゆがめ、がちがちと歯を鳴らした。

 恐怖ではない。カノンナはそんなものを感じるようにはできていない。

 拒絶。混乱。憤怒ふんぬ。なにより、このどうしようもない不快感。カノンナに与えられた、特に強烈に優先されるその感情が揺れる。

「く、くそ……!」

 足を踏ん張って耐えるしかない。物理攻撃ならまだ防ぐことも可能だっただろうが、目の前のペテン師は特殊な方法で、『天原凪』という人物の人生を凝縮ぎょうしゅくしてこちらに流し込んでいる。

 共感意識がなくて良かった。引きずられてこちらの機能が止まってしまう。

「へー、吐かないか。普通なら拒絶しちゃうから、吐瀉物としゃぶつとか涙と鼻水とか、まき散らすのに」

 エトワールの口調から、ほかの人間で実験をしたことが、わかる。それも、一人や二人ではないだろう。

 これは輸血のようなものだ。まったく別の人間の血を強制的に流し込めば、拒否反応が出るものだ。大昔は血液型という大きなくくりで推奨すいしょうされていた時代もあった。だが細かくすればするほど、家族であっても、他人の血液は安全ではない。

 こいつは自分で試している。一人目、と称したのは、そういうことだ。

 人間でありながら、他の人間が太刀打ちできないように宿命づけられた存在ならば、耐えるであろうという確信。

 脳をかき回すようないびつな揺れが、全身をおそう。この不完全な『魔法』の実験に、人類殲滅じんるいせんめつの宿命をうならば、その因果をくつがすことは不可能。カノンナは、この世界の人間を皆殺しにするまで、『死ぬことはできない』という事実。

 今すぐに殲滅せんめつに入るか、それはできない。エトワールを殺すか、それは不可能。恐怖を感じないようにできているのに、別人の記憶でそれを感じさせられる。自分が持ってはいけない『もの』が、流れ込んでくる。

 時間にすれば数秒の出来事。

 カノンナは、はっ、と小さく息をき、じろりとエトワールを見遣みやった。

「いいだろう。『アマハラ・ナギ』の願いを、叶える手伝いをしてやる」

「…………」

「あたしは理不尽を克服するためにつくられた人間。この女が受けた理不尽は、享受きょうしゅできねぇ。たとえこの女の時代、世界の人間がみな、他者を無意識に痛めつけ、踏みつけ、唾を吐いて汚すのを当たり前にしていても」

 目を、細める。

「『あたし』はそれをとしねぇ。使え、あたしの『物語』を」

 この自称・大魔法使いが『魔法』と名をつけた現象で、願いを『叶える』つもりならば。

「『勇者』カノンナ=ステルアは、その過去、その未来すべてをつかって――――誓おう」

 使え。

「この『殲滅せんめつ』の物語を、『救済すくい』の物語として……つかうといい」

 じ、とエトワールがカノンナを見つめた。ただの観察をするだけの瞳に、感情の波は見えない。それもそうだ。こいつは嘘吐うそつきだ。『本当の』一人目は、ほかでもないだ。

 大魔法使いエトワールこそが、正真正銘の『一人目』であり、そしてその人生と魂すべてをつかって、天原凪あまはらなぎの途方もない願いを叶えるため『だけ』に、こんなところまでやってきた。おおうそつきめ。

「『恋』と呼ぶには」

 カノンナが初めてやさしく、微笑んだ。

「一途すぎる」

「…………」

 数度瞬きをし、エトワールは視線をらした。「ありがとう」と小さくつぶやく。感謝の言葉のはずのそれは、誰が聞いても謝罪の音しかしていなかった。

 カノンナはやれやれという様子であきれる。もう話は済んだとばかりに、歩き出す。エトワールの横を通り過ぎて、そのままゆっくりと、控室へと戻っていく。

 エトワールは視線だけ動かし、カノンナの血のついた足跡が残る床を見遣みやる。まさに血塗られた人生をあらわしたような、その小さな足跡そくせき。そして静かにエトワールは天井をあおぎ、一瞬で姿を消し去った。最初からいなかったかのように。

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