勇者の物語 3

 カノンナは耳鳴りを消し去りたいような気色悪さに苛立いらだつ。自分なら、こんな回りくどいことを選択しない。エトワールはやはりイカれている。

 階段を降りた先に、この闘技場で戦う者たちが居る。もちろん、全員死ぬことになる。支配人の死は、エトワールの登場で早まっただけで、結果は変わらない。

 すっかりこの世界の人間の数も減った。戦争でかなりの数を減らした。

 石造りのこのコロッセオで、この世界の運命を知っているのはカノンナのみ。

 男のなぐさみとなり、暴力を振るわれ、傷をつけられ、死さえも許されず、ひたすらにひたすらに耐える、人間の男たちの都合つごうの良い世界の足元に散らばる……女という生物のかたを否定するためだけに、カノンナは人間を殺してきた。

 女は弱い。いいや弱くない。

 女は男に従う。それは違う。

 男に都合の良い世界で、異質な存在として現れた『勇者』。

 殺戮者さつりくしゃカノンナの『物語』が、この世界滅亡の先で役立つというなら、使えばいい。

 カノンナは誰もたすけない。すくえない。てを、さしのべない。そうすることが、できない。

 ビー、と耳障みみざわりな音がコロッセオに響く。出番か、とカノンナは足早あしはやに階段を降りた。

<勇者カノンナ、ト、対戦するノハ、奴隷どれいリオン、戦士カードー、戦士ムアル>

 不快な音声で名を呼ばれ、ロックを解除される音がして、奥の扉が開く。どうでもいいことに過去の叡智えいちを使うとは、本当に救えない。救う気などないが。

 奴隷どれいということは、どこぞの誰かの身代みがわりか。

 開かれた扉の先の薄暗く細い道へといつものように進み、歓声と呼ぶには鬱陶うっとうしい音をき分けるようにして舞台に片足をかけ、まぶしすぎる照明のもとへと姿をあらわす、この世界に残った命たちが、こちらに一斉に視線を向ける。

 美しい黒曜石こくようせき化身けしんうたわれたこの国の『勇者』の姿に、畏怖いふと興奮の混じった感情がびせられる。

 まっすぐ向けた視線の先のせまい道を進んできた対戦者の青年は、この世界の奴隷どれいと呼ぶのに相応ふさわしく、うつくしい。その美貌びぼう見物者けんぶつしゃからは溜息がれる。勿体もったいないという意味か、情欲を向けるものかはわからない。

 円形の舞台の上にはまだ二人だけ。あとは右手、左手から残りの二人が出てくる。美しいものを先に舞台に乗せ、みなの興味を引く。全員がこの見世物みせものの舞台に立つまで、カノンナが動かないのをわかったうえで、このショーはおこなわれる。

「おまえがいるから!」

 奴隷どれいの青年が突然憎悪の瞳を向けてくる。

「おまえさえ死ねば! 妹は助かるんだ!」

 どこか懇願こんがんふくんだふるえた声は、興奮した観衆たちの騒音の中にもれてしまう。ただ、カノンナの耳には届いていた。

「目の前で妹が犯され続ける地獄を、おまえが死ねば!」

「…………………………そいつらの名は?」

 青年のが見開かれる。そして涙が浮かび上がった。

 ほおを伝って落ちるそれと共に、小さくこぼれたその名前たちをカノンナの耳は拾い上げる。

「この後必ず殺しに行ってやる。おまえの妹も一緒に殺すことになるが、あきらめろ」

 言い終わるのと同時にカノンナの両手側から二人の屈強くっきょうな男があらわれる。体格や筋肉を見せつけるような登場に、会場の熱気が高まる。そして。

 なんの予備動作もなく。 

 男三人のあしが、ひざから下が……吹っ飛んだ。

 鮮血が飛び散り、まばたきのに、武器を持っていた男たちの腕が、消える。背後の壁にたたきつけられてつぶれた腕を認識する前に、男たちはなくなった足に気づくことなく、前のめりに沈んでいく。

 奴隷の青年の視界が涙でにじむ。命をる死神の姿が二度目のまばたきで目の前にった。笑みを、安心を声にする機会すらなく……視界も意識も、消えた。

 頭を吹き飛ばされた青年は、衝撃に耐えられずに血と破壊されたものをき散らしながら後方に転がり落ちていく。カノンナのあまりの速度に、誰も、何が起こっているか認識できない。一方的なこのショーは、ただ一人の勇者の命を消すまで続く。

 返り血をびないために元の位置に戻っているカノンナは、まるでそこから一歩も動いていないように、見えていることだろう。

 だから、このショーは面白おかしく、人々の目にうつっているはずだ。

 観客席の高いところに、カノンナを勇者にした女王が座っている。恐怖を顔にり付けてそこに座るしかない、女。

 カノンナと目が合うと、引きつった声をらす。あの女王はなかなかしぶとく生かされているものだ。

 やっと。

 にぶい音と共に、赤色が観衆の視界に入ってくる。悲鳴と怒号が飛ぶ。

 残った二人の対戦者たちを素早く見遣みやり、カノンナは失血死をされる前にどちらを見せしめにするかの決断を下す。今の時点で二人は手足をおかしく千切られた虫のように動いているだけだが、この二人はカノンナを殺すために名乗りをげて出てきた者たちだ。その勇気をきちんと、評価すべきだろう。

 ひどい世界だ。無理やり出場させられた者たちはあっさりと死ぬことができるうえ、殺したい相手を言えばその死神は命を必ずってくれる。勇者を倒す栄光に目がくらんだ者たちのむごい死に方は、一切情報として外に出ない。

 弱者は死ぬために震えながら死神の物語を、流す。とても都合つごうの良い話であるがゆえに、細い希望の糸をつかもうとはしない者たちには、勇者の物語。

「ああ、あ」

 ゆっくりと近づいてくる勇者の姿におびえながら、選ばれた男はさとった。

 足を最初に攻撃されたのは、逃げることを、許さないという意味。

 なぜ誰も助けない。なぜこの死神を誰も止めない。なぜおまえたちは。

 わらっている?



 王女がその奴隷と出会ったのは、まだ幼い頃だった。

 あまりに美しい奴隷を目にして、王女は「欲しい」とねだった。王女の兄たちも、欲しがった。

 王女の父は奴隷と、奴隷を所持していた医者を寝室に呼んだ。

 医者は戻らなかった。

 王女の一番上の兄が奴隷を寝室に呼んだ。

 奴隷は美しいまま戻ってきた。

 王女の二番目の兄が奴隷に戦いを挑んだ。

 騎士団の一つが消えた。

 王女の三番目の兄が奴隷に恋をした。

 他の兄たちの声が消えた。

 王女は残った兄の寝室に奴隷を行かせた。

 奴隷は王女のものになった。

 今までの奴隷たちは、父と母たちと兄たちが独占していたのに。

 黒曜石の奴隷だけは、必ず王女のところに戻ってきた。

 奴隷は勇者になった。

 王女の夫が勇者を寝室に呼んだ。父と同じ姿になった。

 王女の子供たちが勇者を寝室に呼んだ。兄たちと同じ姿になった。

 勇者は王女の救世主ではなかった。

 勇者は救世主ではなく。

 医者がつくりあげた、世界を終わらせる装置だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る