魔女の物語 2

 エトワールはこぶしに力を込める。その手首がね飛ばされて、宙を舞う。たったこれだけで、攻撃をされてしまう。

「我慢強くなったね。それは、どこかから奪ってきたのかなぁ?」

「…………」

「僕はね、彼女を『シンデレラ』にしてあげたかった。辛い立場で、家族に踏みつけにされ、ひたすら労働力として過ごしていたら、ある日彼女には願いができた。

 王子の主催をした夜会に出席をするという、ささやかでありながら、大きな夢」

「…………」

「彼女よりもっとひどい目にっている者もいたはずだ。暴力、暴行、様々な目にっていたかもしれない。

 それに、彼女はまれにみる美貌の持ち主だ。

 ねたんで隠したとされているけど……こういう見方みかたもできるよ。継母ままははも姉たちも、彼女をに守っていた、とは考えられないかい?」

「…………」

「そうすれば彼女の美貌で判断する愚か者たちは排除できる。家の家事をやらせていただけだろう。なにも好事家こうずかたちの相手をしていたわけではない。

 けれどもシンデレラには辛く、苦しい人生だっただろう。当たり前だ。結局、人間の幸不幸は、

 挙句あげくの果てに、彼女はその美貌で王子の心を射止いとめた。それは彼女にとって、始まりで、終わり。人間は老いていく。外見の美しさだけで愛されたのなら、いずら若い娘にとって代わられるということも、考えられる。

 姉たち、継母たちの本当の考えなど……どこにも描写されてはいない。

 見えない部分は、結局は、そういうことなのだ。『かもしれない』でできている。そちら側は観測がね」

 魔女は大きく両手を広げる。

一時いっときの幸福だけでもめて、そして絶望して欲しかった。

 選んだ王子にすがりつくか、それとも老いることを諦めるか、周囲に当たり散らすか。……清廉潔白な人間なんていないからねぇ」

 もっともとっとあるよとばかりに続けていく。

「生まれがいやしいだけでなじる者たちは多い。どれだけ地位を得ようと、そこから引きずり下ろそうとする人間たちはあとたないんだから」

「…………」

「なんて滑稽こっけいみにくいんだろう。くだらないくだらない。本当にくだらない。

 こんな人間たちが、生きていく価値があるのか?」

 だからだ。ここは『理想郷』。ひとを排除した、まさに、安楽の夢の場所。

恒久こうきゅうの平和なんてものは実現不可能。幸せだらけの人生など存在もしない。不幸だけの人生もありはしない。

 不幸だ、と初めて感じて、幸福を認識する。――――それが人間なんだよ」

 どちらか一方だけでは成り立たない。すべては相反し、そして複雑に混ざっている。

 この極彩色の世界のように、ありとあらゆる感情の『色』が互いに干渉し、存在し、そして静かにこの理想の夢の中に在る。

「僕はマッチよりも抱きしめてあげたかった。もはや彼女は死ぬ寸前だった。魔法なんていう夢で作り上げた幻想をマッチなんてものが、作れるかい?

 僕は王子にはなりたくない。真実を見抜けない間抜けなど殺して、僕が海の底から彼女を救ってみせたよ」

 でも。

「そんな『かもしれない』を、誰も望んでいない。

 シンデレラは美貌で王子の心を奪い、マッチ売りは凍傷とうしょう餓死がし。人魚姫は愛と呼ばれた幻で自身を滅ぼす……それが、それこそが、だれもが知る、『固定』された『結果けつまつ』だ」

 エトワールの髪の色が落ちていく。奪い返されている。

「たくさんの『もしも』を作り上げ、あったはずの『結果』をにじることを、簡単に人間はやってのける。

 それがどんな結果になるのか、理解せずにさぁ!」

 手に持っていたつえがない。エトワールはたまらず振り返る。

 そこにいたのは、この世の醜さを懲り固めた存在ではない。

 この世界に君臨くんりんする、魔女。至高しこうの魔女。『愛』以外のすべてを手に入れ、そして自身の魂の記録すらも読み、未来も過去も知る、魔女。

「さあ、本気の僕にまだ挑戦するかい、『強奪者ごうだつしゃ』よ!」

 白銀の長い金髪を二つのおさげ髪に。つば広の黒い三角の魔女帽。白衣ではなく黒衣のそれをなびかせ、どこか中華な雰囲気をまとった衣装の娘は、物語の魔女が持つつえをこちらへ向けてくる。

「そうら、おまえがちまちまと僕から奪ったもの、ぞ!」

「…………」

 残っているのは、ほかの場所から奪ったものだけだ。エトワールは歯噛はがみしてしまう。これほどまでに差があるのだ。

「いい顔だ! ハハハ! アハハハハハ!

 だれかを不幸にした先に待ち構えているものが見えない人間など、消えてしまえばいいんだよ。こここそが本来の姿。『君』が理想とする『世界』だろう?」

「そのとおりだ」

 肯定こうていする。

「現実は物語と同じようにはいかない。見えている側面がすべての『物語』とは違う。『見えていない』箇所が多すぎて、手におえない……他人まで助けることができない」

「その通りだ。

 シンデレラの王子が優しく誠実だななんて、どこにも書いていない。

 マッチ売りを命じた父親がその後どうなったかなんて、だれも知らない。

 人魚姫から声を奪った魔女がどうなったかなんて、『どこにも』ないだろ。

 王子は美貌に飽きて他の女をはべらせたかもしれないし、

 父親はそもそも病気で死期が近かったかもしれないし、

 魔女は…………ただ、孤独で滅びを待っていただけかもしれない」

 声のトーンが一気に落ちる。

「美しい声。姫の姉たちの美しい髪。陳列ちんれつされたコレクション。他の追随ついずいを許さない魔力、魔法を、彼女は使っていない。対価があって初めて、発揮はっきされる『力』。

 だから、集めたものなんて、本当はただのガラクタに過ぎない」

 言い聞かせるように。

 真実だけを、物語るように。

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