魔女の物語 3

 魔女は言う。

「『約束』という対価を払った……それは、君がただ、そう、ただ…………そうしてやりたかっただけだからな」

 憐憫れんびんにじませた顔で笑う魔女は、こちらを見つめたままだ。美しい虹色の瞳が、まっすぐ向いている。

「おまえはひとじゃないんだ。人間じゃない。愛も知らない。恋もわからない。無駄に走り続けているだけだ。おまえはしぬ。消滅する。おまえのせいだ。だけど」

 だけど。

「僕も、その感情だけは……手に入らなかったからな。彼女がうらやましかったから、おまえが憎らしかったよ」

「彼女に夢を見せていたのはキミだな」

「そうとも!」

 魔女はゆがんだ表情かおそらあおいだ。

「この魂をさかのぼり、進ませ、繰り返す様々な人生を『見て』きた! 途中からはおまえの仕業しあざだとも、知っているぞ」

 憎悪ぞうおふくんで見遣みやってくる。だがすぐに興味がせたように空を見上げた。あまりにも美しい、青い空を。

「『助けてやる』と言って、『ゆめ』を流し込んだ。夢の中は心地よく、残酷で、どうせなら……死ぬまでそうしてやったほうがいいと思ったからだ」

「…………」

「僕は魔女。魔女と呼ばれた、最後の人間。夢を見続ける、魔女。ゆめの魔女。

 目醒めざめるのは」

 視線をゆったりとこちらに、さだめる。刹那せつな、反対側の腕が吹き飛んだ。

「『おまえ』がここに現れた時のみ。『おまえ』が絶対に勝てない、奪えない、夢の物語の主である、この僕…………魔女、ウテナ・ルイン=エトワール。

 新星の名を持つ、夜をつかさどる者よ。いちわりのかたよ。おまえがしてきたことを、『願いを叶える』などと綺麗事で片づけてたまるものか!」

 激しい憎悪、嫌悪が渦巻く。周囲の空気だけが震える。彼女は気づかないほど少しだけ地上から浮いている。自身の起こすことの反動を、少しでもおさえるためだ。

「本当は、本当は! 木っ端微塵にしてやりたい! 彼女の魔法使いだったのに! 静かに眠らせてやりたかったのに! せっかく、せっかく、家族から小さな愛を受け取ったのに。

 なんて! 言えるかよ!」

 髪を振り乱して、魔女は悲鳴のように嗚咽おえつらす。

「目覚めたらすべてが起こっているほうがいい……死ぬとしても、そのほうがいい。僕が感じたその愛情は、まぎれもない、愛と呼ばれる……たいせつなものだ」

 まぶしくて、だいじで、だれもがほしがる……手に入れたいもの。

 それなのに。

 憤怒ふんぬが声を染める。

が、約束なんか。

 僕の夢を、僕の魔法を、おまえが」

 おまえが。

「よくも、よくも、ぶち壊したな!」

 怒号で片耳で吹っ飛ぶ。血が流れ落ちる。

「そりゃあ壊せるだろうよ。おまえは人間じゃないもんな。だって、僕も」

 僕も。

「『』なんだからさ」

 ほとんど、わずらわしいと言わんばかりの苦々にがにがしい声だった。

「彼女の一部であり、おまえでもある。いや、おまえだな。僕はおまえだ。だから、こんなところで、こんな世界を『理想郷』なんて呼んで、孤独に、ここで眠る宿命を持っている」

 こんなところのどこが理想郷だと、彼女は不快そうに言い放つ。

「『おまえ』だ。『』に勝てるわけねぇだろ、ばーか」

 笑った魔女がつえを軽く振った。それだけで、強奪者が粉々にくだける。血も肉を、すべて空中で固定されている。これは毎回されていることだ。

 ほかの生命や事象になるべくなにかを起こさせないための、魔女が自動的にやってしまう事柄。

「チッ。きたねぇ。よわい」


 人魚は王子に恋をした。どうしてももう一度会いたくて、人間のあしを欲しがった。

 それは奇跡に近い魔法。

 魔女は声をもらうと、歌声をもらうと言った。けれど。

 それが本当の対価ではなかった。

 奇跡の対価は、人魚の恋、苦しみ、葛藤かっとう、そしてそのざますべてだったからだ。

 泡となって消えるその瞬間までの時間を魔女は対価とした。

 そして、『ゆめ』を人魚に見せた。人間のあしを手に入れる『願望の夢』を。

 魔法は万能ではない。ささげるものに見合ったぶんの奇跡しか起こせない。

 人魚にとって一番の価値は『声』ではなく、その一途な、『恋』。

 恋におぼれていた人魚に魔女の本当の姿は見えなかったはずだ。――――そこにいた奇跡を起こす者の姿が、などと、気づくはずもなかったのだ。


「やあやあ、まぁた来たね。振り出しに近い状態に戻った気分はどうだい?」

 あざけりながら今度は真正面に姿を現す。人間とは思えないほど完成された姿だった。

「完全な振り出しじゃない」

「まぁそうだよな。彼女たちから色んなものを奪ってきてるんだから。でも、僕はもう、渡さないぜ?」

「…………」

「僕が怒ってる理由も気づいてるくせに、ほんとに表情変わらなくなったな、おい」

「これが本来のボクなのを、おまえは知ってるだろ」

「そうさ。おまえは人間のふりをして、彼女に近づいたんだからな! おかげで、僕もここにしばられてる!」

 魔女はのどを鳴らして笑う。

「ここだって、最初はこんなんじゃなかったんだ。人間もあふれてて、まあいわゆる、ふつうの? 世界だったさ。

 それを壊したのは、おまえだよ、おまえ」

 つえの先をこちらに向けてくる。もはや不快さも隠そうともしない魔女は、その場で杖を軽く振った。

「『おまえ』が、この世界をこうしたんだ。人間を排除するために存在してるおまえが、そうしたんだぞ。ちったぁ懲りた顔しろってんだよ」

「人間は自動的に滅びた……『魔女』が居たから」

「ああそうさ。僕の本当の姿が見えるやつなんて、いないからな。のはわかってんだよ」

 魔女は奇跡を起こす。魔法を使う。奇跡を起こすためにそれに応じた対価を相手から、『奪う』。

 『夢』の『簒奪者さんだつしゃ』。それが魔女の姿。

「これは『孤独』の物語。だれにも理解されることも、して欲しいとも望めない物語。

 なぎだまし、僕の姿で、彼女の弟へ僕の『夢』を移し替えたのは、おまえだな!」

なぎの願いは安楽死じゃない」

「知ってるさそんなこと!」

 魔女は苛々いらいらしながら声を張り上げた。

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