第六幕

魔女の物語 1


 魔法使いは静かに顔をあげた。

 次の幕は魔女の物語。

 誰かから見て残酷ざんこくでも。

 誰かから見て奇怪きかいでも。

 それは別の誰かには、嫌悪けんおふくんだ愉悦ゆえつになるだろう。

 相反する感情が渦巻くのが、人間。こころ。

 さあ、第六の幕が無情にも上がった。


***


 ちちち、とどこかで鳥がく。鬱蒼うっそうと生い茂る緑の世界の奥底で、魔女は眠りからめる。


 強烈な極彩色。目が痛い世界でエトワールは立ち尽くす。どうせ待ち構えている。

 魔女はこの世界で唯一の人間。植物が王者となった世界の中で、排斥はいせきされなかった絶対なる個。

 いや、この世界の人間を蹴散らして、この理想郷で夢を見続けている簒奪者ささんだつしゃ

「やあやあ。来たね」

 耳障みみざわりな声。振り向かなくてもそこにいるのはわかる。

 この森の中、そらおおう樹木の檻の中、罠にかかった獲物をなぶるつもりで、また、来た。

「懲りない。本当に懲りない。学習しない。何度やり直しても、どれだけ繰り返しても、君はここでまた、つまずくのにね」

 ひどく不快な声音。人間の『しゅう』のかたまりの放つ言葉。

「僕は協力しないとわかっているくせに、何度も何度も何度も何度も、この罠の中に飛び込む……でも、だからこそ、僕はこうして目醒めざめるのだけど。因果関係とはなんなものだよ」

「…………」

「また、僕から奪っているね。懲りない。取り戻す価値はないし、君が本当に奪いたいものは譲らないのに、しつこい」

「…………」

「一応学習はしてるのかな。そう見せかけているのかな。僕の能力が欲しくてたまらないのに、なかなか弱体化しないからいるのにね」

 黙れと言いたいがこらえる。

「おやおや。怒りの感情をどこで奪ったんだ? どんどん人間くさくなっていくね。元の姿に戻れないのはわかっているけど、そこまでする理由がわからないなぁ。気軽に約束なんかするから、こんなことになっている……自業自得だけどね」

 相変わらず嫌味なやつだ。

「ねえ、僕のボク。夜をつかさどり、星の名を持つボク。今回は勝てるかもしれないよ。今度は奪えるかもしれない。やってみたらどうだい?」

 誘惑の声に惑わされてはいけない。頭ではわかっているのに、何度繰り返してもこの魔女には勝てる気はしない。だから身体からだが振り向いてしまう。意識とは別のところで、肉体が無理やり振り向く。

 振り向いた瞬間、エトワールの肉体がはじけて消える。

「……よわいなぁ」


「やあやあ。来たね」

 また失敗したようだ。強烈な緑の匂いが鼻につく。

「今度はあちこちで寄り道をしたのかな? ずいぶんと、姿が変わった。みにくい姿になった。じゃ、僕には勝てない、奪えない。懲りない」

「…………」

「会話をしてくれないのは寂しいけれど、あれ? その類いの感情も奪ってきたのか。可哀想に。苦しそうだ」

「…………」

「今度はなにを奪っているんだい? 毎回毎回、どうでもいいものしか奪えないくせに、懲りない。僕から先に攻撃されないからって、ゆっくりし過ぎじゃないのか。

 星の名を持つボク。を使う限り、僕には勝てない。奪えない。でも、今回は奪えるかも。挑戦してみるだけ、してみたら?」

 殺気をふくんだ瞬間に、身体からだがぐしゃりとつぶされる。

「……懲りない。よわい」


「やあやあ。来たね」

 もはや何度目か、記録するだけ無駄な気がしてくる。

「今回は手加減してあげてもいいよ。だって君は僕だから。懲りない懲りない、どうしようもないボク。真っ先にここに来たのに、何度も何度も僕に負けて、最初の頃の面影おもかげがない。

 あの手この手で挑んでくるのに、無駄なのに、懲りない。本当に懲りない」

「…………」

「また姿が変わってる。元の形がなくなってるじゃないか。いくら人間ではないからって、粘土ねんどみたいにこねくり回し過ぎじゃない?」

 そういうおまえは、あの手この手でこちらから攻撃させようとするくせに。

 すべてを持っているのに、うつわの形しかない存在。魂の中での異質さを凝固ぎょうこした存在。

「気づいているのに僕に勝てない。悔しいか。わかっているのに僕から奪えない。もう諦めてもいいんじゃないか?

 まあ、諦めるわけないよね。人間ではないんだから。もう対価を払ってるから、やらなきゃいけない。

 君の探しているものは手に入らないのに、なぜそんなに必死になっているんだ? よほどの間抜けじゃないなら、そろそろ……勝負にすらならないことを理解しろ」

 今回こそは。

「そんなこと、微塵みじんも思っていないくせに。今回こそ、なんて、夢を見続ける愚か者。僕から能力以外を奪っても、わくの形を壊さなければ意味をさないのに。それすらできない盗掘者とうくつしゃめ」

 わかっているくせに。

「『結果』は『原因』からすべてつながっている。途中で起きた『すべて』の出来事が、結果に繋がっている。連鎖れんさするように、ドミノ倒しのように。

 終わりへと向かっていく道がたがえば結果は変わる? 不幸な人生が幸福の話にすげえられるとでも? そんなものは、ゆめまぼろし。ありえない」

「…………」

天原凪あまはらなぎが手に入れたのは、君の探し、手に入れてみたい『愛』じゃない」

「…………」

「誰もが、望む。幸福でありたいと。

 おのれいをやり直したいと。

 そんなことが実現できたとする。そうすればそこに『残る』のはなんだ? きちんと理解できていないのは人間たちだ。

 いやあやまちの記憶を書きえれば、それを『感じていた』おのれは消え去ってしまう。なくなってしまう。『すべて』が、になる。

 それのどこがいいんだ? のうのうと幸福に生きていればまた別の誰かがねたみ、繰り返す。無限に無限にくだらないことを繰り返していく。

 …………とまあ、完全に人間のご都合主義の物語の話をげたけど、君は知っているからこそ、天原凪あまはらなぎにそのことを伝えなかったんだよねぇ?」

「…………」

「すべての事象じしょうは多面的だ。誰かから見れば美しく、誰かから見れば嫌悪をする。まったく同一の感情、感想を持つことができない。

 君が見ている彼女だって、こんなに魂に触れていれば、『どれ』が君が好きになった彼女かなんて、わからなくなってるんじゃないかい?」

 では。

 こんなところまで来て、運命を変えようとするのはどうして?

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