終幕

『』の物語 1


 すべての物語が終わった。

 『勇者』はその世界の人間を滅ぼした。

 『旅人』は沈黙の中に沈んだ。

 『騎士』は従属する剣のまま。

 『サンタクロース』は今も役目をこなし。

 『スケアクロウ』は使命をまっとうした。

 『魔女』は今でも孤独の中でこちらを睨み。

 『綴り人』は願いを叶えるすべを求めた。

 

 これはカーテンコールではない。

 『願い』を叶えるためにどうしても足りない部分を補った莫大な力は、もうひとつの物語の力によるものだ。

 だれにも知られなくていい。

 スポットライトの当たらないそこに、必ず居た、だれか。

 勇者に恋をした第三王子。

 旅人に愛を告げた愚かな男。

 騎士の国に攻め入って死んだ、名もなき兵士。

 配達屋の見下ろした世界に居た人間。

 案山子のいた町で彼女を心配していた一人。

 魔女に延々と挑み続けた、存在。


 これは、恋した女のためにすべてをささげる決意をしたる男の、はかなくも、愛を知る物語――――。


***


 顔に熱がたまる。心臓がぎりぎりと痛む。全身の血が、鳴っているような錯覚さえある。

 したためた手紙を、ゆるやかに吹き抜けた風にふたつのおさげ髪をか細い手でおさえた女学生の彼女に差し出す。

「好きだ」

 声が引きつる。羞恥のせいか、それとも初心うぶなせいなのか、手が震える。言葉にすることが滑稽こっけいで、陳腐ちんぷにも思えた。

 彼女はこちらを見遣みやり、手紙を見てからいつものようにあまり感情を見せない表情でらす。

「ごめんなさい」

 わかっていた。彼女と釣り合うかどうか、そういう問題ではない。彼女は恋愛に憧れてはいないし、すでに色々と諦めていた。

「あなたの気持ちに、誠実に応える自信がないの」

 こういうところが、好きだ。

 娼館で女を買う金持ちの学友もいるというのに、そんな興味を自分にいだかせることのない、なぜかずっと、目で追ってしまう存在。

 見目みめが特段麗しいわけでもなく、むしろ同じ女学生たちよりも地味で、寡黙かもく。楽しい会話をするでもなく、相手に同調をするわけでもない。

 言い方が彼女らしくて心の中では納得してしまうが、どうしても諦めたくない。

「せめて、読んで欲しい。頑張って、書いたから」

 男らしくない。情けない。

 葉が風に揺れる音。彼女の草履ぞうりが道の土を少し踏む音。それらがすべて、自身の激しい心臓の脈打つ音がうるさすぎて、聴こえない。

 そっと受け取った彼女は、「読むだけならば」と告げる。

 心底申し訳ないという表情をするので、笑って見せた。

「なぎささんの真面目なところは、恥じるところじゃない」

「面白味がないとお母様は言うわ」

 肩身がせまそうにに顔を伏せる。

「なぎささんはそのままでいい!」

「そう言うのはあなただけよ。だって」

 なぜそうも、はかなく微笑むのか。いつも、不思議に……なる。

「あなたは、人間ではないのでしょう?」

「…………」

「物珍しくうつったのが、不思議だわ」

「すまない。少なくとも…………あなたを、傷つけたいとは、思っていない」

「人間のふりをしてどうしてここにいらっしゃるのか、理解はできないわ。でもおびえたり、けたりはしない」

 どこまで気づいているのかわからないが、彼女は手紙を握りしめた。

「あなたが頑張った、と言うものを、無碍むげにはしないわ」

「!」

 ぎゅう、と心臓が痛くなる。

 彼女を見つけるまでは感じなかった感覚。今の状態では、捨てなければならないものだ。

「お、おかしかったら、笑ってくれていい。見た目はあなたと同じくらいの書生の姿だが、その、あまり格好よくはないだろう?

 とりわけ、美しくもないし、からすというあだ名がつけられいるのも知っている」

 学帽で顔を隠すようにするが、彼女はじろじろと見てきた。

「あなたが器用ではないということでは? 華族をかたるでもなく、ふつうの男にふんしているのは、目立ちたくないからでしょう?」

 顔が、また熱くなる。

 そうだ。その通りだ。

 他の女性に注目されたくなかった。にぎやかされ、まとわりつかれるような状態を彼女に見せたくなかった。見た目や地位だけで判断されたくなかった。

 嘘を、つきたくなかった。できるだけ。

 とうに虚飾された姿ではあるが、元々の自分の顔に近いものではあるし、人間なみに能力をおさえればいいだけだ。無難な黒を基調とした衣服は、あまり推奨すいしょうされないが、ここではひどく目立つほうではない。

「あなたの好みの顔にするのも、よくないとは思ったということもあるが、好みがよくわからなかったというのも、あって」

 言い訳のように早口で言葉をつむいでしまう。どこまでもいさぎよくなく、かっこ悪い。

 がっかりされたくない。それなのに、うまくいかない。

「好みの顔になっても、好きになるとは限らないとあなたが思ったからではなくて?」

「……そ、そうだ」

 肯定してしまう。この静かな彼女の声も好きだ。怒ることを疲れると言うくらいだから、あまり感情を揺らしたくないことは、わかる。

「異性に対しての好みがそれほどはっきりしていないから、とても私のことを考えてくれたのね。ありがとう」

「ぼ、ボクが勝手にしたことだ! あ、ありがとうなんて、言われるほどでもないっ」

 ただの自己満足なのだから、感謝の言葉はいらない。思わず違う違うと両手を胸の前で振ると、急に彼女の顔がほころんだ。

 笑っている? 珍しい。

 自分の咄嗟とっさの動作にこんな表情をするとは。人間は不思議だ。

「帰りましょう? もしかして、また女学生に化けて家まで送ってくれるの?」

「あっ! あれは仕方なく、だ! あなたを、その、不埒ふらちなことを考えるやからがいたから追い払うためで」

 まさかそれもバレているとは! 顔から火が出そうだ。

「男がずっとあなたを送っていたら、あらぬ噂が立ってしまうだろう? なぎささんの縁談のことを考えると、よくないし……ボクが目立つのもよくないし」

「つきまといをしていて余計に不気味に思われるか、それとも悪漢あっかんを一網打尽にした無頼漢ぶらいかんとして有名になるか……。どちらもとても目立つわね」

「そ、そう!」

「でもいまだにあの女学生を探している男性はいるみたい。とても鮮やかな手合いだったわ」

「…………あれでもかなりの手加減をした」

 にがい表情を浮かべると、彼女は申し訳なさそうに眉をひそめた。あああ、ちがう!

「あなたのせいではない! あれは、あの者たちが、あなたにいたずらとしょうしたやっかみを……しようとしていたから……思わず、飛び出してしまって」

「着物姿の若い娘が、自分より大柄な男の腕をつかんで一歩も引かなかったから、余計に注目を浴びてしまったのよね。私も驚いてしまって」

「……この時代に限らず、男は女に負けるのを良しとしないのだから、失敗した。だが悪いのはあいつらだ」

 彼女にあやしまれないことを優先した姿だったというのに……だが、何度考えてもあの姿で彼女を守ったのは正解だったと思う。

 表情がそれほど豊かではないからというだけでからかおうとするなど、よほどひまだったのだ。だから真正面から力比べをしてやったのだ。女性は腕力でかなわないという思い込みは消し飛んだだろう。あれだけ手加減をしたのに思わず腕を折ってしまいそうだったので、三人全員転ばせてやった。まるで偶然を装って、彼女と男たちの間に割り込んだのに……。いや、どう見ても不自然か。

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