『』の物語 2

 歩き出した彼女に付き添う。この通りはこの時間帯だけひとがなくなる。時々こうして学舎からの帰りに出会って、少し会話をして、途中で別れる。今日もそうだ。

 大きな通りに出れば人の数は必然的に多くなり、多少は安心できた。

 自分が本当にこの見た目通りのひ弱な男だったら、逆にあの男たちに突き飛ばされ、彼女を守ることすらできなかっただろう。それどころか、こちらがあなどられて痛い目にい続けていたかもしれない。弱い人間をいじるのを、人間はこのむ。人間ではないため、どうしても人間に対して嫌悪感が先立ってしまうが。

「なぎささん、どうしてボクが人間ではないと思ったんだ?」

「ハヤテさんてば、気づいておられないのね」

 文明開化の華やかさが少しずつ国に広がっているその時代。良いことも悪いことも、外から入ってくる。とはいえ、この国には元々良いことも悪いこともったのに。

「新しい洋菓子のことを違う発音で話すことが時々あったのよ」

「う」

 それは本気で凡ミスというやつだ。

「最初は言い間違いか、それとも詳しいのかと思ったのだけれど、甘いものはお好きではないと言っていたし」

「そ、それだけで……?」

「あまり他の方と話している姿を見ないからわからないけれど、時々不可思議な言葉も使うことも多いですし、なんだかとても、奇妙だなと思っただけです」

「き、きみょう」

たぬききつねはひとを化かすというお話もあるのだから、そのたぐいかなとも思ったのだけれど、それにしてはあまりにも流暢りゅうちょうに言葉も使うし」

「さすがに狐狸こりたぐいではない」

「あやかしかなとも思ったけれど、それも違うのでしょう?」

魑魅魍魎ちみもうりょうでもない」

「ハヤテさんの正体がなんであれ、かまわないの。あなたは私になにかを求めないから」

 かすかに彼女が微笑みながらこちらを見上げた。家族と仲で悪いという噂を聞いているから、それが原因だろうか。女学校であまり主張していないせいで、け者にでもされているのだろうか。心配そうに見てしまったのか、彼女は眉を下げてしまった。

「私が出来損ないなのがいけないのよ。美人でもないし、どんくさいし。気立てのいい妹のほうが先に結婚しそうだし……それは私はいいのだけれど、家の体面もあるもの」

「貴族……華族? だったか? そんなものでもないのに……好いた男と結婚することもいけないのか?」

「ふふ。ハヤテさんってやはり良くわかっていないのね。そんなこと、本当にまれなことなのよ。それに、結婚して相手のことを好きになるかもしれない……でも、私は」

 どこか遠くを見るような瞳になる。

「夫婦となれば幸せになれると勝手に思い込んでいたの。違うのね……。幸せって、簡単なものではないのね」

 諦めたような声に、思わず袖口そでぐちに入れておいた小さなびんを取り出す。彼女に差し出した。

一粒ひとつぶ、食べないか?」

「金平糖。いつも用意しているのは、なぐさめるため?」

「元気がなさそうだったから。金平糖は好きだろう? あと、アイスも。ホットケーキも。シュークリームも」

「ふふふ」

「っ、ま、間違っていたか?」

 金平糖を一粒、彼女のてのひらに落とす。彼女は口に運び、「甘い」とらした。

「しうくりぃむのことを、そう言うの、ハヤテさんだけなのよ」

「え」

「看板とかめにぅとかを見ているのに、そのまま読まないんだもの。気づいていなかったのね」

 他の人間との最低限の会話だけの生活では、気づかないはずだ。彼女もたいして反応をしていなかったので、気づかなかった。

 落ち込むこちらを見ずに金平糖の甘さに機嫌が良くなったらしい彼女を、ちらと盗み見た。詐欺師は自分には無理だと感じた。

 大通りで別れ、そこで思い出す。途端に全身が羞恥に染まった。

 恋文こいぶみを、彼女はどんな顔で読むのだろう。すでに断られているし、そんなつもりで告白をしたのではない。知って欲しかった、自分の恋心を。

 思わず顔を両手で隠して足早に来た道を戻っている最中、足がびた、と止まった。

 顔をあげて、慌ててその場から姿を消した。

 一瞬でこの星の天高い場所まで移動する。そこに、冷たい瞳で見下ろすうるわしい男がいる。こちらに気づいて目を細めた。

 いっそ、敵であれば。

 まだ……良かった。よりによって、同族がここに来るとは。

 感情のまったくない瞳。それがこの空域の強風の中で、こちらを射抜く。

「おまえは、ここでなにをしているんだ?」

「…………」

「我々の使命を忘れたのか。我々がやるべきことを、忘れたのか」

「忘れてない」

 忘れられればどれだけいいか。

 晴れやかな蒼天の中で、異常さがる。この世界の人間の物語の中では兄のような存在。けれども、それはまったく違う。

 彼は兄ではない。ただ、何代目かの、その『名前』を継承した存在。

「人間にうつつでも抜かしているのか。おまえは魔族の真似事をして、なにがしたいのだ」

 人間を排除しない存在。人間を愛することもできる存在。厳密に言えば、それは我々でも可能である。だが、魔族のほうが、彼らのほうがより人間離れしているのに、人間の隣人としてれる。

 ねたましい。うらやましい。

 淡い灰色を基調とした白に近い衣服がなびいている。いつもなら同じような色をまとっているであろう自分を、侮蔑ぶべつの瞳で見てくる。

「まさか、本当にそんなことをしているのか? 魔族たちのように、人間の隣人のふりをしていると?」

「ひとの寿命は一瞬だ。ただ少し観察していた、」

 だけと言おうとして、やめる。目の前の細身の男の視線が地上へ向かった。その片腕を反射的に吹き飛ばす。鮮血が青い空を背後にして舞った。

「よせっ!」

「使命をないがしろにするのか愚か者! 仮にも『名』を与えられたというのに!」

「欲しくてこんな『名』をもらったんじゃない! 指名されたからだろうが、おまえだって!」

 だから内包する力は、それほど優劣がつかない。『名』は『称号』。人々の中で生まれた名を持つものたちの真実の姿を知るのは、相対する存在のみ。

 悪魔として広く知られる魔族たちも同様だが、それでも。滅多に人間に干渉はしない。干渉する時は、彼らを我々から『助ける』時だけ。

「魔族と接触でもしたのか……? 随分と、毒されている。我々は人間を愛することはできない。ただの錯覚だ!」

 そう怒鳴られても、否定ができなかった。だが、こいつはここで消すべき……だろうか。仮にも、『名』を受け継いだのだ。自動的に『次』が用意されるとは限らない。不審がられて、もっと上の連中が来るかもしれない。

 そうなれば。

 薄茶の瞳の色が、本来の薄紫色に染まる。漆黒のからすのような身なりが、金の装飾をつけた薄灰の衣服へと塗り替えられていく。目立たなかった顔の作りも、肉体も、目の前の男以上に美しさをはらんだ。

「ツクヨ」

「消えろ」

 ろ、の部分ではすでに目の前の存在を力をぶつけて消し飛ばした。血すら、散らさず。残骸をのこさず。

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