『』の物語 3

 小さく息をつく。耳鳴りのような風の音がする。ああ、やってしまった。青に近い紫色の髪をなびかせ、やはり人間のふりをするのには無理があると思い知る。

 魔族はどうやって人間を愛するのだ? あんな小さなものを、なぜ大切にできる? 妻にし、夫にし、ただその魂だけを愛し、子を成す……そんな気色の悪いことが、なぜ可能なのか。

 だが。

「はぁ」

 いやだった。不快だった。ただそれだけだ。

 アマテラスが地上を吹き飛ばそうとするから。

 そうだ。あいつが悪い。

 我々が消滅させるのは人間でいい。それなのに。

「『全部』消滅させようとするから……」

 だが今ので魔族の連中にはかんづかれた可能性が高い。ふざけたやつらだが、我々の動きを常に牽制けんせいし、妨害をしてくる。こうして自分とて、やつらの監視を搔いくぐって侵入しているというのに。

 気紛きまぐれなど、起こすべきではなかった。

 ただ粛々しゅくしゅくと『うつくしい』世界に戻す作業をしていれば。

 このままでは自分は見つかってしまう。こんなところで、ぼうっとしている場合ではないというのに。

「な、んなんだ、この、感覚は」

 こぶしに力を入れて、歯軋はぎしりをしてしまう。

 は、とした瞬間には。顔をあげるいとまもなく、さらに高い位置に現れた存在から攻撃を受けてしまう。貫かれた胸元よりも。

 あの人間の娘にえなくなることに、強い恐怖を抱いた。


 恐ろしい正確さだ。力の調節が繊細で、地上に叩きつけられたというのに、そこは人間がいない場所だった。植物もない、場所。反撃すらさせないつもりだろう。迷っている場合ではなかった。

「う」

 身体からだが壊れていない。だというのに、存在をたもつ力が抜け落ちていく。このままでは次の一撃で消滅してしまう。

 すぐに追撃される。このまばたきのような一瞬で。咄嗟とっさに首をかたむける。薄皮一枚のところで、攻撃をけたようだ。ぢっ、と小さな音が耳元でする。

 最小限の力で、この世界への干渉を済ませようとしているのがわかる。どこまでも。

 砂漠の中で、そらを見上げる。

 どこまでも、神と称される存在を人間に関わらせたくないのだとわかる、嫌悪。絶対に、理解などできない、存在そのものが否定する、連中。

 沈みゆく太陽光を背に、この世界の存在に視認、認識させることのないとてつもなく、細い細い針のように引き絞った鋭い存在感。あんなにも、慎重に人間の世界に不干渉だと言わんばかりの、敵。

 美しく整えられた造作ぞうさく漆黒しっこくの衣服をまとった、人間の若い娘の姿をした存在。だれが見ても、あんなモノ……悪魔などではない。

 その時だった。娘が顔をあげて殺気をふくらませて消え去ってしまう。どうやら別の神族が現れてどこかを攻撃し始めたのだろう。この世界は、自分が『穴』をあけて入ってきたから、その痕跡こんせきを使って同族が侵入してきたのだろう。アマテラスのように。

 穴を閉じに行ったのだろうし、自分と同等以上の力を持っていなければ穴に気づくことはない。それなりに強い同族が入ってきたはずだ。

 立ち上がることもできない。このままじわりじわりと消えていくのか。この結末は決まっていた。どうせ次の『ツクヨミ』は神族の誰かに譲られる。人間のように循環する機能が魂にないから、次のせいなどない。

 寿命で消えることが、神族にはほぼない。いつの間にか消え、名だけ継承された別の神族が現れると、九割以上の確率で魔族に消されたということになるが……そのことを誰も口にはしない。魔族に敗北したなどと、誰も認めることはしない。

 人間にとっては伝説上の『悪』の概念を押し付けられた存在。神族にとっては邪魔をする害虫。

 早々にこの世界の人間を消し飛ばしていれば、生き続けていられたとは思えない。結果は変わらない。人間を滅して消されるか、滅す前に気づかれて消されるかの、どちらかだ。

「…………」

 消滅は怖くない。だが、ここに落ちる前にいだいた感情は、いまだに不可解だった。ままごとのように、人間の恋愛を真似ていただけだったはずなのに、なにをやっていたのか……。手紙? 気持ち? 本当に、アマテラスの言う通りだ。次の『アマテラス』はあれほど苛烈かれつな性格でなければ、いい。

 唇から血が流れていたし、鋭い力で空けられた胸元の穴も血の染みが広がっているのに……痛覚もあるというのに、命が消し飛べば、幻のようにあとかたもなくなる。

「て、がみ」

 読んでくれただろうか。

 そんなどうでもいいことを、言葉にしてしまう。

 消えてしまえば、彼女の感想も聞けない。

 文字にするにはそれなりに時間がかかった。無駄な労力だとわかっていたのに、たのし、かった……?

 砂塵さじんが舞う。そういえばと視線を動かす。ああ、やはり。

 砂の上にびんだったものの破片はへんと金平糖が散っている。また、買っておかなければ。…………また?

 考えが、矛盾している。

 まあ、いい。どうせ消える。それならば……。

 ゆっくりと上半身を起き上がらせる。なぜ、はやて、などという名を使ったのか。

 急速に温度が下がっている砂漠の中で、溶けかけている金平糖を、伸ばした指先でつまんだ。あぁ。血がついた。

 最期に、手紙の感想くらいは……聞いてもいいかもしれない。ぼんやりとそう思ったが、そこから動き出すには時間がかかった。



 なにをやっているのだ、自分は。

 ただ身体からだが崩れていないだけで、ろくでもない状態だというのに。

 のろのろと歩きながら、人目につく場所まで来ると自然にハヤテという人物の姿に変わる。黒をまとうのにも、慣れたものだ。学帽まではさすがに疲れて、無理だ。

 そういえば、自分を攻撃した魔族は桜の花を模した髪飾りで長い髪をくくっていた。そうだ。この名は、この国の、春の名のひとつ。彼女が四つの季節の中では、好きかもしれないと思っていた季節。

 めぐる季節など、どうでも良かったのに。なぜ、好きかも、などと妙な憶測で……。

 すっかり夜もけている。どうせすぐこの身体は消える。わりと早く戻って来たし、なるべく長く、この形をたもっているほうだ。

 律儀に金平糖まで手に入れて、本当になにをやっているのか……。

 彼女の住む家の前まで来て、そこでやっと気づく。まだ眠っている時間帯ではないのだろうか。逡巡しゅんじゅんしてたたずんだのは一秒にも満たず、軽く跳躍して屋根の上にあがる。少しだけ感覚を広くし、しぼる。

 妙な、音が。

 不思議になりながら、視線を巡らせる。まだ、起きるには早い時間のはずだ。なのに。

 この家の人間たちは、起きている。早起きなんだなと思ったが、妙な違和感はあった。入れる場所を探して侵入し、廊下を進む。泥棒と思われてもかまわない。

「ほんとうに鬱陶うっとうしい……」

 くぐもった声が聞こえる。あまり馴染みのない声だが、彼女の母親だろうか。

 家の中が重い雰囲気なのと、なにか関係があるのかもしれないとは思ったが、足早に彼女の部屋に向かう。どんどん、あの妙な、音が近づく。

 ふすまの前に立ってから、その音の正体に気づいた。反射的に押し開き、部屋に入る。

 必死に手ぬぐいを口に押し当てて、せきこらえるようにらしている姿に、駆け寄った。

「なぎささん!」

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