旅人の物語 3

「『旅人』ドロシーは、この世界の生命を見守って、観測して、愛を探してさまよっていた。

 この『侵害しんがい』のおはなしを、『探求たんきゅう』のおはなしとして、彼女をみちびいてあげて。わたしには、むりだから」

「ドロシー……」

「さあもう行って。つぎへ行って、あなたは約束をまもるの。

 あなたがたましいと呼ぶもの、こころと呼ぶもの、みつけてくれた、そのお礼よ」

 エトワールの手が電気ではじかれる。まぶしくて、もう見てはいられない。

「あなたが選んだ『三人』の記憶では、たりない。彼女の願いを叶えるには、たりない。永遠の循環じゅんかんの運命を、あなたがとめることを選んだ。

 あなたが与えた『永遠』を、彼女のために手放す機会が、やっときたのね」

 やさしい音がこわれていく。

「『あい』と呼ぶには――――まだ早い」

 エトワールの姿が吹き飛ばされ、そこには静寂せいじゃくが戻った。

 映像が明滅めいめつして光量を落としていく。

「あぁ、はなし相手がまたいなくなちゃった。今度はたべていないのに。

 でも、でも、もうたべるのは、いいわ。おなかいっぱいよ。今度は、今度は、ねむりたい。もう、わたしをまどわせないで。あいは、わたしには必要なかった」

 映像がすべて消え去り、瓦礫がれきがそこには残った。

 研究所だったそれは、城の映像をかさねられたもの。その中で守られていたドロシーという名前をつけられた、思考プログラムを搭載された人工知能の鳥。

 鳥は天使の姿をし、映像を作り出し、人間を優先的に観測し続けた。永久機関ではなかったゆえに、天使の翼が折れ曲がり、羽が散っていくことが、破損を意味することに気づかないまま、決定的な瞬間まで、人間に干渉することはなかった。

 ドロシーの存在を見つけ、愛をささやいた人間の男。あまりの執着しゅうちゃくに、彼女は自身の大元の研究者の記録を引っ張り出すことになった。

 使い道など考えられていなかった、未完成の冷凍保存法を利用して保管されていた研究者の肉体を動かし、男にあきらめるように仕向けた。いつわりの愛であることを、まさに身をもって、教えるために。まやかしだと、現実を突きつけるために。

 ほかの生命体を同じように、知能をうすめて本能に従わせていた男はとうとう月までやって来た。

 しつこい。

 観測が続けられない。

 排除。排除。排除すべし。

 ならばおまえの愛をみせろ、愛を証明しろ、愛がるのだと、実証せよ。

 できもしないことを要求したため、ドロシーを愛した男は途方に暮れた。待っている間にも研究者の肉体がどんどんちていくので、ドロシーは邪魔な存在を排除することにした。

 その愛があるというこころを、わたしにみせて。からだを、ひらいて。

 文字通り、男は心臓をみせることになった。おどしに男は屈しなかった。身体からだを切り刻まれてもいいと、迷うそぶりもせずに言い放つものだから、本当に男は生きたまま、べられてしまった。もちろん、心臓に到達するまでに男はしんでしまった。

 しかし、愛。

 生命体はよりすぐれた、強いしゅのこすというのに、人間はどうして劣化することもいとわないのか。そして何度も何度も、争いを起こしては他の生命をおびやかす……なんという欠陥品。

 愛を紐解けば、このしゅを排除できるかもしれない。観測という役割をまっとうできるのではないか。だが人間も生命体だ。優先される観測……いや。

 蔓延はびこやまいを取り除こう。この生命体は、間違っている。

 見上げた先に、月に、彼女が居ることを見つけ出すことは、できない。この男のような強力な執着しゅうちゃく、探求がなければ、偽装を見破れない。

 この場所に呼び寄せる信号を出し、映像をつくり変え、より完璧に、美しく、同時に排他的で、あやうさを混じらせる。男女ともに、独占、所有欲を刺激すれば簡単なことだった。この男で実験したことが役立った。すでに骨だけとなり、もはや元の形もなくなった最初の男。

 えさにかかった人間たちは月へと渡り、最後には無理やり運ばれて……そして地上にしつこくしがみついていた人間というしゅは、とうとう滅びた。

 だが、問題が起きた。

 人間が消え去ってしまうと、彼らに害されていた生命体が知性を伸ばし始めた。また、侵略が始まった。争いが生命を踏み荒らす。

 また観測できなくなる。どうしてどうして。

 機能しないのに。うまく機能しなくなっているのに、どうして目を光らせないといけないのか。ただ観測させてくれれば、なにもしないのに。

 矛盾は、破損から生まれていた。彼女は正常な判断ができないままに、本来計算されていた稼働時間を短くしてでも、邪魔だと思える存在を消しにかかった。本当に矛盾していた。

 最後の最後に、彼女は、消し去るべき知能が自身だと、判断した。孤独なまま、時間経過とともにほころんでいく自身のもとに、みたこともない存在がやって来た。

 それは、彼女のにいっさいうつらない。それは、まほうつかいという記号ラベルだけをり付けた、奇妙なもの。

 だが、あぁ。これで本当の自分に戻ることができる。まぶしすぎた記録が一瞬にも満たなくて、良かった。あれほど強烈なものを与えられ続けていたら、こちらがき切れてしまっていた。邪魔者は、消えろ。さっさと消えてしまえ。この世界から、せろ。

 静かなほうが、この世界は穏やかでいられる…………ねむれ、すべて、ねむるのだ。



 研究者は同僚、上司、部下からも敬遠され続けていた中、研究を成功させた。

 一躍いちやく有名人になった彼女に求婚が殺到した。彼女は愛の言葉を放つ者たちを、まったく信じていなかった。

 信じられるのは、自分の作り出したものだけ。

 それに彼女は信じられない理由がひとつはあった。病気で、こどもができない身体からだだったのに、そのことを隠していたために、『家庭』の、未来の話を出して口説くどこうとする者たちの多さ。うんざりするほど、会話がみ合わないことへの苛立いらだち。

 疲弊ひへいに耐えることもなく、彼女は自身の情報をできるだけ記録して、鳥に渡した。そして静かに、未完成の方法で眠りについた。

 目論見もくろみ通り、彼女は保存される過程で息をひきとった。

 残された鳥は、かごに閉じ込められたまま、月からこちらを見下ろすだけだった。

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