そんなもの投げても、当たらないと思う!

「おはよー」

「おはよ」

 返事をすると、姉はそのままふらふらと歩いで、そのまま水瓶みずがめに手を伸ばす。 あー! こぼれる倒れる!

 よっとっと、と言いながら不安定な動きで洗面台に水を満たしていく。だが洗顔用品はないので、ばしゃばしゃと乱暴に顔を洗った。……めちゃくちゃ水が飛び散ってる。あれ、たぶん僕が片づけるんだろうな……。

「今日は町、大盛り上がりかもね」

「そうだろうね。ちっ」

 仮にも相手は悪い竜を退治したのでは?

「役人も巡回回数増やすんでしょ?」

「そういう話だった。僕も一応一回はしなきゃいけないみたいだし、ついでに見るよ」

「……今日は草スープかもしれないなぁ」

「いやいやいや! そこはなんとかする!」

「もう面倒だから、そこらの雑草と卵と砂糖でなんか作れそうじゃない?」

「食中毒みたいになるよ! あのね、姉ちゃんも知ってると思うけど、毒をもってる植物はけっこうあるんだからさ!」

「こっちにはカエルとかうさぎはいるのかな……鶏肉みたいな味ってのをため機会チャンスかも……!」

 わああああ、もう今日の食事全部諦めてるー!

「姉ちゃんは今日なにするの?」

「…………腹立つから、ベーコンのおばあさんのところで留守番の手伝いする」

 …………こんな不審人物が居座いすわって、迷惑じゃないだろうか? かと言って、パンのほうで留守番をさせると、明らかに売り上げが落ちる……。

 まあ大人しくしているなら、まだ安全か。昨日の変なやつが来ても、おばあさんが追い払ってくれそう。

 何事もないことを祈ろう……。


 ……なんて思っていた朝の俺を、今は殴りたい。

 巡回に出た俺は、同僚と話しながら経路を順調に進んでいた。

 魔法使い一行いっこうは、確かに広場を通った。その一行いっこうの中に、昨日の男もいた。

 まほう、つかい……。

 でも全員、魔法使いっていうより、どこかの騎士みたいな恰好かっこうなんだけど……。

 歓迎する町の人々の声を受けて、馬に乗って手を振ることで返事をしている彼らの中で、昨日の男と俺は目が合った。

 ……うん、姉ちゃんの好みではないな、あれは。

 うすく笑うあの男は、その数時間後、町の人々を……残らず惨殺ざんさつした。



芦原瑞穂あしはらみずほ! かくれてないで出ておいで」

 燃えさかる炎の中で、町を蹂躙じゅうりんした彼らは姉を探していた。俺はというと、その姉によって誘導ゆうどうされて逃げていた。

「姉ちゃん! あいつとほんとに知り合いじゃないの?」

「知らん」

「でも姉ちゃんのこと探してるし」

「迷惑だ」

 いや、そりゃそうだろうけど。

 思い返すと、どうしてもあんなものが魔法とは思えない。

 邪竜を倒したというのも、なんだかあやしい。人々が歓迎するような、そんな、ものたちではない気がする。

 でもおかしい。もしもあいつが姉ちゃんをこの世界にんだというのなら、この姿のはずはない。元の、日本人のままでも良かったはずだ。

 べつに姉ちゃんはなにか特別な力を使って逃げているわけではない。死角しかくになる場所をねらって移動を続けているだけだ。俺の知らない時間で姉ちゃんなりにこの町を歩き回っていたらしい。

「しんど……」

 姉ちゃん……やはりこっちでも運動不足か……。

「出て行ったら姉ちゃんは助かるんじゃ……」

「おまえが殺される!」

 え?

「あいつの狙いはおまえだ。本来、おまえはここにはいないはずだから」

 どういうこと? マジで俺、巻き込まれたほうだったのか?

 でも殺されるほど、なにかした覚えがないんだけど……。

 男が軽く笑って、指を鳴らすと町の中に熱風が吹き荒れる。肺が、いたい。これが魔法?

芦原尊あしはらたける、姉を差し出せ」

 びく、と俺が身体からだふるわせる。匍匐前進ほふくぜんしんのような状態で逃げていた中、まるでそれに気づいているようにあの男ははっきりと、言った。

 あんなやつの前に出たら、ころされる……姉ちゃんも、俺も……。

 なんで、なんでこんなことになってるんだ……?

瑞穂みずほかくれても無駄むだだ」

 地面にびたっとくっついている姉ちゃんの姿は、お世辞にも見ていられるものじゃない。そんなことをしても人間は平面にはならない。

 出てこい、としつこく言う男の周囲の者たちは、無言だ。無表情でただ男のそばにいるだけの、そんなうつろさが感じられた。

「どうするんだよ? どっちかがおとりになったほうがいいんじゃ……」

「……それなら、おとりは姉ちゃんがなる」

「はあ?」

「だけど、たぶんあいつはこの町ごと消すと思う」

「なんで? 俺たちあいつになにしたの? 前の時の知り合い?」

「いや……。姉ちゃん、友達いないだろ」

 そういえばそうだった。なんで今、そんな悲しいことを言うのか、この姉は。

 二人とも見つからないように地面と同化するような姿勢で、話を続ける。

「やっぱりあいつがやってるの、魔法?」

 なんか想像してたものと違う。指パッチンでなにかが燃えたり……なんのチートかと思うじゃん。

「あいつ自身があれが魔法って言うなら、そうなんだろうけど……『魔法』っていうのは、なにかを利用して使用してることが多い」

「?」

「魔力、マナ、精霊、とにかくそういう、魔法っていう現象を起こすために必要な『力』だよ。人間だって、なにかをする時にはそういう力が必要だからね」

 煙とただよってくる肉の焦げるにおいに二人で口をおおってき込む。

「テストでいい点数をとるのに勉強するのも、運動でなにかの痕跡を残すために練習するのも、そういう『力』だよ」

「んん?」

「でもそれで学年一位とか、望んだ結果になるわけじゃない。人間がやることで、確実なことなんてものはないんだ」

「じゃあ魔法って……」

 もしや生贄いけにえ系のやつか……?

「純粋な力に、人間の感情はふくまれない。よく、恐怖が力のわりになる~とか聞くけど、そんなが力として使えるっていうのは、姉ちゃんは信じられない」

「そ、そう?」

「もし『それで叶う』なら、信仰はない。祈りやお布施ふせりないから願いが叶わないなんてこと、ありえないだろ」

 気軽に奇跡が起きていたら、それこそ世界は大パニックだ。考えれば、恐ろしいことだった。

 しかし本当に夢も希望もないこと言う……姉らしいが。

「ええい、らちが明かん! たけるくんは隠れてて」

 苛々いらいらし始めた姉は、そわそわしている。ああ、この状況にもう飽きたのか。怖がってふるえるわけでも、勇気を出して立ち向かうでもない。

 あれ? なんであのウクレレもどきを持ってんの? まさか武器にでもするのか?

「そんなもの投げても当たらないと思う!」

「その通りだと姉ちゃんも思う!」

「まさか姉ちゃん……マジでチートな能力でも持ってんの?」

「そんなものないって、わかってるだろ?」

「たしかに」

 納得する俺に「せてて」と言うと、姉は立ち上がった。途端、派手にむせた。それはそうだろう。こんなに煙や熱風があるし、ひとが焼けるにおいも、拒否反応を起こすものだ。

「ごほごほっ、ちょ、ごほっ、お、おいぃ」

 ……めっちゃかっこ悪い。

 あまりに派手にせきをするものだから、あの男に気づかれてしまう。指をぱちんと鳴らすと、煙もにおいも、さわやかな風がすべて運び去ってしまう。炎まで消えている。

 まるで舞台の場面転換のように、一瞬で赤い世界が、元に戻る。でも、人々はげたままだし、俺たち姉弟きょうだい以外は、誰も……いないように、思う。たぶん……こんな、状況にいたことがないから、わ、わからないけど……。

瑞樹みずほ、そんなところにいたのか」

 そう言っている男の言葉をさえぎるように、姉はまだむせている。煙を変な吸い込み方でもしたのかもしれない。

「す、すまない……そこまでむせるとは……」

 謝ってる……あいつ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る