溺れたら人間は窒息死するんだよ

「だけど姉ちゃんの恰好かっこうからして、『魔法使い』ってそういうイメージがあったってことじゃない?」

「…………まずいな」

 ひとりごちた姉の言葉は、なんの感情もこもっていない。不安になった。俺はなにを、期待していたんだ?

 別の人生になっても、幸福だけで終わるなんてことはない。都合つごうのいい夢はない。

 俺よりたくさん観察して、考えている姉は……なにを危惧きぐしているのだろう?

「魔法使い一行いっこう、どうせ広場を通るし、こんな町じゃ大騒ぎだ。姉ちゃんの商売あがったりだよぉ! 許せん!」

 あれ? そっち?

「どこの芸能人だってんだよ! 同じ人間のくせにっ! あいつら見たって腹はふくれないし、金が増えるわけでもないのに!」

 確かにそうだ。俺の場合はまったく関係ないけど。でも姉の収入が減るのは、この状況ではまずい。あ、だから、って言ったのか?

 なんというか、本当にリアルな世界だ。見回りに行く同僚たちの剣を持たせてもらったが、あまりにも重くてイメージが崩れたし、ものが斬れるのかと疑問さえあった。

 どんな世界で生きていても、なにに向いているか、その向いている職業にいても幸せな生活を送れるとは限らない。幸福も不幸も約束されていない、見えない未来。

 こんなに才能のかたまりのような姉でさえ…………つぶれてだめになってしまった。だれかと暮らすことが、向いていないのだとも姉自身が言った。

「このままこの世界で暮らすのかな……」

「そうかもねぇ。色々考えちゃうよね。それ、どこの世界で生きててもだけど。

 だって人間って老いるし、おとろえるし。生きるのめんどい」

「まぁ姉ちゃんは吟遊詩人ぎんゆうしじんには向いてないとは、思う」

「そうだよ。向いてない」

 え?

 知らない声が響いた。町はずれにある家に向かう道で、その先でぽつんと立ってこちらに微笑みを向けている肩までのさらさらの金髪の男。

 めっちゃあやしい。しかも、絶対に金持ち! なんだあの衣服! どこの騎士様だよ!

瑞穂みずほ

 はあ? なんで姉の名を知ってんだ、こいつ。

「どちらさまですかァ?」

 姉は姉で顔をしかめている。確かに町の人々に比べると、顔の造作ぞうさくもととの……いや、わからないな、やっぱり。

「迎えに来た」

 え? もしかして選ばれしは姉ちゃんだったの? 俺が巻き込まれたほう?

「知らないひとについていくわけないでしょ。てか名前も名乗れないんですかぁ?」

 ……あの男、姉ちゃんのこのみじゃないんだな。すっごく腹立ててるじゃないか。

 いやでも、知らない男がいきなり「迎えに来た」とか言って、家路いえじに立ってたら気色悪い!

「あなたが僕を知らなくても、僕は瑞穂きみのことを知ってるよ」

「きっしょ! なに言ってんだこいつ!」

 え? なんなの? この男が原因でここにいるの? もう事件解決する? でもわけがわからない。

「どうして抵抗ていこうするの。どうしてここでも苦労しようとするの。幸せにおぼれればいいのに」

「こいつ殺人宣言しやがった! 溺れたら人間は窒息死するんだよ、ばーか!」

「みずほ」

 ただ穏やかに、静かに、言い聞かせるように言葉を続けてくる男。さすがに空気読んだほうがいいと思うけど、絶対ひとの話聞かないタイプだろうなぁ……。

「お願いだから、幸せになってよ」

 切実な声に、俺の胸もなぜか苦しくなる。

「うるせーッ! おまえの『幸せ』は私の『幸せ』じゃね-んだよ!」

 めっちゃ怒鳴り返すじゃん……台無しだよほんと。

なら君の願いも叶うのに」

 その言葉に、姉ががらっと雰囲気を変えた。にや、と笑ってみせる。まるで別人みたいな表情だ。だ、このひと。

「言っただろ。おまえじゃ叶えられない」

 んん?

 驚いていると、今の空気が嘘だったかのように、姉はその場でばたばたと暴れた。

「きもい! 去れっ!」

「いいよ。また明日ね」

「ハアァ?」

 にこっと微笑んだ細身ほそみの騎士風の男は、いきなり消えた。きえ、た? えっ? ええーっ!

「ゆゆゆ、ゆうれ……」

「待て!」

 俺の声をさえぎって、夕暮れの中で姉は周囲を見回す。ほかにひとの影はない。確認するや、先ほどの男が立っていた場所に駆け寄り、地面をじぃっとながめた。

足跡あしあとがある。周囲にはない。ここに現れた……? 瞬間移動? いや、空からここに?」

 でも、と俺のほうを姉は見てくる。

「幽霊なんかじゃない。存在はしてる」

「でも死んでる可能性あるじゃん! ゾンビとか!」

 この世界、ホラーだったの? 生き残りをかけた世界だったのか?

「ゾンビならそれなりに体臭がする。腐敗ふはいにおいはしない。

 とりあえず!」

「っ?」

「おなかすいたから帰ろ!」

 思わずひざを地についた俺の気持ちを、きっと姉はまったく理解できないだろう。



 うっすいカーテンのせいで、太陽光が直接目に響いて痛い。三日目。やはり、目を覚ました天井は、見慣れないものだった。

「まぶし……」

 かたいベッドから起き上がって、軽い欠伸あくびをする。昨日帰ってから夕飯をとった姉は、憤慨ふんがいしながら部屋に戻ってしまった。

 姉は夕飯をとりながら、調べたことのうちであろうことを、教えてくれた。この世界では、幽霊の存在は認知されているが、実在は証明されていないらしい。

 あの幽霊もどきはどう考えても姉を……口説くどいていた……のか? なんか違う気もする。

 部屋を出て、昨日のうちに用意していた水瓶みずがめから洗面用のうつわに水を入れて顔を洗う。この家には風呂が存在していない。それもそうだ。風呂を用意するのにはとんでもない労力がかかる。料理するだけでも大変なのに、無理だぁ……。

 だから使わない布を水にひたして、水気みずけしぼり取ってから身体からだくようにはしていた。姉は腕力も握力もないので、どれだけしぼっても布がびちょびちょのままだったこともあり、途中でもう面倒だと言わんばかりの顔をしていたので代わりにしぼって、押し付けた。

 日本に居た時もそうだった。結局、どうなりたいのか、わからない。姉もそうだった。姉は、途中で……いや、最初から、なにかの目標などなかったのかもしれない。

 今日はなんにちなんだろ? この世界には曜日があるのか? どういう歴史があって、どういう国があるんだろう?

 気になることは多いのに、知るすべがあまりにも少ない。だからと言って、なんの準備もせずに旅に出るのはただの自殺行為だ。

 結局、ゆっくりと世界を徐々に知っていくしかない。なにができて、なにができないのか、ゆっくりと理解していくしか。

 この世界の両親はどうなったのか、なにもかも、家の中のものだけではわからない。

「魔法使いの一行いっこうかぁ……」

 昨日のあやしいストーカーもどきが、そのメンバーだったらどうしよう! 町中で姉にせまってきたら手……やめよう、考えではいけない。

 口も性格も問題ありだけど、姉は決して美人のたぐいではない。むしろ、あの魔女ルック! 琵琶法師びわほうしみたいな演奏!

 あれが『選ばれし者』だったら、この世界、ほろぶかもしれない!

 俺は昨日仕入れた少ない食材で朝ごはんを作った。くっ! 何度やっても、この暖炉だんろもどきに火をつけるの、すごく大変なんだが!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る