第五幕

案山子の物語 1


 終幕まではこの茶番劇は終わらない。

 誰かからみれば、とてもなくくだらないひとりよがり。

 誰かからみれば、つまらなくて価値など微塵みじんもない舞台。

 それでいい。それでいい。

 さあ、第五の幕は待ち構えている。

 

***


 畑のみのりを邪魔するからすを追い払う、ひとの姿をした案山子かかし。それが、ここでは自分に与えられた役目だった。


 貧相な体躯たいくの幼い少女は、あまり栄養がとれていないのか、身体からだ凹凸おうとつがはっきりしていない。一見、少年にも見える。生物学上、女性であるだけなのだろう。

 いつもにこにこと笑っていた彼女は両手首に拘束用の手枷てかせがつけられいる。そこにえがかれた模様は、案山子カカシであるあかしであった。

「おばちゃーん!」

 身なりもぼろぼろ。まとった身体からだに巻き付けたマントは形も悪く、穴まであいている。瘦身そうしんに見合う、ベルトがあちこちについた奇抜な衣服は『案山子カカシ』にだけ与えられるものだ。

 からん、とドアベルが鳴り、奥のカウンターに座っていた人物は、入って来た少女の姿に思わず笑顔になる。

「お給料を早速ここで使ってくれるなんて、ほんとあんたって子は! あとでご飯わけてあげるから、持って帰りな」

「いいの? でもオレ、本しか買ってないのに……」

 しゅんと肩を落とす少女に、女性は大きく笑ってみせた。

「なーに! あんたがいるからこの国は守られてるんだ! もっと自信もちなって!」

「そうなの……? よくわかんないけど、おばちゃんが笑ってくれるなら、オレ、うれしい」

 へらりと笑う彼女に、女性はごそごそと背後から本を出してくる。少女の瞳が輝いた。

「シュテルンの新作だよ。とっておいたよ」

「ありがとう! わー! 今度はどんなおはなしかなぁ。楽しみだぁ」

 ふところからコインの入った布袋を取り出し、口紐くちひもをほどく。

「どれくらいあったら買える?」

「相変わらず算術は苦手なんだねぇ。そのうちカモられちゃうよ?」

「かも? ううん、オレはカカシだよ?」

 あどけなく言われて、女性は「そうじゃないんだけどねぇ」とこぼした。この町に住む彼女のことを知っていれば、住人はなんとか助けようとするが……ほかの場所ではそうもいかないだろう。

「いつか読んでみたいんだよなぁ。つくってくれないかなぁ」

「? どんなものだい?」

「へへっ。うーん、うまく言葉にできないや」

 そう言って、代金を渡す。案の定多くて、慌てて女性が彼女のてのひらに戻す。

「少しは覚えなよ。まったく」

「でも生活に困ってないし」

「あんたの好きなシュテルンの本が買えないと困るだろう?」

 そう言われてしまうと、少女が心底落胆し、背中を丸めた。あまりの様子に店主のほうが慌ててしまう。

「でも、オレ、ばかだから」

 確かに文字も難しいものは読めない。わざわざ、買った本を持って「たすけてぇ」と泣きべそをかきながら現れたこともあった。

 これで神殿仕えというのだから、誰もが不思議になるところであった。国の騎士たちも神官たちもこれほどみすぼらしくない。けれどこうして給料が出たとやって来るのだから、働いてはいるのだろう。

「なんか覚えたくても、むりなんだよぉ。うー」

「泣くんじゃないよっ。ちょっと待ってな。すぐにおかずとか詰めてあげるから」

「うん」

 そでで涙をぬぐいながらうなずいた彼女は、席をはずした女性から視線を外し、手の中にある二冊の本を大切に抱きしめた。

 文字をおぼえるためにと読み始めた本だったが、今ではすっかりこのシュテルンという作家のファンになっていた。ナカツクニ? とかいう、遠い国の人らしい。でもここまで本が入ってくるということは、もしかしたら案外近くに居たりして。なんちゃって。

「スケアクロウ」

 声にびくりとしてしまう。振り向かずにいると、その声は続けた。

「任務です。ただちに準備をしてください」

 伝達の声は途中で消えてしまう。店主が奥からたくさんの袋をかかえて戻って来た。

「よーく食べるんだよ! 成長期なんだからね!」

「せー、ちょき、うん、わかった」

「わからないなら、わからないって言うんだよ? タハト」

 心配そうにしながらもあきれる店主に別れをげて、本屋をあとにする。帰り道で、タハトは残念そうにかかえてる本を見遣みやる。今晩は読めそうにない。

 石造りの道をとぼとぼと歩き、どんどん行きう人が少なくなってくる路地に入っていく。まだ陽は高いが、仕事には時間がかなりかかることが多い。早く家に置いて、仕事に行かなくちゃ。

 あれ、と思った視線の先に、明らかに不審人物がいた。

 でもまったく身体からだが感応しない。なんだあれ。すっごくへんだ。

「やあ」

 あれ? なんか片手をげて声かけてきた。

 タハトはきょろきょろと見回すが自分以外に人はいない。どうやらこの奇妙な相手はこちらに声をかけてきたようだ。

「えーっと、だれ?」

「まあそう思うよね。うんうん」

「なんか、あれだ! シュテルンの本で読んだよ! えっと、えっと……そぉそぉ、大魔女のこ、こすぷ、れ?」

「…………すごい子に当たっちゃったなぁ」

 丸眼鏡を押し上げた黒い影帽子のようなその人物を警戒するでもなく、にこやかな笑顔を向けた。

「わるいけど、このあと仕事があって。ごはん食べたら、吐いちゃうかもだし……うー、本読みたいけどがまんがまん」

「仕事ねぇ」

「うん。あ、なにもないけど、なんか話があるなら部屋で聞くよ。荷物置きに行くだけだから、おちゃとか、出せないけど」

「…………キミ、危機感どっかに忘れちゃったのかな?」

「キキカ……? よくわからないけど、この先に行ったらすぐだよ。狭いけど、どうぞ。あれ、でも仕事……」

「邪魔しないから、そっち優先して」

「そう? ありがと。いいひとだな」

 満面の笑みを浮かべると、影法師は複雑そうな表情をした。



 神殿に行くまでは、城下町の家々の屋根の上をんで向かう。これが一番早い。

 馬なんかを道で使うなんて、意味がよくわからない。それは馬より遅い人間がすることだ。

 両手首にはめられたかせから長い鎖を出現させ、それを振り回して軽々と屋根の上を移動するタハトに、ひょいひょいとついてくる影法師に軽く拍手した。

「おおー。すごいすごい。オレ以外で屋根の上を移動するやつ、初めて見た」

「いや……キミがこういう移動方法とるからでしょ……」

「途中で隠し通路使うから、そっからは一直線だ」

 そう言うなり大きく鎖を振り回し、身体からだを宙に投げるような動きをする。と、一直線に廃墟の中の井戸の中に向けて落ちる。

 落下の衝撃は周囲に張り巡らせた鎖でやわらげ、ふわふわと降りてくる影法師にまた拍手した。

「変わった技を使うんだな。なにかの道具か?」

「キミの体得してるようなものとは違うよ」

 どこかげんかりした声音だが、少女は気づかない。

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