夏野菜のサンドイッチ③

「それで、そのオオグマさんとやらを倒してほしいと」


「おうよ」


 ロゼはうさぎのねぐらに通されてお茶を出された。お茶といっても、そのへんの川から取った水をあたためた白湯だ。


 うさぎ──ノル曰く、この森はすこし前まで彼が支配していたらしい。鳥が唄い、花が咲き、心地のよい風が流れる穏やかな森。まるでフィーティア神話に出てくる異郷のような楽園だったそうだ。

 しかしある時この森にオオグマさんがやってきた。なんでも片目に三本線の入ったワイルドな出で立ちの熊らしい。そいつがノルの縄張りを荒らし、彼をずったずたに引き裂き、この森のぬしに君臨した。

 だからそいつを倒してこの森の平和を取り戻してほしい、という話だった。


「つまり、ノルさんは権力争いに負けて、すごすごと負けうさぎ人生を歩んでいるというわけですね」


「そ、そうですね……」


 しゅぽんと耳を垂らし、身を縮めるノル。ロゼはめんどくさいなと思いながら、ちらりと外を見た。夕焼け色の空が広がっている。じきに日没だ。きょうはそのオオグマさんとやらを退治にしにいくのは難しいだろう。熊は昼に行動する。人と同じく、熊とて夜は眠りたいのだ。


「ではうさぎさん。今夜のわたしの宿を提供してください」


「宿? だったらここに泊まれば?」


「さすがに狭いです。これでは横になることもできないでしょう」


 ロゼはあたりを見る。うさぎの住まいにしてはそこそこ広めの物件だが、ロゼにとっては狭い。膝をかかえて転がればなんとかなるかも知れないが、やはり窮屈だ。

 いまだって正座をしてすぐうえには天井だ。立ち上がれば頭をぶつけるし、なんだか肩も凝ってきた。そろそろお暇したい。


「あー、じゃあ別荘いく?」


 あるのか、別荘。


「すこし歩くけど、まぁ日が落ちるまでにはつくからよ。ついてこいや」


 ノルがねぐらが出てぷるぷると耳をふる。どうやら雨が降ってきたらしい。ロゼも無言で巣穴を這い出ると、ぽつりと頭にしずくが落ちてきた。


「まぁ、まだ本格的じゃねぇけど、急いだほうがいいな。走るぞ!」


 ロゼはノルのあとを追いかけた。



 ◇ ◇ ◇



 遠くでぴしゃりと嫌な音がした。どこかの木に雷でも落ちたのかもしれない。ロゼはフードを目深に被って先をいくノルを追いかける。さっき彼の巣穴を出たときには弱かった雨足も、いまでは嵐のようになっている。こんなことならあの狭い場所で我慢すればよかった。

 ロゼはすこしだけ後悔した。


「もうすこしだ、がんばれ! 嬢ちゃん」


「あの!」


「どうしたー!?」


「いったん何処かで雨宿りしては!?」


「だめだ、だめだ! このあたりはあいつの──」


 ノルが振り返ったときだった。ロゼの視界に黒いものがかすめた。こちらに向かって突進してくる塊。


「──っ! うさぎさん、避けて!」


「おわっ!?」


 ぴょんっと飛びすさるノルを視界に収めてロゼも足をとめる。ふたりの間に現れたのはいっぴきの大きな熊だった。


「オオグマ!」


 ノルが姿勢を低くして叫ぶ。熊が片目でちらりとノルを見下ろした。


(あれが例の……)


 閉じた片目のうえには三本線の爪跡。体毛は茶色。よくみる森の熊さんだ。

 ノルと熊は互いになにか言葉を交わしているようだ。

 なにを話しているのだろう。とうぜんロゼには動物語などわからないから、彼らの会話を聞き取ることは不可能だ。

 だけどまぁ、ふたりの様子からみてこんな感じだろうか?


『おい、オオグマ! いきなりなにしがるんだよ!』

『我が縄張りに入りし者。早急に立ち去れよ。さもなければ、この熊。きさまの毛を剥ぎ香草につけ、じっくりことこと煮込んで肉の一片たりとも残さず食い貪ってやろうぞ』

『なっ……香草につけて煮込む……だと!? それはまさかっ」

『──森の王。我が品格にふさわしき料理である』

『くそっ、やはり、リエーブルか……! きさま、俺をロワイヤルする気だな!』

『ぐははははははっ!』


 うーん、なにを言っているのかよくわからない。

 ロゼはふたりの様子に警戒しつつ、雨が凌げる場所へと移動した。木の下。ぽつりぽつりと葉からしずくが垂れてくるが文句はいっていられない。フードを脱いで布の水気を絞っているとノルがぴんょっと駆けてきた。


「おい、嬢ちゃん! こいつだ! こいつをお得意の魔法でやっちまえ!」


 期待に満ちた眼差しだ。しかし彼女は首を横に降る。


「無理です」


「なんで!?」


 ロゼは無言で空を指す。雨。彼女の得意な魔法は火だ。こうも雨が降っていて使えない。


「すみません。きょうのわたしは湿気た火棒マッチなので無理です」


「ええ!?」


 衝撃あまりか、ノルがふらりと倒れた。茶色の泥がついて彼のまっしろな首もとの毛が汚れる。


「ほ、ほかの魔法は!?」


「あるにはありますが、かなり威力が落ちます。あといちおう一般的な魔導師はひとつの属性しか使えないものなので、わたしも炎しか使わないようにしています」


「なんで!?」


「複数の属性が使えると知られれば、面倒ごとに巻き込まれるからですかね。……まさにいまのように」


「うぐ、そんな目で見るなよぉ……」


 そういわれても。つぶらな瞳で見上げられても無理なものは無理なのだ。ロゼはローブを広げてぱんぱんと水気を飛ばした。ノルが手足をばたつかせる。


「でもよ! ここは森のなかだ。誰が見てるわけでもない。別に水でも風でも土でも、なにを使ったていいんじゃねぇのか?」


「そうですが。さきほどお話したように威力は落ちますし、ほとんど役に立たないかと」


「それでもいいから!」


 ノルがロゼの背中をぐいぐいと押して熊の前に連れ出す。おかげで雨が直で当たって冷たい。ロゼは小さく息をつき、ばさりとローブを羽織直すと熊を見据えた。


(面倒ですね……)


 まぁでもこれをみればノルも諦めるだろう。ロゼは長い杖の底を大地に叩きつけ、おごそかに祈文きぶんを唱えた。

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