紅茶のスコーン①
あるところに悪いうさぎさんがおりました。
大切にしまっておいた魔女のお菓子をこっそり食べてしまうのです。
魔女は台所にうさぎさんを呼びました。
ぼうぼうぼう。
魔女の指先には炎が揺れています。
さぁ、懺悔の時間ですよ。
「──ノルさん」
「………………」
食べカスまみれのノルを見おろし、ロゼは片手で皿を持ち上げた。
「こちらは今日のおやつに取っておいた大切なドーナツです。なぜお皿が空になっているのでしょうか?」
「…………」
ノルは答えない。
「正直に言ってくれたら怒りませんよ。わたしも
「…………嘘つけ。言ったってどうせ怒るくせに」
「なにかいいましたか?」
ぼそりとこぼしたノルの言葉にロゼの眼差しが鋭くなる。ノルはそっぽを向いて不貞腐れたようすだ。
「……では、質問を変えましょう。こちらのドーナツをわたしがどれだけ楽しみにしていたか、ノルさんは知っていましたか?」
「知ってる。人気店の菓子なんだろ」
「そうです。一日五〇個限定の、キャラメル蜂蜜がけマシュマロショコラドーナツです。手にいれるのにどれだけ大変な想いをしたか……!」
ロゼは珍しく憤慨していた。基本的に物事を冷静に見ることのできる彼女ではあるのだが、どうしてもこれは見逃せない。
(わたしがどれだけ死力を尽くしたと思って……!)
実際、かなりの苦労だった。
ドーナツ屋が開く二時間前には店に並んでそれでも前から十一番目。微妙な位置だった。前の客たちが何個も買ってしまったらロゼの番まで回ってこない。いちおうお一人様五つまでと決まっているから、誰かがひとつでも少なく注文してくれればロゼの手に入る。賭けだった。なんども失敗続きでようやく回ってきた勝機。内心ハラハラしながら自分の番を待った。
二個だ! ふたつも残っている!
これならノルの分も買える。ロゼはほくほく気分でドーナツ屋を出た。それが今朝のことだった。
「おやつに一緒に食べようと思って棚にしまっておいたんですよ? それを少し隙に、しかもふたつも食べてしまうなんて。ノルさんにはそれでも人の心があるんですか!?」
「……いや、俺うさぎだし」
「問答無用です!」
ロゼは指先の炎をノルに向けて発射する。ノルの真横を通りすぎ、うしろのかまどにぶつかった。ちりりとノルの耳を
「熱! おまっ、これは駄目だろ! うさぎさんいじめるなよっ!」
絵面的に! とつけ足すノルに抑揚を消した声でロゼは告げた。
「なにをいまさら。本物のうさぎさんはドーナツを食べません」
「そうだけど!」
「今度はうえです。ノルさんの頭上にむけて火を放ちますよ」
「やめて! 背中、燃えちゃうから!」
ロゼはふたたび炎の灯る指先をノルに向けた。
「なっ、なんだよ! べつにいいだろ! また買ってくればいいんだしよぉ。そんなに怒らなくたって」
「二時間。並ぶ覚悟がありますか? それも毎日一週間」
「そ、それは……」
「ノルさん、ごめんなさいは?」
「ぐ……」
「ごめんなさいは?」
「…………ロゼのケチ」
そこでロゼのなかで何かが弾けた。
「なるほど、なるほど。わたしも食いしん坊な使い魔など入りません。今日限りでノルさんとの契約を解除させていただきます」
「なっ!?」
ロゼがそっぽを向いて言うと、ノルは顎が外れるほど大きく口をあけた。いや、実際はうさぎの口なので小さい口だが。
「契約を解除するだと!? そんなことしたら、お前、ショボい魔法しか使えなくなっちまうぞ! いいのか!?」
「構いません。なぜなら元からノルさんの力を借りて魔法を使っていないからです。つまり、あなたは完全にただの穀潰し。食いしん坊の役立たずなうさぎさんは我が家にはいりません!」
ぴしりと人差し指を向けて言い放つ。ノルはふるふると肩を震わせて吠えた。
「んだとぉ! うさぎさんは可愛いから家に置くもので、見返りなんか求めるもんじゃねーだろ!」
「ノルさんは可愛くありません」
「ぐっ……、心を
そこでノルはくるりと身体の向き変えると、ぴょんぴょんと飛び跳ねて、
「もういやだー! ほかの家の子になるぅ!」
と、捨て台詞を吐いてホールまで移動。開いた窓から疾風のごとき速さで逃走した。
「ちっ、逃げ足だけはさすがに早いですか」
文字通り脱兎。しかしこれでしばらくは帰ってこないだろう。
正直、ロゼのなかではムカつきが抑えられそうにないので、ノルの顔など見たくはなかった。
まぁ、あと数時間程度で気持ちは落ちつくだろうが。
(いえいえ。ちゃんと反省するまで家には入れません)
今日のロゼはいつにもまして厳しかった。理由は察しのとおり、ドーナツ……いや、ノルと一緒に食べるのを楽しみにしていたから。ロゼは空になったら皿をみて、深いため息を吐いた。
「──あのー、失礼します」
店の入り口から声が聴こえた。誰か来ているようだ。ロゼは慌ててホールに出て客を迎えた。
「いらっしゃいませ!」
客がぺこりとお辞儀をする。二十歳前後の女性だ。さらさらとした長い金髪に春色のワンピース。手にはつばの長い薄緑の帽子。どこかのお嬢様だろうか。客はぱっと顔を輝かせた。
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