ハーブソルトと豚バラ串④

「——あなた! その女はなんなの⁉」


「えっ、ジェシー?」


 その場の全員がうしろを振り返る。


(え? 誰でしょう……)


 青い帽子を被った栗毛髪の女だ。小路地から飛び出してきて、こちらをきつく睨んでいる。なんだか怖い。ロゼが足を一歩引くと、女はうしろに隠していた右手を動かし、すっとこちらに向けた。


「シャベル!」


「シャベル!?」


 なんでシャベル?

 ロゼもノルもぽかーんと女を見つめた。しかし道行く人々が足をとめ、ざわざわと恐怖をささやいてる。

 凶器だ、凶器を持っている、誰か兵をよべ!

 誰かが兵を探しにいったようだ。ふたりの反応とは反対に、明るい商業通りは一転。緊迫した空気が流れはじめた。


「おかあさん、見つけたー」


「──ジェシー! なにをやっているんだ! はやく、それを仕舞いなさい!」


 リックが無邪気に笑い、リリックが焦った声色で叫んだ。しかし女はさらに瞳を鋭くする。


「そのひとは誰? どうして祭りの日に会ってるの? まさかとは思うけど、今夜はその女と楽しむつもりかしら? この浮気野郎っ!」


「な! 浮気⁉ 誤解だ、ジェシー! 彼女はきょう、僕の頼みを聞いてくれて……」


「頼み? ああ、さっきまで楽しくお買い物デートをしていたものね。今朝わたしたちには大切な用事があるから、先に祭りを回っていてと言っておいて、自分は可愛いお嬢さんとデートですか。いい御身分ですこと!」


「なっ、だから違うと言っているだろう! さっきからなにを言ってるんだ君は!」


『…………』


 うーん、これは良くない流れだ。正直、痴話喧嘩とか迷惑だから家に帰ってからやってほしい。

 ロゼとノルはひそひそと囁き合った。


(え? あの女、シャベル持ってるけど、なに? どゆうこと? 状況の説明を頼む、ロゼ)


(おそらくですが、あのかたの口ぶりからして、リリックさんとわたしがいい感じの仲なのではないかと疑っているようです)


(うそだろ? どこにそんな要素あった?)


(そこはまぁ……祭りの日に別の女性と歩いていたから、ではないでしょうか? 豊穣祭は別名男女カップルの日なので)


(そうなん? それでシャベル? そりゃあ包丁よりはましだが、意味がわからん……)


 くるりと振り返り、ふたりが彼らのようすをうかがうと、互いに向かいあって激しく喧嘩している。困った。このままでは巡回の兵士たちが駆けつけるのも時間の問題だ。そうなればあの彼女は捕まってしまうだろう。別にそれでもいいが、会話から察するにおそらくは彼女がリリックの妻だ。依頼をくれた客のもめ事に、ロゼ自身が関わっていては後味が悪い。ここは迅速に誤解を解いてしまおう。

 ロゼはばっと右手を前に突きだした。


「どうか落ちついてください、おふたかた! この氷の魔女ロゼッタが、たかぶる喧嘩の炎をみごと冷やしてさしあげましょう」


 本日初の決め台詞。氷仕様バージョンで高らかにロゼが告げると、リリックの妻がこちらをみて睨んできた。泣いている。はやく誤解をといてあげなければ。


「う、浮気女がなんのようかしら。言っておきますが、このひとはわたしのものよ。絶対にあなたなんかには渡さないわ!」


「もちろんです。わたしもそんな人などいりません」


「ロゼさん⁉」


 リリックがすこし傷ついた顔をした。


「あなたのお名前は?」


「ジェシカよ」


「そうですか、ではジェシカさん。隣のお店を見てみてください」


「?」


 かすかに戸惑いの色を見せてジェシカが右に顔を向ける。素直な性格なのだろう。ロゼのいうことになんの疑問も持たずに隣のガラス窓をみた。その瞬間、ロゼが叫んだ。


「ノルさん、いまです! 変化して突進!」


「ほいほい──って、それはだめ!」


 さすがにこうも人が多いところでそれはできない。ノルはジェシカが横をみている間に一気に詰めより、彼女の手からシャベルを弾いた。からんと硬質な金属音が鳴り響く。石畳みのうえに転がったシャベルは、くるくると回転すると、やがて動きをとめ、路端に落ちた。通行人たちがシャベルを避けるように道を開けている。

 怯んだジェシカが顔を青くしてノルを見上げている。

「あ……」


「ほい。いっけん落着ー」


 と、ノルが口にしたら、リリックが血相を変えてジェシカのもとまで走った。


「ジェシー! 怪我はないか⁉」


「ええ、だいじょうぶよ、あなた……」


 青ざめた顔で彼女が答えると、リリックはノルをみあげて責めるような口調で言った。


「ノルさん! こんな手荒な真似。彼女に万が一のことがあったら……!」


「ええ……、これ俺が悪いの?」


 あんまりだ。ノルがため息をついたところにロゼが走ってきた。


「ジェシカさん、リリックさん!」


「ロゼさん……」


「喧嘩は駄目です! せっかくのお祭り日なんですから楽しくいきましょう。それから、いまです。──リックくん!」


 ロゼが振り返ると、プレゼント箱を抱えたリックがとぼとぼと歩いてきた。ロゼはリックの肩を掴んで夫婦の前に押し出す。


「リック……」


 ジェシカがはっと息を呑んだ。子供をみて少し落ちついたのか、リックが近づくと、彼の頬に手を添えた。


「お母さん、これ……」


「これは……?」


 ジェシカが不思議そうに箱をみつめる。ロゼはリリックに目で合図を送った。リリックが頷く。


「ジェシー、それは君への贈り物だ。ロゼさんにはそれを選ぶために手伝ってもらっていたんだ」


 リリックが箱をあけて中身を取り出すと、つばの長い白い帽子が出てきた。


「あすが、何の日だか覚えているかい?」


「あした?」


「祭りの最終日。あの日の君はこれと同じ白い帽子を被っていたね」


「──っ!」


 ジェシカの目が大きく開かれる。


「そうだよ。明日は君と僕がはじめて出会った日だ」


 そういって彼はジェシカの頭から青い帽子をはずすと、白い帽子をそっと乗せた。


「本当はもっと早くにプレゼントを用意するつもりだったんだ。けれどあれこれ悩んで今日まで買えなかった。それで、彼女──魔導師様に依頼をしたんだ」


 ちょこんとロゼがお辞儀をする。それをみたジェシカは自分が勘違いしていたことをようやく気づいたのか、両手で顔を覆って涙を流した。


「ごめんなさい。わたしったら、ひどい勘違いをして……」


「いいんだ。祭りの当日にほかの女性と歩いていた僕も悪かった。心配させてごめんよ、ジェシー」


「いいえ。……リックも、ごめんね。またはぐれてちゃったね」


「うん! もう今度はぼくから離れちゃ駄目だよ、お母さん」


「ええ、約束するわ」


 親子三人はひしと抱きしめあい、なんとかこの場が収まった。


「良かったですね、やはり家族はこうでなくては」


「いやー、けっこう迷惑な話だったけど?」


 ばたばたと兵士たちがかけてきて、なにごとかとまわりの通行人たちから話を聞いている。そのうちの一人がこちらにて、案の定ノルたちは事情徴収を受ける羽目になった。

 ひとまずこの通りが血に染まる展開にならなくて良かった。本当に良かった。しかし、とんだ災難だったなぁ……と、ノルは夕焼けの空をみあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る